『児童文学の旗』(古田足日 理論社 1970)

G 児童文学と伝統

 ぎりぎりの状況のなかで

 はるかな昔、人間はおなじ人間の肉を食ったことがある。そして現在、人肉食いはほとんど、あるいはまったく行なわれない。だが、行なわれないのは文明社会の慣行であって、異常な状況のなかではどのようになるのだろうか。
 太平洋戦争の後の小説でいえば、大岡昇平の『野火』と武田泰淳『ひかりごけ』、この二つがいまの問に答える。同時に、ぼくは『オオカミに冬なし』という西ドイツの少年小説を思い出す。
『オオカミに冬なし』の作者はクルト・リュートゲン。『オオカミに冬なし』以外の作品には、イギリスの航海者ジェームズ・クックの伝記『偉大な船長』、パナマ地峡をはじめて横断した白人であるスペインの冒険家バルボアの伝記『白いコンドル』などがあるそうだ。つまり、彼はノンフィクションの作家であり、『オオカミに冬なし』も事実によっているという。
 その事実というのは、一八九三年の冬、アラスカ北氷洋海岸で七せきの捕鯨船が氷にとじこめられた。その乗組員二百七十五人がどのようにして救われたかということである。
 救助船牡グマ号もベーリング海の氷にとじこめられた。船長以下全員があきらめようとしたとき、運転士ジャーヴィスは陸路横断による救助を強硬に主張する。ただし同行するのは彼のほか一人でよい。彼はアラスカ各地に飼われているトナカイのむれを捕鯨船団に送りとどけようと考えているのだ。医者兼人類学者のマッカレンが同行を申し出る。冬のどん底のツンドラ八百キロの横断である。この旅のとちゅう、ジャーヴィスがマッカレンに自分の過去を話す。その過去の物語のうち一つが人肉食いと関係がある。
 やはり一八六七年から八年にかけて実際あったことだそうだが、イギリスの貴族エッカズレー卿がラブラドルの奥にある滝を探検に出かける。ジャーヴィスはそれに同行し、ふたりは滝を見つけるが、その帰り、食料がつきる。川は凍って魚もとれず、小銃の弾丸も切れる。エッカズレーは革帯をしゃぶるまでになった。そこへ雪あらしがやってくる。
 あらしがやんだとき、ねていたジャーヴィスはエッカズレーがぶきみな目つきで自分の顔をのぞきこんでいるのに気がつく。エッカズレーの右手には拳銃がにぎられていた。
 ジャーヴィスは歩きだす。一度、彼とはなれたエッカズレーは一定の距離をおいて、拳銃をにぎったまま、彼のあとをついてくる。ジャーヴィスは数日前、エッカズレーがいったことを思いだす。「おまえもわたしもけだものになっちまったからよ。」
 その夜、満月の氷原を歩きつづけたジャーヴィスはとうとうたおれてしまう。気がついたとき、エッカズレーはそばにいる。エッカズレーは拳銃をとって自分を射てという。
「わたしはもう歩けないんだ。これ以上、飢えるってことがもうできないんだ。きのうの朝は、きみを射ち殺そうと思ったんだよ。それは……きみを食おうとしてだよ……(中略)わたしをオオカミにしちまった、この飢えの責め苦に片をつけてくれよ。」
 ジャーヴィスは朝のしらじらあけにエッカズレーの望みをかなえてやる。ジャーヴィスはこうして「人間が裁くこともできなければ裁くことも許されていない」重荷を一生せおうことになった。
 以上、ながながと『オオカミに冬なし』のことを説明したのは、児童文学とおとなの文学のちがいを、この作品からみつけだすことができると思ったからである。そのちがいは、ぎりぎりの状況のなかでどう行動するかという、その行動の過程、結果のちがいである。多くの場合、児童文学はいわゆる〈あかるい〉方向にむかう。『オオカミに冬なし』では、飢えてボロキレのようになった捕鯨船員たちの前に四百頭のトナカイが到着することになる。だが、『野火』の場合では、人間の深部が目の前にあらわれる。『ひかりごけ』では、人間を食ったしるしの光の輪をつけているという世界が示される。

 人間行動の原型

 ぼくはさきに〈行動のちがい〉といったが、むしろ『野火』や『ひかりごけ』には行動はない、といってもよかろう。あっても、それは小説全体の一要素にすぎない。新潮文庫『野火』の解説で吉田健一は、「『野火』の主人公が置かれている状況では、他人の存在も主人公を彼一人の世界に益々追いやるばかりである」という。その結果、このひとりの世界は全世界にひとしくなる。ひとりの世界のなかでは行動は成立しない。
 だが、『オオカミに冬なし』は始めから終りまで行動だ。ぎりぎりの状況のなかであかるい方向にむかおうとすれば、行動せざるをえないのだ。ここにおとなの文学と児童文学とのちがいがある。
 では、なぜ児童文学の登場人物たちは行動的、あるいは行動的でなければならないのだろうか。いや、児童文学作品のなかの行動とはどういう意味を持っているのだろうか。
 その答の一つ、ジャーヴィスはエッカズレーとの事件ののち、五大湖地方の森のなかにかくれる。ある日、彼はやせさらばえためくらの老人とその妻に出あう。両親が結婚を許してくれなかったため、この夫婦は森に逃亡した。男は安酒のためめくらとなり、以来三十年、インディアンからも白人からも見すてられていて、ジャーヴィスと出あう前、二日のあいだ何一つ口に入れていない。その前一週間は魚だけで食いつないでいた。
 そのいのちの綱の釣り針――さいごの釣り針を老人がなくしてしまう。老人は恐怖のさけびをあげる。老人夫婦が他の人間と関係をもっていないかぎり、一本の釣り針も手にはいらない。
 そのさけび声をききつけてジャーヴィスは老人と出あうことにするのだが、ジャーヴィスが救助を約束すると、老人はたずねる。「何か世間にかわったことがありますかね? どんな新しいことが!」
 人間がつねになかまを求めていることは、人間が孤独であるということとおなじように正しい。ジャーヴィスはこの老人の姿に荒野の孤独のなかへ出かけた男の落ちゆくさきを見た。人間はひとりでは生きてゆけないことを発見した。
 生きるためには他人との関係を持たなければならぬ。他人との関係を持つためには行動しなければならぬ。その行動の基礎は生きるため、個体の生存のためである。行動を支えているものは、このもっとも単純な欲求である。
 動物的ともいえる、この欲求の上にさまざまの次元の欲求が重なる。ジャーヴィスはツンドラ横断を主張した理由の一つをマッカレンに説明する。「わたしは何かをやりとげるという機会をもう一ぺんつかんだんです。何かを――もしわたしに子どもがあったとしたら――わたしの息子がそれを自慢してもいいような何かをですね。」
 めくらの老人夫婦にあった動物的生存の欲求に対して、ジャーヴィスの欲求は人間的ということができる。そして、この二つの欲求は対立しているのではなくて、個体の充実という欲求として統一される。ここでのジャーヴィスの欲求は生命の発展の延長線上にあるものだ。
 こうして、ジャーヴィスの自分の生命の危険をおかして他人を救うという行動は、人肉を食いかねない世界を底辺として、その延長線上にあるさまざまの欲求の結晶したものと見ることができる。
 この底辺と頂点のあいだにあるものは人間の歴史である。ネアンデルタール人の昔から、男女の愛は、友だちどうしの友情は、今日のようなものであったろうか。一進一退はあるにせよ、ぼくは人間の進歩をみとめたい(人間でなければ持てない暗黒の面も深くなりつづけたということも条件として)。
 児童文学のなかの行動は以上のようなものであって、これを一口にいえば、人間をここまで発展させてきた行動のもっとも単純で基本的な形――人間行動の原型なのである。すぐれた児童文学作品中の行動はつねにこうした要求をそなえている。ぼくはロビンソン・クルーソーについて次のように書いたことがある。「毛皮のかさをさし、毛皮の服を着た奇妙な姿のロビンソンの背後には過去の原始人の姿がかくされており、その進む道には未来の世界を築く子どもたちがかくれている。」
 ただし、児童文学とよばれるあらゆる作品が行動の原型をとらえているわけではない。むしろ原型を書く児童文学が今日もっとも必要だとぼくは思っている、という方が正確であろう。

 「少年文学の旗の下に」

 児童文学のなかの行動を以上のように見てきた目で現実を見れば、現実の行動にもまた人間の歴史がかくされている。
 たとえば、はしを持ち、茶わんをかかえて飯を食う。この日常の食事の習慣が形成されるまでには過去の無数の人びとの力がはたらいている。現在手に持つはしの原初的な形態がどういうものであったか、ぼくは知らないが、はるかな昔、はしのかわりに人間の指が動いたことだけはたしかであろう。はしを使うという動作は、指を使い、木の枝や竹を使ってきた動作の結晶である。
 だが、はしを使うという動作は日常的な動作にすぎない。もうすこし行動らしい行動の例をあげれば、若者が少女に愛をうちあけるとき、それをどのようにしてうちあけるか、思いなやむにちがいない。その告白の形を決定するものは彼の過去の経験と、テレビや小説その他の間接経験である。そして、間接経験とは人間の歴史にほかならない。
 ここにことばという観点を挿入するすると、乾孝は次のようにいった。「条件結合の場合は、その内部における痕跡をくぐってする応答――いいかえれば過去の状況の応答である。そこで無条件反射の段階の動物たちは、現在場面における環境=主体関係に閉ざされ、条件反射段階における動物たちは相対的に現在を越えるけれども、その個体の連続性に閉ざされた系として働くにすぎない。これに対して、言語系をもつ人間の条件結合は、言語をともにする同類たちの既得体験をくぐった現状認知を可能にする。」
 一つの行動のなかには過去の同類たちの行動が凝縮しているのだが、「言語をともにする」という見方を強調すれば、人間全体の歴史のなかから、ことばをともにする民族の体験が浮かびあがってくる。日本人ははしを使い、西欧の人びとはフォークを使う。おなじく人間の発展の歴史といっても日本人と他の民族のあいだには、はっきりしたちがいがある。
 象徴的にいえば、一方がはしに結晶し、一方がフォークに結晶していく過程がある。
 この過程――つみ重ねられてきた民族の体験が、民族に共通の一種の心的態度をつくりあげる。これが伝統というものであろう。そして、人間発展の行動の原型が考えられるなら、民族の行動の原型も予想される。この二つの行動原型はどのようにからみあっているのか、これは日本の児童文学の現在もっとも重要な問題の一つである。

 伝統に対する挑戦

 昭和三十五年、石井桃子、瀬田貞二、渡辺茂男、松居直たち六人の共著による『子どもと文学』という本が出た。彼らはその本の『はじめに』と題する章で次のように述べた。「世界の児童文学のなかで、日本の児童文学は、まったく独特、異質のものです。世界的な児童文学の規準――子どもの文学はおもしろく、はっきりわかりやすくということは、ここでは通用しません。」
 この〈世界的な規準〉によって「日本の児童文学に大きな足跡をのこした」とされる小川未明・坪田譲治・浜田広介は裁断され、否定された。かわりに宮沢賢治・千葉省三・新美南吉が浮かびあがる。
 日本の近代児童文学の伝統に対する挑戦は、もうそれ以前にはじまっていた。昭和二十八年、早大童話会は『少年文学の旗の下に』と題する一文を発表し、過去の児童文学は「その意図に拘らず、遂に近代文学としての位置を確立することができなかった」と述べた。
「従って我々の進むべき道も、真に日本の近代革命をめざす変革の論理に立つ以外にはなく、その論理に裏付けられた創作方法が、少年小説を主流としたものでなくてはならぬことも、また自明の理である。我々が従来の『童話精神』によって立つ『児童文学』ではなくて、近代的『小説精神』を中核とする『少年文学』の道を選んだゆえんも実にそこにある。」
 その通称少年文学宣言は、いまから見れば、起草者であった鳥越信のいうように「気負った稚拙さや内容的な未熟」に溢れているが、伝統に対する挑戦の第一歩であった。
 その内容は一口にいえば、童話的方法はだめで小説的方法でなければならないということである。
 その理由を今日のぼくの立場(当時ぼくは早大童話会員であった)からいうと、児童文学すなわち童話という考え方はいまでもまだあとをたたないが、童話は文学・児童文学の一ジャンルにすぎない。そして、日本的童話を生みだした底辺の思想は生命の連続の思想であった。
 小川未明の童話『金の輪』の太郎にとって死ぬことは、夕焼雲のなかにはいっていくことであり、坪田譲治の『サバクの虹』は生命現象が虹となり、生いしげる木となり、ガマガエルとなっていく変化を書いた童話である。
 生命は完全に死滅することなく、連続し、変化しているのであって、ここには発端も終末もない。童話が示すのは切りとられた円周の一部である。こうして、すぐれた童話はそれ自身「宇宙の生命」を暗示する。まさしく「独得・異質」であって、未明・譲治において、それはすでに完成していた。この独得・異質の完成はほこるべきものだと、ぼくは思う。
 だが、宇宙に対する小宇宙の完成はそれ自身完結したものであって、ここには行動はない。無限に循環する生命は断ち切らなければならない。
 さらに童話は詩であると一般にいわれてきた。宇宙の生命を分与された結果である。あらゆるものに生命の連続を見、それを詩に近いことばで表現する童話は特殊な資質の持主でなければ書けない。万人が表現できる散文による児童文学が生まれなければならない。
 また資質にたよる童話はかならずしも子どもの心を十分にとらえるものではなく、おとな的な要素を多分に残している。この未分化の児童文学からぼくたちは一歩進まなければならない。

 半分空想の世界

 ほぼ以上のようになっていく論理を少年文学宣言は内包していた。ここで『子どもと文学』にかえれば、『子どもと文学』と少年文学宣言、この二つの伝統批判は過去の童話を子どもの文学として完全なものと見ない点で交叉しあう点を持っていた。
 しかし、その発想はちがつているといわなければなるまい。一方は児童文学の″世界的規準″からはじまり、一方は日本変革の論理の上に立つ児童文学を求めている。一方はコスモポリタンな立場に立ち、一方はナショナルな立場に立っているといえよう。やはり当時の早大童話会員であった神宮輝夫は最近こう書いた。
 「日本の児童文学は十九世紀的な安定した生活環境と精神の所産である欧米諸国の児童文学と等質であろうとするのではなく、国づくりにはげむ世界の新興諸国家の児童文学と基礎を同じくしなくてはならないと考える。」
 おなじ文中で神宮はまた、自分が専門に訳しているイギリスの作家アーサー・ランサムの作品に対する日本の書評を引用して、児童文学のリアリズムについて述べた。
「『ツバメ号の伝書バト』の書評には″八人の少年少女が、金鉱をさがしにゆくという空想物語だけれど、いかにもありそうに、リアルに書かれていて、大人のわれわれさえ、おしまいまでつられて読んでしまう″(杉森久英)とあり、また『シロクマ号とナゾの鳥』については″半分リアル半分空想という作者の世界″(前川康男)とある。読者にとって不可能なことの一つもない、そしてその場にいるようなきめこまかい現実感のある文学が″半分空想の世界″と意識されるところに、わたしは児童文学のリアリズムの真の姿を見る。児童文学とは架空の物語なのである。児童文学のリアリズムとは日常的法則性に支配された架空の世界」である。
 神宮のこの二つの発言を並べてみれば、彼がナショナルであると共にインタナショナルであるものを求めていることがはっきりする。日本の児童文学は新興諸国家の児童文学と基礎を同じくしなくてはならないと共に、そのリアリズムはアーサー・ランサムの作品と同様に「日常的法則性に支配された架空の世界」でなければならないのだ。
 同時にここでは日本児童文学の過去の伝統も批判される。リアリズムの作品が日本のふたりの作家には「半分空想の世界」としか受けとれなかったのである。
 神宮はいった。「そして架空の物語の世界が日本的法則に厳しく貫かれているならば、その物語が読者に与えるのはイソップ的寓話でなくて力強い現実性である。」彼のいう「日本的法則」はランサムの作品を「半分空想」と見る考え方とまったく相反するものである。
 こうして伝統批判を内に含んで、ナショナルなもの――民族の行動の原型と、インタナショナルなもの――人間の行動の原型をどうとらえるかは今日の問題である。
 この問題をもうすこしあきらかにするために、ランサムの作品と、おなじイギリスの他の作家によるリアリズムの作品二つについて考えてみよう。なぜ外国の作品をとりあげるかといえば、日本には神宮のいう「日本的法則」に貫かれた作品がまだ生まれていないからだ。

 子ども対おとなのありかた

 最初に『地下の洞穴の冒険』。作者は詩人のリチャード・チャーチ。この小説でも『オオカミに冬なし』と同様にギリギリの状況がえがかれる。この状況のなかに立たされるのは、こんどはおとなではなくて、五人の少年である。
 夏休みの終り近く、いなかのおじおばの家にあずけられていた少年ジョン・ウォルターズはワラビの草原のなかで洞穴の入口を発見した。ジョンは四人の友人とともにその洞穴を探検する。洞穴のなかにはたて穴があった。ジョージとアラン、それにふとっちょのサンダーズが上に残り、ジョンとちびのソームズが下におりる。下にはまた洞穴があり、川が流れている。ところが、ふたりをおろした綱が下に落ちてしまう。上の隊は下の隊を助けなければならない。下の隊は自分自身を助けなければならない。たて穴は綱を体に巻いて、空中をゆれながらやっとおりることができたほどの深さなのだ。
 この状況のなかで、日常生活では見られなかったそれぞれの子どもたちの特質があらわれてくる。指導者であったアラン・ホッブズはその無能と自分のことしか考えないがりがり根性を示し、無口なジョージが行動力と計画性を発揮する。日常生活の仮面ははぎとられ、少年たち自身思いがけない自分と友人の姿を発見していくことになる。
 この方法は『オオカミに冬なし』よりも新しい。『オオカミに冬なし』のジャーヴィスは彼の経歴を年代順に並べれば、ある成長をとげてきている。だが『地下の洞穴の冒険』では、子どもたちは成長するというより、かくされた自分をみつけだす。そして、そのことによって原型的な行動が示される。
 ジョージはひとりで岩棚をたどり、つきだした厚い岩を越え、川が流れ出している出口を発見する。岩棚の下は断崖だし、ジョージが持っているあかりは古ぼけたカンテラ一つだ。未知の世界へ突入していく彼のこの行動に、未知を既知にかえてきた人間の行動の歴史を見ることができる。
 では、このジョージの行動は民族的であるのか、人間的であるのか。そうたずねることは、この好奇心や責任や勇気や協力が一体となったこの作品を見れば、愚問であることがあきらかだ。両者は統一されている。ジョージの行動にスティーヴンスンの『宝島』の少年ジム・ホーキンズの姿を見ることも可能である。
 だが、両者は統一されているというところでとどまったら、発展はない。そこで、もう一つ子どもたちがだれひとりとしておとなにこの事件をしらせようとはしないことを指摘しておこう。
 地下の川に沿って川下にむかったジョージとソームズは岩壁につきあたる。その岩壁の下を川はくぐりぬけていく。ふたりはこの岩壁をぶち抜くことにする。水の中に立って、ジョンはたがねとハンマーで岩を攻撃しながら考える。「ジョンはおじさんのいいつけを思いだした。七時までにみんなが家に帰らなかったら、おじさんは救援隊をつくって出発するといったのだ。そんなことになったら、はずかしい。」ここにあるのはほこり高い人間の姿である。ジョンはおとなの力を借りず、自分で解決しようとしている。だが、おとなとの信頼関係は保たれており、出かけるにあたっての準備は細心に行われている。
 このほこり高さはアランをのぞく他の二人にも共通していると見てよい。彼らはジョンのように信頼するおとなにむかって計画の一端をうちあけるということはしなかったが、ジョンとソームズ救出の困難な作業をおとなにたのもうという考えはすこしもおこさない。

 独力で行動する子ども

 そのことの意味を考えるのはあとにゆずって、次は『オタバリの少年探偵たち』。作者はやはり詩人のC・D・ルイス――ニコラス・ブレイクという名で『野獣死すべし』ほかの推理小説も書いている人だ。
 この作品は題名が示すようにやはり推理小説ふうのもので、時は第二次大戦のあと、場所はドイツ空軍に爆撃された廃墟がまだ残っている英国の小さな町だ。どかん場と呼んでいる、この廃墟でいつも両軍にわかれて戦争ごっこをしている子どもたちのひとりがフットボールをけって、学校のガラスを割った。たて一・八メートル、よこ一メートルのガラス、その代金は四ポンド十四シリング六ペンスである。
 ところが、割った少年ニックは空襲で父母を失っていて、おじさんの家にいる。金はない。そこで両軍がオタバリの平和条約を結び、共同でガラス屋作戦を展開する。合唱隊、ガラスふき、軽わざ、くつみがき等々のしごとで金をつくる。
 その金をいれた箱がいつのまにかすりかえられて石ころ入りの箱になってしまったことから、物語はさらに発展して、子どもたちは闇屋、にせ金づくりをとらえるようになるのだが、いまのところ、まずガラス屋作戦の方を問題にしたい。
 ここでも子どもたちはおとなたちに計画をうちあけない。ただひとつの除外例がもうけられる。何かがうまくいかなくなった場合、委員会はリチャーズ先生を相談役に呼ぶ権限が与えられる。そして、実際子どもたちはリチャーズ先生になぜくつみがきをやっているのかといわれて、その秘密の一部を話す。
 これは『地下の洞穴の冒険』とのおどろくほどの共通性だ。この共通性はアーサー・ランサムの小説にもあらわれる。ウォーカー家の四人きょうだい、ブラケット家の姉妹、またカラム家のきょうだいが彼の十二冊の本の主人公たちだが、その第一作『ツバメ号とアマゾン号』を見ると、ブラケット姉妹はウォーカーきょうだいとの海賊ごっこのために夜、ベッドを抜け出して朝までに帰る。母親にはそのことはうちあけないのである。
 またこの二組のきょうだいたちがいる湖には一そうの屋形船がとまっている。子どもたちがフリント船長と名づけたこの屋形船の住人は、自分の船の船室の屋根で花火を爆発させたのはウォーカー家のきょうだいだと思いこんでいる。ウォーカー家の母親は自分が手紙を書いてこの誤解をとこうと思うのだが、一番上の子ジョンはそれを拒否する。彼は自分の力で解決したいのだ。
 この二作に共通なのは、おとなの助けを借りずに子どもたち自身で困難に立ちむかっていく態度である。またおとなは助けを求められないかぎり、子どもの問題には手を出さない。
 これはおそらくイギリス社会の理想なのだろう。子どもに対する伝統的態度なのだろう。でなければ、ここまでみごとに共通なものを、しかも個性的に持つことはできない。
 つまり子どもに対するイギリス社会の伝統的なあり方をわく組みにして、この三作はできあがっている。
 またわく組みとなることによって、伝統的なあり方は維持され、形成される。行動の原型という内容は、その社会の子ども対おとなのあり方というわく組みに支えられているのだ。

 断絶している日本児童文学の歴史

『地下の洞穴の冒険』以下の三作において、伝統は二つのあらわれ方をしている。一つは内容としての行動の原型であり、一つはそれを支えるわく組みである。
 さらにその行動の原型は子ども自身の伝統となっている。『ツバメ号とアマゾン号』は一九三〇年の作品であり、『オタバリの少年探偵たち』は一九四八年、『地下の洞穴の冒険』は一九五〇年、その続編の『ふたたび洞穴へ』は一九五七年の作である。あいだに第二次大戦をはさみながら、作品中の子どもたちが、たとえばつねに自らの力で障害物にぶつかるという態度はくずれていない。
 もちろん変化はある。『地下の洞穴の冒険』は前にいったように、子どものうちにかくされた原型的なものが状況に直面したとき発動するという方法によって、もっとも現代的な作品である。そのため、子どもに対して理解のあるおじさんがジョンから洞穴の位置を示す地図をあずかり、七時までに帰らなければ救助隊をつくって出発するという、わく組みが作品全体のなかでは異質のものとして感じられる。
 そういう変化はあるにせよ、洞穴冒険の少年たちは『ツバメ号とアマゾン号』の六人の少年少女の連続的発展である。『宝島』にあった海賊精神が、イギリスのリアリズム児童文学にはつらぬかれている。

 貧しさと環境の激変

 だが、日本の児童文学は断絶の歴史であった。巌谷小波と小川未明のあいだには断層があり、今日生まれている創作の多くは未明や坪田譲治とまったく無縁である。
 その点、菅忠道の次のことばは象徴的である。「親が感銘をもって読んだ作品を、子どもの世代が受けついで読むというつながりは、断ち切られ通しであったといえる。」これに対して、ぼくは『ツバメ号とアマゾン号』の一場面を思いだす。炭やきの年よりビリーは、自分の小屋を見にきた子どもたちにいう。「ブランケットの奥さんが、いやあの時は小さなミス・ターナーだったね、わしのもやしている火と小屋を見にやってきたのをよくおぼえているよ。(中略)おどろいたね。もうおとなになって子どもが二人もいるんだな。」
 親が子どものとき、夏休みを過ごした土地で、子どもがまた夏休みを送る、という社会の中で『ツバメ号とアマゾン号』は生まれた。日本の社会はそういう社会ではない。ここから二つの問題がでてくる。
 一つは経済的な豊かさの問題であり、もう一つは環境の激変である。経済的に豊かでなければ親子二代、子どもを夏休みのあいだ、ちがった環境ですごさせるということはできないし、一方ぼくが少年時代を送った瀬戸内のいなかの町は新産業都市に指定されて、変化しつつある。また人口の都市集中は親子二代をおなじ環境におくことをさまたげる。
 そして、その豊かさの面から見れば『ツバメ号とアマゾン号』のウォーカー兄弟の父親は、その時マルタ島から香港にむかっているというだけの説明しかないが、ここから予想できることは、ウォーカー兄弟の湖の生活は、大英帝国の侵略とさく取の上に成り立っているのではないか、ということだ。

 奇妙な精神的風土

 侵略とさく取による豊かさがともなって、社会のわく組みも成立する。上記三作の子ども対おとなの関係を単純化していくと、子どもは保護されているということにおちつく。いざとなればおとなが出てくる。その安心感が背後にあって、子どもは自由に冒険をたのしむ。おとながその日いっぱいの生活に追われたとき、子どもの生活を余裕のある目で見ることはできないのだ。
『オタバリの少年探偵たち』では、物質的豊かさは失われている。だが、その精神の豊かさはかつての物質的豊かさの上に養われたものであろう。
 いや、英国の事情を知らないぼくが余計な推測をすることはやめよう。日本のことにかえれば、日本には見かけの豊かさしかなく、わずか親子二代に続く伝統もない。その上、価値観はあの戦争によって断ち切られている。伝統的なおとな対子どものあり方というわく組みは、一部の家庭をのぞいては一般には存在しない。
 連続しているのは立身出世的わく組みと、奇妙な精神的風土である。その立身出世的わく組みも過去にくらべて質が落ちている。戦前の『少年倶楽部』で佐藤紅緑の少年小説を読んだ人は三十・四十代には多いはずだが、そのころにはまだ紅緑的立身出世もある程度可能であった。大正・明治とさかのぼれば、いわゆる立志伝中の人物は子どもの身近にいたのである。
 だが、今日ではその可能性は失われた。特殊な素質のある者が野球選手や芸能タレントになり得るほかは、立身出世の見こみはない。親は子どもにいくらかでも消費的物質の豊かな生活を送らせてやりたいため、受験準備に熱心になる。立身出世的わく組みは貧しさの上に成り立っている。子どもも同様で、彼らは中学生になると、もう大会社の社長を望むというような夢はほとんどもたない。自分たちはサラリーマンになるものときめてかかっている子どもが多いのだ。
 次に、奇妙な精神的風土というのは、現象的にいわゆる″現代っ子″が登場してきても、おなみだちょうだい式の少女マンガがいまなおあとをたたないことに象徴されている精神的構造のことである。
 ソビエトの作家アレクセイ・トルストイに『母と少女』という作品がある。第二次大戦中、対ナチ協力者のために主人公の少女ワーリャの母親が殺される。一度、村を出、だれとも口をきかなくなったワーリャはソビエト軍にひろわれて、彼らといっしょに住むようになる。そのうちワーリャは母親を密告したナチ協力者をさがしはじめ、二百キロの道のりを歩いて、とうとうあいての男をみつけだす。その男ミヘイはとらえられて軍法会議で死刑の判決が下される。法廷となった小学校の運動場に集まった村人たちは判決に拍手をおくり、女の人の声がにくしみをこめてさけぶ。
「″そんな男は死刑じゃたりないよ……皮をひんむいてやらなきゃ!……″ワーリャはそのすぐそばに立っていました。ワーリャはふるえるこぶしをにぎりしめて、じっとミヘイをにらみつけました……。」
 これについて日本のある子どもは次のような感想文を書いた。「ぼくはこの物語を読んで、ミヘイをにくめない。もっとにくみたいものがある。″目には目を、歯には歯を″戦争はきびしく、ざんこくだ。ぼくは少女の母や、多くの人たちや、ミヘイ自身を殺した戦争をにくむ。そして、二度とこういう物語のできない世の中がくることをねがわずにはいられない。」
 このミヘイをにくまず、戦争をにくむという感想は、広く慈悲を及ぼす仏教思想のなれのはてと見ることもできようし、平和強調・暴力否定の教育の結果と見ることもできよう。
 だが、いずれにしろ、この感想の特徴は心情によりかかっているところである。「戦争はきびしく、ざんこく」、「戦争をにくむ」そして、平和を「ねがわずにはいられない」と、つぎつぎに心情が展開していく。ここには論理はない。心情による完成、それだけである。ミヘイも少女の母も同様に犠牲者と見るのは、戦争を「目には目を、歯には歯を」と心情的な面でしか受けとめないためである。その結果、ふたりの差、自他の区別は失われる。
 ミヘイはやはり徹底的ににくまなければならない。ミヘイは戦争にひと役買っているのであり、ミヘイをにくまなければ、平和な世の中はつくれない。だが、この感想文の筆者は戦争の中にいたミヘイを見ず、ミヘイをはるかにこえた戦争を設定する。この際、戦争は天災に似ている。ミヘイも少女の母も天災におそわれたのだ。
 現代の錯綜した子どもの姿をこの断片的な感想文で代表させることはできない。だが、中学生たちと話しあって思うことは、彼らの多くが受験体制を自分たちを苦しめるものとして受けとってはいても、その存在の意味を考えようとはしないのである。これはただ彼らの知識の不足だけによるものだろうか。

 児童文学のリアリズム

 人間と民族の行動の原型をとらえる児童文学、これをめざして進むとき、まず第一につきあたるのは自然主義リアリズムとでもいうような作品が生み出される精神的風土である。現実のみじめさ、まずしさを主張することによって社会主義を主張する作品が多いのだ。
 ここでは現実はのっぺらぼうの様相を呈する。行動というものは、行動をおこすということばがあるとおり、発端があり、過程があり、結末がある。そして、その全経過をつらぬく緊張がある。その行動の美意識をぼくを含む多くの児童文学の書き手たちは持ち合わせていない。心情のリアリズムしか生まれない所以である。
 したがって、ここに要求されるのは、神宮のいう「架空の物語」である。児童文学は架空の物語だといういい方は一見奇妙だが、これはとりあえずは小説はフィクションであるということと、別にかわりはない。ただフィクションであるということだけですまされないのは、原型的行動はつねに現実をねじふせ、自分と現実をかえるということである。これが子どもの論理とつながっていく。
 そして、受けつぐべき伝統は批判の対象であり、子ども対おとなのあり方というわく組みも存在していない。これは悲観的な材料しかないということではない。過去をさぐれば、たとえばぼくの少年時代、橋のたもとの地蔵さまの祭は子どもたちが主催する祭であった。村落共同体の一組織ではあっても、そこには子どもたちの自治があった。また現在には学力テストを阻止しようとした子どもたちがいる。
 あるひとりの子どもは次のような作文を書いた。
   花
 妹はいつも花をかわいがりますが、私はあまりかわいがりません。だから、おかあさんは「花は心をたのしませるためにあるのだから、少しは幸子もかわいがりなさい」といいます。
 でも、今は花が大すきです。それは私の机の上には、きれいな花がいつもかざられているからです。私はこの花をみて思いました。
「春の花、きれいな花ね。この花は雨の日も風のふく日も、のびのびとそだっていく。花びらがこっちをむいて、とてもたのしそう。風がふくたびにゆらゆらゆれているので、おにごっこをしているようだ。」
 こんどから花を見て、楽しくすごそうと思います。
   ギャフン
母「あら、ここにあったパンしらない」
子「おなかのすいたかわいそうな子にあげたよ」
母「まあ、えらいねえ、それでだれにあげたの」
子「この私よ」
母「ギャフン」
 共に一枚の学校新聞にのっていたもので、「ギャフン」の方は笑い話となっている。
 この「ギャフン」は何か雑誌で読んだもの、あるいはマンガが記憶に残って出てきたものだろう。が、それを作者がふたたび書く。「ギャフン」のような生活を作者が楽しいものと思っているからにちがいない。
 だが、一方「花」の方は修身的であり、作者は母のことばどおり、花を見て楽しくすごす少女になろうという。そして、そのことばにもかかわらず、花の美しさはまったくといってよいほどとらえられていない。
「花」は現実であり、「ギャフン」は空想である。このいわば空想のなかのできごとを現実化するとき、児童文学のリアリズムは生まれる。『エミールと少年探偵たち』『オタバリの少年探偵たち』その他どろぼうついせき、たいほの少年小説は、どろぼうをつかまえてみたいという子どもの欲求の上に成り立っているのである。ただ江戸川乱歩の『怪人二十面相』がリアリズムにならないのは、日常的法則性の上にできあがったものではないからである。
 だが、さきにいったように日本には子ども対おとなのあり方というわく組みもなく、子ども自身の伝統もない。子どもたちが湖の上にヨットを走らせ海賊ごっこをするランサムの経済的豊かさもない。ぼくたちはこのまずしさの上に立って「日本的法則」を発見しなければならない。

 伝統に法則と形を

 その出発には『オタバリの少年探偵たち』が何ほどかの参考になるだろう。ひとりの少年は本屋の地下室にもぐり、水鉄砲をかまえている。その窓は本屋の陳列棚の下にある。棚をのぞきこんだ校長先生の靴は水鉄砲の泥水をかけられる。すると、道のむこうがわに靴みがきの少年がひかえているという寸法である。
『オタバリの少年探偵たち』はフランス映画『ぼくらのチンピラ』を見て書いたもので、いくらかイギリス的でないかもしれないそうだ。それはあるいはこの靴みがきのいわば無責任さにも出ているのだろうか。日本のいわゆる〈現代っ子〉たちには行動も生まれはじめている。ただ〈現代っ子〉の場合には、その行動が大きな人間的欲望を満たすという行動には組織されていない。
 それを組織し、方向づけることによって、自分自身の道を発見するのが児童文学者なのだろうが、その際、「花」と「ギャフン」の作者が同一人物であったことは忘れてはなるまい。否定すべき伝統が自分自身のうちにあり、現実の貧しさのなかで受験競争が行われることを見れば、人間が人肉を食ったはるかな昔は現在のなかにある。児童文学の出発点はここにある。足もとにある暗黒の淵を見ないかぎり、児童文学の〈あかるさ〉は見せかけのあかるさに終る。のぞきこむ淵の深さはバネに似ていて、深ければ深いほどぼくたちは空高く跳躍することができる。
 そして、伝統とはその世代ごとに次の世代にゆずりわたしていくものだとすれば、ぼくたち三十代の戦争中の少年時代の体験も、いまの子どもの財産にしなければならぬ。学徒動員で家を離れ、何十人、何百人かの合宿が行われたとき、かえって家のくさびから解放され、上級生下級生の秩序も混乱して、自由とよんでもよいようなものが生まれはじめていたこともあったのだ。戦争後の自由とは質のちがう自由が芽生え、おそらくそれといささかのつながりを持って、八月十五日には天皇を殺して抗戦しようという声も出てきたのである。この少年時代の経歴に心情の実感を越える法則と形を与えなければならないのだ。
 さらにまた埋もれた伝統がある。たとえば先に名をだした『少年倶楽部』の諸作品は児童文学としてはまだ認められていない。佐藤紅緑も山中峯太郎も、今日の児童文学研究者たちが認めなければならないほどの完成には達し得なかったのかもしれないが、彼らがその作品の底辺に持っていたひろがりの大きさを思えば、いま児童文学の伝統といわれるものは、日本のほんの一部を代表したものにすぎない。ぼくたちがナショナルをめざすなら、埋もれたさまざまの可能性は総合されなければならぬ。
 しかし、それはかならずしも過去を研究することではないだろう。むしろ自分自身のうちに生きている伝統に法則と形を与えることである。伝統的童話に対する挑戦はこの自分をとらえ、表現する方法を普遍的なものとしてつかむために行われた。
 そして、その法則と形とは人間発展の行動の原型としてとらえられなければならぬ。そのとき、民族の行動の原型も姿をあらわすだろう。伝統とは現在を乗りこえていく、その行動のなかではじめてとらえられるものなのである。
(『人間の科学』一九六四年十一月)
テキストファイル化小林繁雄