N 軍国主義・児童文化・子ども
1
一八九〇年、といえば日本の元号では明治二十三年である。この年、日本の教育・児童文化史の年表から絶対落とすことのできない、ふたつのできごとがある。
ひとつは、いうまでもなく教育勅語である。「朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」にはじまる、この勅語には読み方があったのか、私が教えられた小・中学校の校長は、そのおわりの「明治二十三年十月三十日 御名御璽」というところを、かならず声を落として読んだものだ。この声の低さと、勅語朗読の前にはかならずおしっこをしたくなったことが、私の記憶には残っている。
もうひとつのできごとは、この年の八月、『女学雑誌』に若松賤子訳『小公子』が連載されはじめたことである。私はこの雑誌の現物を見たことはないが、彼女の夫・巌本善治によれば、六回掲載ののち、一冊にまとめ、『小公子』前編として、明治二十五年三月に発売された(岩波文庫『小公子』の後序)という。
このときの序文が深く私の心を打つ。それは次のようにはじまった。「母と共に野外に逍遙する幼子が、幹の屈曲が尋常ならぬ一本の立木に指ざして、『かあさん、あの木は小さい時誰かに踏まれたのですねい』と申したとか。考へてみますと、見事に発育すべきものを遮り、素直に生い立つ筈のものを屈曲するほど、無情なことは実に稀で御座ります。」
おそらく若松賤子にはその意志はなかったろうが、この序文は間接的には実にみごとな教育勅語批判である。「美事に発育すべきものを遮り、素直に生ひ立つ筈のものを屈曲」させたのは、教育勅語ではなかったか。今日、教育勅語をふりかえってみれば、これは冷酷無残、人間的感情のかけらすらない。
こうして一八九〇年は、日本の教育、児童文化にとって象徴的な年である。以後、子どもをみごとに発育させようとする動きと、子どもをふみにじり、くなられるものとが、教育、児童文化の歴史を通じてあらそいあう。巨視的に見れば、日本の教育、児童文化の歴史は、このふたつの流れによってかたちづくられているのである。そして、つねに権力がわの力がはるかに強大であった。
教育史のことは知らないが、児童文学史では、権力がわの力が強大であったことが、よく叙述の中から抜け落ちる。児童文学史は多くの場合、作品と作家に目を注ぐことで、その発展を語るが、権力がわの作品には、記録するほどのものがないからである。また児童文学史はかならずしも、子どもをどのような人間に育て上げていくか、という人間形成の歴史ではないからである。
だから、私たちは児童文学史を読む際、その抜け落ちているものを補足して読まねばならぬ。児童文学史はおもに『小公子』の流れをたどっていくものであり、記録はされないが、それを包みこむものとして、まず第一に教科書があった。
そこへ、社会の進展にともない、大部数発行の児童雑誌がくわわってくる。あらっぽいことを承知でいえば、権力がわはつねに義務教育教科書と、大部数発行の児童雑誌とをにぎっていた。『少年倶楽部』がどのように再評価されようと、この雑誌が、少年たちを軍国主義へとかり立てていった事実は消え去らない。教科書も大部数発行の児童雑誌とは、あいともない、あいおぎなうかたちで、権力の望む方向へ少年たちを教育していったのである。
戦前の国定教科書と児童雑誌との関係は、今日も同様に生きている。いや、社会の構造の変化、それにともなうマスコミの発達を考えると、戦前よりも児童雑誌の影響力はもっと大きい、といえるかもしれない。
ある読書運動指導者の話によると、日本の子どものうち読書人口といえるのは、五%だそうである。読書の内容規定や調査方法がはっきりしていないので、この数字は正確とはいえないが、もしそうだとすれば、残りの九五%の子どもは、教科書と児童雑誌しか読んでいないことになる。
いくらなんでも五%とは、とくびをかしげる人のために、正確な調査の一例をあげておこう。私の住む町の小学校三年生九十九人を対象にした調査である。この調査によると、一学期のあいだ、一冊も物語類(物語、童話、伝記)の単行本を買わなかった(買ってくれなかった)子どもが四十六人いる。買わなくても、学校図書館の本を読んだ、ということはあり得るが、それにしても本への関心は薄いのである。
想像してもらいたい。ひとりの子どもがいる。その子は、自分の本当いうものは二、三冊しか持っていない。そして、一学期のあいだ、学校図書館の本を一、二冊しか読まなかった。この子は豊かにひろがる本の世界を知らない。たった百二十七歳の子むすめの魔女が、呪文をまちがえてカエルの雨をふらせたり、巨人が山を持ち上げて海になげこんだりする世界を知らない。
この子の認識と想像力を深め、ひろげていく文化的手段は、次の三つである。教科書と児童雑誌とテレビ───この三つのメディアを通して流れこむ思想・感覚・知識がこの子を育てていく。この子の想像の世界は怪獣や、妖怪や、未来線の武器でみたされていく。
数年前、オバQはなやかだったころ、ある幼稚園のあるクラス、二十三人の幼児は、自分の好きな絵をかきなさい、といわれて、二十二人までがオバQの絵をかいたのだ。
2
そこで、児童雑誌の内容だが、その前にどんな児童雑誌が出ているかということと、その発行部数について、簡単にしるしておこう。
少年週刊誌は現在三誌。『少年マガジン』(講談社)百万、『少年サンデー』(小学館)八十万、『少年キング』(少年画報社)五十万である。部数は公称部数。七月には『少年ジャンプ』がこれにくわわる。少女週刊誌は二誌、『マーガレット』(集英社)『少女フレンド』(講談社)である。
このそれぞれに別冊があり、増刊があり、『少年画報』『少年ブック』ほかの月刊誌があるから、本屋の店先はまったくにぎやかだ。
この児童雑誌の上で軍国主義は黒いつばさをのばす。たとえば『少年キング』六月二日号の漫画のらん外には「自衛隊手帳」というのがある。
「自衛隊は、毎年、台風、地震、水害などの救助にかつやくしています。昭和四一年には、のべ五七五回出動して、のべ十三万人がはたらきました。」
「農家が手不足でこまっているときも、自衛隊がてつだいにでることがあります。昭和四十一年には、のべ五万八八六九人がはたらきました。」
そのほか、自衛隊についてのさまざまな知識が書きこまれているが、いま引用した文章でわかるように、これは自衛隊の宣伝となっている。
『少年ブック』(集英社)七月号の付録には、「第七艦隊精密模型セット」として、「F−4Bファントム戦闘機」「A−4Eスカイホーク攻撃機」があり、「エンタープライズ完全図解」がある。この図解には「世界最大の超原子力空母 エンタープライズ号の勇姿!」という、あおり文句がついている。佐世保港寄港をめぐって、日本全国であれほど議論がふっとうした、この原子力空母の扱いがこうなのである。
私はさきに、権力がわの作品には記録するほどのものがないから児童文学史から抜け落ちる、といった。一行知識の「自衛隊手帳」や、付録「エンタープライズ完全図解」は、やはり児童文学史には記載されないだろう。
だが、これらがある役割をはたすことは見えている。ひとつ、ひとつは断片的なものだが、その存在に子どもたちはならされていく。しかし、「エンタープライズ号の勇姿!」という、心情的価値判断のくわわったことば「勇姿」がはいることで、子どもの心はエンタープライズ肯定の方向へ向けられる。
もちろん子ども自身しんこ細工ではなく、そう簡単には動かされないが、そのつみ上げの結果はおそろしい。
日本児童文学者協会や、日本作文の会などが小学館に賞品の取りかえを申し込んだ<『あかつき戦闘機』大懸賞>も、エンプラ図解と同様に、軍国主義・侵略戦争肯定の方向を築き上げていく、小さいレンガの一箇である。
こういう断片的なものは、あげていくと際限がない。旧日本帝国海軍兵学校の制服を一等にした、この <『あかつき戦闘機』大懸賞>問題の進行中、『少年サンデー』はこんどは「明治百年記念」として「日清・日露戦争名画集」をのせた。
ここでは、「死んでもラッパを口からはなさなかった」木口小平、玄武門破りの原田一等兵、遼陽の戦いの橘中佐などの人物が登場する。
これは完全な復古調だが、私は、奇妙なことにはこれを見ていて、漫画『ケネディ騎士団』(『少年ブック』連載・望月三起也作)を思い出した。『ケネディ騎士団』は、現代を部隊にした国際スパイ漫画、とでもいうもので、現在の代表的漫画のひとつ、別に復古調ではない。
それをなぜ連想したのか。そのことを説明すると、まず一八八〇・九〇年代の歴史的事件がある。教育勅語、『小公子』の年の一八九〇年の前後のことだが、八二年、フランスはハノイを占領し、翌年、ベトナムはフランスの保護国化される。八六年、ビルマは英国に合併され、それから九〇年があり、九四年が日清戦争の年となる。日本もここでおくればせながら、侵略戦争のなかま入りをしたのであった。
木口小平も、原田一等兵も、この帝国主義戦争遂行の部品のひとつである。そこで『ケネディ騎士団』だが、これはアメリカ大統領ジョン・ケネディの遺志により、世界各国につくられた<平和>を守る騎士団である。騎士になれるのは少年だけ。その本部は日本最大の自衛隊基地・立山基地の地下にある。
命令一下、少年騎士たちは<世界平和>を守るために飛び出していく。ところが、この<世界平和>というのは、つねに現状維持なのだ。少年たちは現体制維持のためにたたかうのであり、しかも命令を下すのは、ケネディの親友の日本人のおとなである。
こうして、『ケネディ騎士団』の少年たちも、実は一箇の部品にしかすぎない。「ニューフロンティア漫画」と銘うった、このいかにも現代的な漫画は、本質的なところでは木口小平と相通じている。
この『ケネディ騎士団』と木口小平との関連は、今日の軍国主義化が、かつてのそれとはちがって、はるかに広く、深く、人間の画一化、部品化の中で進行していることを物語っている。
3
ここで、子どもたちに目を向けてみよう。
ある日、私は東京江東区の小学校へ行った。太平洋戦争の読み物を書くために、子どもたちの戦争観、戦争についての知識の度あいを、いくらかでも知りたいと思ったからである。
子どもたちは五年生、男女あわせて三十数人。
私はまず、有名な零戦乗りを知っているなら、その名をあげてくれ、とたずねた。男子がひとりだけ手をあげ、坂井三郎と答えた。この子は戦争物にくわしく、戦記に出てくる人物についても、ある程度知っていた。しかし、マレー半島の戦車隊長島田豊作のことは知らない。
そして、ほかの子は戦争中の人物について、ほとんど知らない。これはおそらく、週刊誌の戦記ブームが過ぎ去ったためであろう。数年前の子どもなら、よく知っていたはずである。
疎開や防空壕について、子どもたちはおぼろげな知識を持っている。しかし、勤労動員、徴用となると、これはもうわからない。こどもたちは戦艦大和や、零戦を知ってはいても、その当時の国民生活はほとんど知らないのである。このことをしらせる物語を書かねばならぬことを、私は確認した。
大きな質問をひとつ、出してみる。
「きみたちは日本が戦争に勝った方がよかったと思うか、それとも負けた方がよかったと思うか。」
いっせいに答えが出る。
「勝った方がよかった。」
その理由をたずねてみる。ひとりはこう答えた。
「日本が勝ってれば、アメリカがベトナムへ来ることがなくて、ベトナム戦争がおこらないから。」
「そうかな。きみはホーチーミンを知ってるだろ。昭和十六年、日本軍は、そのころフランスの植民地だったベトナムにはいったんだ。その年、ベトナムではいまの解放戦線と北ベトナムの前身になる団体ができている。その指導者がホーチーミンだ。昭和十七年、ホーチーミンはフランスと日本、両方に対してたたかう、という方針を出した。」
抗日・抗仏というかたちで、ベトナム独立のたたかいが進められたことを、私は話した。
やがて、子どもたちの中から手があがる。四人、彼らは戦争にまけてよかった、といい、それぞれの理由を述べた。すべて、うなずける理由であった。だが、ほかの子どもたちはまだなっとくのいかない顔をしている。
ベトナム戦争のことは別にして、子どもたちは単純に、わが国日本が勝てばよかった、と思っているらしい。私は、釈然としない子どもたちの顔を見て、ある責任を感じた。あの戦争の本質(といっても、私には深くわかっているわけではないが)をつたえる、子どものための物語は実に少ないのである。
そして単純に、わが国が勝てばよかった、と思うのは、しごくあたりまえの感情である。その大多数の感情にむかえられて、ふたたび、死のラッパ手、木口小平はよみがえるかもしれない。木口小平がカッコ悪いなら、太平洋戦争の勇士たちの物語が生まれてくる。<悲劇の名将>山本五十六など、何度も児童雑誌に登場してくる可能性がある。
戦記そのものが悪いわけではない。あの戦争を肯定する、あるいは勇壮な場面だけを取り出す戦記が悪いのであり、むしろ、ちゃんとした戦記がないことこそ、私たちはしんけんに考える必要がある。
そして、利用すべき戦記、戦争小説がないときは、教師は自分でそれを子どもたちに語るべきだろう。その際、子どもの知識を上まわる通俗戦記の知識と、アジアの現代史の知識がなければならない。このとき、教師は一編の作品をつくり上げる創造者なのだから。
4
だが、戦記対戦争児童文学という対決のしかただけでは、不十分である。なぜなら、さきにいったように、今日の軍国主義は人間の画一化の中で進行している。こんどの指導要領改訂では、技能的な面の強化がある。技術のみ高度に、という方向が見られるのであり、これは人間の部品化と見合っている。
それとともに、それにつながってか、一方では感受性の死が進行している。『マガジン』連載のさいとう・たかおの『無用之介』、これは刺激的な絵ではあっても、子どもの感覚を豊かにそだてるものとは正反対のものである。
そして、少女物の古賀新一。江東区の小学校で、戦争の話がおわったあと、子どもたちと児童雑誌のことを話しあったが、そのとき、私は「古賀新一はきらいだよ」といった。すると、少女たちはいっせいに「きいい」と声をあげ、私にこぶしをつきつけて「古賀新一はいいわよう」と、いったものだ。彼は『へび少女』『へび先生』などの怪奇漫画をかく。これは陰惨グロテスクである。さらに、目の大きい、まつげの長い少女漫画のむれがある。少女雑誌は少年誌にくらべて漫画の質が、はるかに落ちる。
そして、もうひとつ、今日、人気絶頂の漫画は根性物である。『マガジン』の『巨人の星』、『サンデー』の『アニマル1』、ともに、一年をこえる連載であり、ともにテレビ番組になっている。
ここでテレビと児童雑誌との関係をいうと、それは両者がおたがいPRしあう関係である。人気のあるテレビ番組は漫画になり、人気のある漫画はテレビ番組になる。
根性物にかえると、前記二作の作者はともに川崎のぼる(ただし『巨人の星』の原作は梶原一騎)さらに『サンデー』にはおなじ作者の『歌え! ムスタング』が予告されている。また戦記漫画『あかつき戦闘隊』はおわり、その作者園田光慶が『ああ! 甲子園』を七月十四日号から連載しはじめている。この『ああ! 甲子園』という題名にあらわれているように、根性物は学園・スポーツ漫画として出てくるものが多い。去年五月、私はこの根性物について次のように書いた。
「正義感と根性に、友情とライバル意識を加えたところで、学園・スポーツ漫画は成立する。そして、そのおもしろさは、この四つの要素が主人公の像として統一され、主人公があいてと全力をあげてたたかう点である。
『巨人の星』の主人公、星飛雄馬は甲子園で熊本の左門豊作と対決する。飛雄馬の父はかつての巨人軍選手であり、いまや日やとい人夫をしながら飛雄馬を高校に入れ、巨人軍選手にそだてあげようとしている。
一方、左門には父母がなく、六人の弟妹がいる。左門きょうだいは叔父の家に引き取られ、<家畜>のようにこき使われている。左門はこのどん底からはい上がる望みを、プロ野球選手になることにかけている。
投の星は打の左門をうちとらなければならず、それは左門きょうだいがどん底からはい上がろうとする願いをたちきることだ。画面には、バットをふまえた左門の背後にその弟妹の姿がえがかれるのである。
ここにある全身全力的な対決にぼくは感動する。いわゆる児童文学にはこの全身的な対決がないのだ。少年読者がこのまんがを支持するのもむりははない。
だが、ぼくの心の中ではその感動をふみとどまらせるものが同時に働く。それはこの漫画が現体制肯定の線でつらぬかれていることだ。左門きょうだいがはい上がる道は、その長男がプロ野球選手になることよりほかないのか。体制変革の方向があるはずなのである。
もちろん変革的なものが今日の雑誌にのらない(作者がやっても会社がわが拒否するにちがいない)ことは、ぼくにもわかる。だが、<巨人軍は天上にかがやく明星だ! あの巨人の星めざしてかけのぼれ!>ということばの、なんというさむざむしさ。人間と社会はもっと深く複雑であるのに、この漫画は浅いところで人間を単純化している。
『アニマル1』の主人公の東一郎はいう。<おれはきょうからレスリングにいのちをかけるぞ。そして、おれもかならずレスリングのチャンピオンになってやる。これがおれの夢だ!>なんとい小さな夢、価値観喪失の夢であることか。」
*
私はさきに、大ざっぱには権力が教科書と児童雑誌とをつかんでいる、と書いた。大きく見ればそうだが、教科書も百%権力に迎合しているわけではなく、その限界の中で著者は努力する。大部数発行の児童雑誌も、読者の心をつかむことが至上命令であり、多数の少年少女の興味をひく作品を提供しなければならない。そこでは権力への完全な同調はあり得ないので、戦前の『少年倶楽部』の立身出世主義は、不平をいわずに黙々と働くことを美徳とする国定修身とはちがっていた。
そして、いわゆる児童文学は、これも大まかには、市民的な層を基盤として成り立った。だが、大部数発行の児童雑誌は、はるかに広い層をねらう。ここで、児童文学がつかみ落とした庶民的な感覚・関心にふれあうものが素材・テーマとして選ばれ、その創作方法もまた異質である。さきにいったように、戦記は、わが国日本が勝てばよかった、という単純な心情の上に成立しているのである。
このように、部分的には否定できないものをふくみ、全体としては体制肯定、価値観喪失(というより古い価値観への復帰)の方向を示しているのが、児童雑誌とその作品群である。
その古い価値観への復帰をもっとも明瞭にあらわしているのが、根性物である。その主人公たちは技能の獲得に根性を発揮する。根性という古いものと、資本の要求する技術的人間としての、人間の画一化という現代的なものが、ここでむすびついている。
こうしたものとどのように対決していくか。それは根性物の視野のせまさをたたくことからはじまる。同時に視野の広い物語をどんどん子どもたちに与えていくことだ。
(『作文と教育』一九六八年八月)
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