I 国語教育と文学教育のちがいについての感想
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本誌八三号にある夏目武子さんの『最後の授業』(ドーデー『月曜物語』)の実践報告のなかで、ぼくに複雑な思いをさせたところがある。夏目さんは厚木基地の農民について生徒たちとかわした対話のことを書き、「アメル先生をくぐることで、あの農民の屈辱感が実感できるような感情が育まれたらmもちろん直線的にすぐにというのではんく、将来実感できるようなきっかけが作られたら、私は役目をはたしたといえるだろう」としるした。
ぼくの複雑な思いというのは、そこから生まれた。日本に住みながら、外国作品をくぐらなければならないのか。そういう吐息めいた思いがまず生まれたのであり、その思いはぼく自身が子どもの読物を書くしごとをやっていて、『最後の授業』のような作品は書いていない、というところにも帰ってくる。
だが、いまナショナリズムの作品を書くことは非常にむずかしい。昭和二十年の八月十五日を、ぼくたちは屈辱の日というよりも、戦争から開放された日として受けとっている。そして、おそらく開放は事実であり、同時にぼくたちの新しい屈辱はその日からはじまっている。この矛盾した立場をどのようにとらえればよいのか、ドーデーのようにはいかないのである。
しかし、そのことは文学教育とは直接の関係はない。関係があるのは沖縄のことである。沖縄ではソロバンを一円二円とやるのか、一ドル二ドルとやるのか、だれかがその疑問を出していて、ぼくも以来そのことにひっかかっているが、沖縄の通貨がドルであることは『最後の授業』と関係があるはずだ。日本人が住む日本の国土でアメリカの通貨しか通用しない、そのことを知るか知らないかでは『最後の授業』の受けとり方はちがうのではないか。だが、それを、いわば逆に『最後の授業』の方からしらせていこうとするところに、現在の文学教育の特殊性がある。
文学教育の目的のひとつには文学作品のおもしろさを知るということがあると思う。そのおもしろさを知るためには、国語科以外の教科、また子どもが自分の生活から学んだものが、大きくものをいう。知識・経験の豊かさや深さ、また他教科で養われたものの考え方が文学作品理解の底辺となっている。よく文学作品によって人生への目をひらかれたということが語られるが、これは素地があったから目をひらかれたのであり、何もないところで文学作品を読んだところで、文学作品の力は発揮されないのである。
つまり、人生→文学作品→人生という関係がある。この最初に人生を文学とはちがう次元・領域で拡大していくことが、文学教育を進めるのに大きな役割をはたすのではないか。ところが、文学教育のこういう底辺をつくるしごとよりも、文学教育によって人生を拡大しようとする、そうした傾向の方がはるかに強いようである。だが、それが現在の文学教育のよって立つひとつの理由であるならば、その方向ももっと推進しなければならぬと、ぼくは思う。その線から考えれば、ぼくはいぜん西郷竹彦提案の『最後の授業』についてぼくが書いたことに細くしなければならぬ。
『最後の授業』の授業を教室で完結させるな。日本の作品を読んでやってもらいたい。岡本良雄『太陽と自動車』(『岡本良雄全集』講談社)、松谷みよ子『黒い蝶』(『茂吉のねこ』所収・盛光社)は、占領下の日本・基地日本を書いたものである。この二編は短編で小学校高学年向けのもの。また基地をかいた長編『山が泣いてる』(『もんぺの子』同人作・理論社)も学校図書館・学級文庫にそなえてもらいたい。さらにそれを発展させれば、いぬいとみこ作『うみねこの空』(理論社)に至る。
『最後の授業』をいまの日本の教室でとりあげるには、以上のような前後の作業が必要であろう。日本の現状をたえまなく認識させる文学とはちがう次元・領域の作業、そして日本人の手による占領下の日本を書いた作品を読むこと。ぼくはあらためてこのコースのなかに『最後の授業』を位置づけたい。どなたか、『太郎と自動車』にまで発展し、今日の沖縄にふれる授業(?)をやってみてくれないものだろうか。
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前述のコースにおける『最後の授業』の位置は、国語教育のなかの『最後の授業』の位置とはちがう。
ぼくは『うみねこの空』について、この作品は運動に参加している子どもたちでなければおもしろがらないだろうと、いったことがある。青森県八戸の蕉島に住むウミネコと、そのウミネコの版画を書く中学生たちを通して日本の矛盾が語られる。この作品はここ数年間の児童文学がとにもかくにも「おもしろさ」(そのおもしろさの質はさまざまだが)をめざしているのとちがって、「おもしろさ」を無視している。だから、読者自身、版画だとか作文だとか、前節でいった文学とはちがう領域の作業を通して日本を認識しようとしているのでなければ読みづらいにちがいない。それを極端にいえば「運動」ということになる。
もともと文学教育にふたつの側面があった。ひとつは日本の現状の認識、ひいては変革のために文学作品の機能を役立てようという面であり、もうひとつは子どもたちに文学を理解させようという面である。このふたつは原則的には統一できる。だが、その統一の方向は後者に傾いている。文学作品の機能を役立てようとすれば、文学を理解させることがまず必要という考え方が成り立つのであり、この理解の方法が国語教育の内部にとじこもるとき、運動的観点は見失われた。
ぼくがときどき教師の集まりに出かけていって、もっともこまるのは「作者の意図」という問題が出てくるときである。子どもが『うみねこの空』の作者は日本の矛盾を書こうとした、という答を出したところで、どうしようもないではないか。その矛盾を読者がどう受けとったかということの方に問題がある。
文学の理解を深くしようとして、かえってせまくしている面が「作者の意図」ということばなかにある。作者は意図しても、その表現はかならずしも十分ではない場合が多いし、また作者の意識にのぼらないものが表現されて意図を裏切る場合もある。さらには作者の意図というものは、抽象的なことばにはなかなか還元されないものである。意図などはどうでもよいのであって、作品全体から何を受けとったかということの方がはるかに大切だし、それを受けとるためには、何度もくりかえすが、文学とはちがう領域の作業が必要なのである。
国語教育の方法と文学教育の方法との癒着は「主題」ということにもあらわれているように思う。ある作品が何を言っているかということは、むしろ
論文のようなものでこそ要求されることであり、文学作品の場合、主題は読者によってある程度の差が出てくるものである。
そして、たとえばあらすじを話すことができるということは、文学教育に不可欠の作業でもなく、文学教育の評価にもならないだろう。それは要約能力と口頭による発表力が育てられたことであり、文学理解とは直接的な関係をもっていない。
こまかくいえば、新出語句などの指導も必要なのか、どうなのか。極端かもしれないが、ぼくは教科書であっても文学作品のむずかしい漢字にはルビをふったらどうかと思っている。文字からくる抵抗感をできるだけ少なくしておかなければ文学教育の効果はあがらない。そして、はっきりした意味はわからないでも、読むことができれば漢字も難語句もおぼろげにはわかるものなのである。
文学作品が国語教育の教材に用いられた際には、あらすじを話せるようになることも、語句の指導も必要だろう。しかし、文学作品が文学教育の教材に用いられるなら、もっとちがったやり方が考えられるように思う。文学作品を教材にすれば文学教育、という考えは成り立たない。
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さきにいった、文学作品の機能を役立てるという考えの中には、文学作品というものは一定の教育を受けた子どもには理解できるものだという考えが、暗黙のうちにふくまれている。
文学教育の出発点はやはりここだと、ぼくは思う。ただしそれは現実の認識や変革という立場をだけ固執することではなく、子どもの全面的発達に役立つ文学作品をあつかう、というやり方もふくめてのことである。
そして、この「一定の教育」というなかには国語教育、いや言語教育(というべきか。今までこの文中で使ってきた国語教育ということばがあいまいなことにいま気づいたが、これについてはまだ後日考えたい)もはいっている。語句や漢字は一応言語教育にまかせて、ぼくは出発したい。
子どものとき、小学校五年であったと思うが、太平記を読んだことがある。父がそれを見て「お前、それがわかるのか」という。いま考えれば、その太平記は原文なのであって、父がそういったのもむりはないと思う。しかし、そのときは父の問いが不思議であって、わかるもわからないもない、おもしろいから読んでいるのではないか、と思った。
また、かつての『少年倶楽部』の愛読者たちは佐藤紅緑の小説に感激したはずである。紅緑のように実にむずかしいことばを使っていても、それが抵抗になっていない。
文学作品と読者との基本的な関係はそういうかたちのものであって、読んでしまえばその作品はすでに理解されている。
この第一次の文学的体験よりも高度なものにしていく、それが文学教育なのだろう。そして、作品がすでに理解されている以上、作中人物の名前とか、主人公がどう行動したかというようなたしかめからはじめることは不必要だと、ぼくは思う。ただまっしぐらにこの作品をどううけとったかということに進むべきではないか、と思う。
まっしぐらに、というのは先日ある中学校で授業を見る機会が与えられた、漱石の『坊ちゃん』が教材で、なごやかなふんい気のなかで授業が進められ、ぼくは楽しかったが、主人公の性格の特徴的な面を箇条書ふうにあげていき、その性格の諸要素について、先生が全員になっとくさせるように、いちいち念をおしていくのが気になった。
たとえば「むてっぽう」「あけっぴろげ」などという答が出てくる。では、それは本文のどこでわかるか、どこに出ているか、という先生の問。これはどうも国語教育(言語教育)のやり方のようにぼくは思える。
この先生の問にはふたつの効果があって、その第一は「あけっぴろげ」なら「あけっぴろげ」をもう一度考えさせることで、そのことばの意味をさらに深くさせる。第二には、ひとりがそのように読みとったものを学級全員のものにする、ということだ。
その第一の方の効果は文学教材出なければ、なかなか発揮できないものだろう。国語教育のなかで文学教材はやはりなくてはならぬものだ。しかし、いま(授業を見せてもらったときにはまだ考えつかなかったが)思うと、どうもあの授業にはまず内容の読みとり、それをみんなのものとして、次の段階に進むというやり方があった。こういう段階的進め方が国語教育との癒着だと思う。
ところが、全体の授業計画を見ると、感想文を書くことがぼくの見た授業以前におこなわれている。その感想文がぼくの見た授業のなかでは生かされていなかった。実は感想文と感想文とのぶつかりあいのなかから、作品内容、坊ちゃんの性格を見直さなければならなくなる、という授業計画ではなかったのか。
そうした授業計画はおとなたちの作品研究のやり方と似ている。おたがいに感想を出しあい、その感想のぶつかりあいによって、作品が見直され、感想の細部が訂正され、あるいはとるに足りないと思っていたことがふくらみはじめて感想は姿をかえる。
おとなの場合、のちのちまでも心にのこるような研究会は、それ自身芸術的である。芸術的であるということばがふさわしくないとするなら、人生に基礎をおきながら日常生活の流れとはいったん切れた、統一的基調を持つ世界である。その研究会の流れにはクライマックスがあり、終わりがある。こうした研究会では、ひとこともしゃべらない人も深い満足をおぼえている。
うまくいった一時間の授業はこうした研究会と似ているはずだ。そこで教師の問題も出てくる。教師がもしもくだらないと自分で思う作品を材料とした場合は、そういう授業がおこなえるかどうか。
うまくいく授業と、うまくいかない授業とがある。つねに授業に成功する、ということはありえない。だが、教師は教育の専門家である以上、これから落ちてはならぬという水準がある。
とにかく、ぼくがおぼろげに考える文学教育の授業は国語教育との癒着のない授業である。そのモデルはおとなの研究会のあり方である。そして、その考えの基礎は童話・小説というものが、一定の教育を受けた子どもには理解できる、という約束の上に成り立っている、ということである。
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だが、そういう文学教育は小学校低学年でも成り立つのだろうか。また、それぞれの感想発表が授業の重要な一部をしめしていることは、その感想文が文章であろうと、口頭であろうとにかかわらず、すでに発表能力が養われている子どもたちを前提としているのではないか、という疑問は出てくるだろう。
前者については、低学年には低学年なりの変化はあっても、本質は別にかわらないということになるだろう。後者については、教材がおもしろければ、つまり読者の関心をよびおこすものを強烈に持っていれば、子どもは表現する、ということになるだろう。
ところで、国語教育との癒着ということについて補則すると、文学教育理論は年を追って精密になってきた。その文学教育理論の精密化のなかにも、ぼくは国語教育との癒着を感じる。
たとえば、「いつ・どこで・だれが……」というようなこと、また前にもふれた「主題」というようなことである。文学作品をそのように分析していくことは、たしかに文学作品を「理解」させるだろう。だが、その分析が最初の感動を保持しながら「文学的体験」を深めていくということにはならない。これらはほとんどの場合、文学作品の解釈に終わるのではないか。ぼくにとって、それらは作品内容の客観的読みとり作業であって、文学教育とは考えられない。
そこでは読者の主体的な受けとり方が無視される。また多種多様な文学教材をすべて一定の切り方で扱うというあやまちをおかすことになる。
「いつ・どこで……」に食ってかかれば、これは散文で書かれた小説の読み方であり、小川未明や浜田広介の童話には適用できない。作品全体が人を酔わせるような機能を持つ、こうした童話は「いつ・どこで……」がわかったところで、その文学的価値の理解もできないのである。
最近出た、小沢正の『目をさませトラゴロウ』(理論社)という幼年童話。この作品は大河原忠蔵のいった「状況認識の文学教育」にぴたりとくる作品だと思うが、この本のなかの短編は「主題」をさがしたところで、表面的な主題しか出てこない。知られた作品の例をあげれば『ふしぎの国のアリス』の主題はいったい何なのか。
また精密な文学教育理論のなかで見落とされているものとして、文体の問題がある。作中人物もその環境も文体によって限定されている。未明・広介童話はその主観的文体によってひとつの世界をつくりあげているのであり、壺井栄では物語的文体が基調となっている。その文体をはずして文学教育ができるものとはぼくは思えない。その研究はもっと進められなければならないが、文体は最終的には、理解できるものというより体験すべきものである。
文学教育理論が進み、精密化するにつれ、授業が重視され、それはおおいにけっこうなことではあるが、その反面、多くの作品を読んで文学の底辺をひろげるという作業は軽視されがちになったのではなかろうか。多数の作品の経験と、一遍の作品の精密な検討、両者をともなわない文学教育は力が弱い。
もうひとつ、読んで以来数ヶ月、心にのこってはなれない文章がある。第二次大戦中、収容所で殺されたポーランド少年ののこした手紙である。
「なつかしい父さん、母さん!青い空が全部紙で、世界じゅうの海が全部インクだとしても、ぼくの苦しみや、ぼくのまわりでみたことは、とても全部は書きつくせないくらいだよ。」(『いのちの炎は燃えて』至文堂)
この書きだしにぼくは胸をうたれた。「青い空が全部紙で、世界じゅうの海が全部インクだとしても」という表現の力は、いったいどこで養われたものか。こうした表現は現在の日本の作文教育の上に成り立つだろうか。むしろ文学――それも詩と古典の力ではないかと、ぼくは思う。ここにも文学教育の問題がひとつ提出されている。 (『教育科学国語教育』一九六五年一二月)
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