『児童文学の旗』(古田足日 理論社 1970)

終章
七〇年代のためのおぼえ書
1 七〇年代・児童文学の位置

 1 変化

 まず見聞からはじめよう。
 ことし(一九六九年)九月、ぼくは神奈川県国府津の旅館で数日、しごとをした。
 その旅館を紹介してくれた人の話では、宿のすぐ裏が海岸であり、窓からは相模湾が一望のもとに眺められる、ということであった。
 行ってみて、おどろいた。宿の裏はたしかに海岸だが、ろうかから眺める相模湾が上下、二つに分断されている。ぼくの目にはいる海のちょうどまん中を、海岸に支柱を立てた道路が横切っているのである。水平線はその道路の上にあり、波打際は道路の下にあった。
 この変化を、その宿をぼくに紹介してくれた人は知らなかったらしい。
 十月、愛媛県松山へ行き、道後温泉にとまった。ぼくは愛媛県生まれで、道後の小学校へ二年間ほど通ったことがある。そのころ住んでいた家の裏に小川があり、ぼくたち兄弟はそこでよくホタルを取った。
 そのかつての家をたずねて、夜、友人たちと歩いた。ついにみつからなかった。そのあたり、ホテルが林立し、ようやくみつけた昔の小川らしいものは下水溝と化していた。
 道後平野のまん中に御幸寺山という山があった。その山を見て、またおどろいた。山が半分けずられて、赤土のはだかむき出しになっている。宅地造成がはじまっている、ということであった。
 十一月、岐阜県恵那へ行った。そこでの先生たちの話の一つ。市長はここへ工場を誘致しようとしている。しかし、工場がやってきても、もうここには労働力がない。人びとは朝、マイクロバスにつみこまれて、多治見、土岐などへ働きに出ているから、ということであった。

 この十年間、ぼくたちの環境はいちじるしく変化した。自然環境の変化だけのことではない。農民がマイクロバスで出かける工場労働者となることは、社会の構造的変化の一端なのである。
 本来なら、ぼくはここで数字をあげるべきであろう。それは十年前と、現在の両方の産業別労働者の比率である。それを見れば、農漁業に従事する人びとより、工場労働者や、サービス業に従事する人びとがぐっとふえたことが、一目瞭然となるはずである。
 残念ながら、その資料がぼくの手もとにはない。数字を示すことはできないのだが、この社会の変化は、だれもが感じ取っていることだと思う。
 この変化は、工業化社会への変化であり、また情報化社会ともいわれ、都市化現象を日本の各地にひきおこしているのだが、その変化の原因はいうまでもなく、経済のいわゆる高度成長にある。
 経済の高度成長の結果、日本の社会は構造的に変化した――それがこの十年間の一般的特長だが、この変化は児童文学と、それにつながるさまざまの分野に、いったい何をもたらしたのか。
 この変化は何よりもまず、子どもと本との結びつきを緊密なものにしていった。おおまかにいえば、戦前、本はかならずしも子どもの必需品ではなかった。親はなくとも子はそだつ、ということばのように、本はなくとも子はそだった。しかし、現在、本はなくとも子はそだつ、とは言い切れない。本は子どもの必需品化しつつある。
 この、ぜいたく品、教養のための本から、生活必需品としての本への変化は、経済の高度成長、それにともなう都市化現象、というのと同様の変化ではない。都市化は高度成長によるストレートな変化であり、本の必需品化はむしろ、高度成長のひずみに対する自衛手段としておこってきた、とぼくは考える。
 本が自衛手段、というのは、どういうことなのか。それを考えていくのには、まず社会の変化の結果、子どもがどういう環境に置かれるようになったかを、見なければならない。

 2 オモチャ・遊び場

 子どもをめぐる環境の一例として、オモチャ・遊び場の問題を取り上げてみよう。
 オモチャ・デザイナー寺内定夫氏のつねにいうことだが、現在のオモチャには動くオモチャが多い。スイッチをおせばくるくる走るオモチャの自動車、これが子どもの成長にとってどんな役割をはたすのだろうか。
 子どもはもともと手足を動かして、成長する。車輪だけが動く車である場合、子どもはその車を手にもって走らせる。ここでは、車のもち方、力の入れ方が工夫される。工夫しなければ、車は思うように動かない。
 だが、スイッチ一つで動く車の場合、子どもはただ見ているだけの存在になる。これでは子どもは成長しない。
 女の子のままごとの道具は、今日、たいてい、台所用品のミニチュアである。昔、ぼくが子どもであったとき、一枚の貝がらが茶わんとなり、皿となった。貝がらや、あきかんでままごとをする子は、想像力を働かさざるを得ない。貝がらを皿と見、あきかんのふたをなべと見る想像力がなければ、ままごと遊びは成り立たなかった。
 しかし、台所用品のミニチュアがままごと遊びの道具となるとき、想像力はかならずしも必要ではない。ここでは皿は皿、冷蔵庫は冷蔵庫としての形態が、ととのいすぎているのである。
 また、軽量プラスチック製の今日のままごとオモチャには、子どもを成長させるに足りる重量がない。手ごたえがない。こういう、抵抗のない環境に対しては、子どもは働きかけようにも、働きかけようがない。
 こうして、ととのいすぎたミニチュアの上に成り立つ、子どもの遊びはさむざむとしている。おなじ現象は、遊び場にもおこっている。
 遊び場では、遊具はほぼ二つの系列に分類することができる。一つは子どもがほとんど利用しない、名のみの遊具であって、これは遊具というより、むしろ装飾であり、それが生まれてくるのは、いうまでもなく商業主義による。ぼくの住む団地には、数十本ののぼり棒を立てた遊び場があるが、こののぼり棒はほとんど子どもに利用されていない。
 もう一つは子どもに利用されるすべり台、砂場などだが、しかし遊びはここでも矮小化されている。がけをすべりおり、小川をとびこえる冒険ごっこは、このととのいすぎた遊び場では成立しない。
 以前、子どもたちはオモチャを支配し、遊び場を支配した。その支配するに至る過程が成長である。今日、その過程は抜け落ちてしまった。その結果、子どもはオモチャに支配され、人工的遊び場に支配されている。この延長線上の人間像を考えてみれば、それは受け身の人間である。想像力と創造力、共に失ってしまった人間である。
 もっとも、この人間像は現在のオモチャ・遊び場と子どもの関係を、単純に延長した結果であって、実際の人間形成の過程ははるかに複雑である。
 そして、また、オモチャ・遊び場の問題は、子どもの生活の一部分にしかすぎない。だが、同時に、子どもとオモチャ・遊び場との関係は、今日の子どもとその環境との関係の象徴的な例である。
 都市化の結果、子どもの遊び場は失われた。道路で遊ぼうにも、また遠い遊び場へ行こうにも、つねに交通事故の心配がつきまとう。そこで、新しくつくられる遊び場には、以上のような問題が生まれてくるのである。

 3 構想力

 ぼくはさきに、実際の人間形成の過程ははるかに複雑である、といった。環境は人間を決定する、という公式を、ただ機械的に、子どもとその環境に持ちこむことは、子どもの成長のエネルギーを無視することである。
 では、成長のエネルギーは今日の環境の中では、どのように働くのか。これを想像力の面から見てみよう。
 昔の子どもは、貝がらを茶わんと見る想像力を必要とした。ここでは必然的に想像力が養われる。今日、台所用品のミニチュアで遊ぶ子どもには、想像力は必要ではない。したがって、想像力は養われない。
 こう考えれば、子どもと環境との関係を、昔にかえせ、という主張が成り立ちそうである。ぼくは一部分は、そうでなければならない、と思う。
 しかし、遊びの矮小化は想像力の矮小化である。裏返していえば、昔の子どもはそれほど想像力が大きかったのか。そういう昔の子どもたちがおとなとなって、現在の社会をつくったのではないか。昔にかえれ論は、実は成り立たない面を、非常に多くふくんでいる。
 では、貝がらを茶わんと見る想像力は、いったい何であったのか。これは、いわば貧困の中に成立した想像力であった。それにくらべると、台所用品のミニチュアを支配する想像力は、高次の想像力なのである。
 もしも、その子がミニチュアを支配しようとするなら、冷蔵庫やフライパンや洗濯機、個々ばらばらのものを統一し、動かしていかねばならぬ。
 この想像力は、貝がらを茶わんと見る単純な想像力ではない。統一し、動かしていくには、論理――すじ道がなければならぬ。三歳の子には三歳の子なりの論理が、五歳の子には五歳の子なりの論理が、必要とされる。もちろん、発達段階によって、一箇の道具にしか関心を示さないこともある、ということを前提にしてのことだが。
 こういう、発展の契機をふくむ想像力――これは、構想力という方が適当であるかもしれない。台所用品ミニチュアは、子どもに構想力を要求するのである。そして、現代社会の複雑さは、人間ひとりひとりに対して、構想力を要求することになる。
 ここで、子どもの成長ということをふりかえってみると、成長とは認識の発達という側面をつねにそなえている。子どもの想像力の発展と見られているものも、子どもにとっては、実は認識作用の展開である場合が多い。チュコフスキーの『2歳から5歳まで』にあげられた、子どものことばの多くは、幼児の認識作用の展開である。
 認識力と想像力との関係はどうなっているのか、それについて述べるだけの力はぼくにはないが、構想力は認識作用と想像作用、両者の上に成り立つはずのものである。ある人間がある行動をおこそうとするとき、そこには行動への構想が組み立てられているが、その構想は、その人間が物や人をどう認識しているか、ということの上に、おこり得べき事態を予想する想像力が働いているのである。
 このように見れば、構想力のあらわれとしての構想そのものは、それぞれの人間の行動の形態の中に存在している。そして、人間の行動形態は、ある時代のある社会に普遍的なものとして、とらえることもできる。
 一方、幼児の成長の中で、欠くことのできない要素は模倣である。彼らはおとなの行動形態を模倣し、修正し、独創的なものをつくり上げる。構想力はこのつみ重ねの上に養われてきた。
 ところが、かつて、一つの地域が共同体としてつくり上げていた行動形態、一つの家庭がつくり上げていた行動形態、この両者は共に、今日くずれつつある。この崩壊現象はいまにはじまったことではないが、六十年代で急速に展開した。
 地方で見れば、長期の出かせぎ、マイクロバスによる工場への出勤、こういうかたちで農家の父親は子どもの前から、農業労働に従事する姿を消していく。都市のサラリーマンの父親も、いうまでもなく、その働く姿を子どもに見せない。
 こういう環境の中で、子どもは何によって構想力を身につけるのか。認識作用を発展させていくのか。
 ここにテレビ・漫画の問題があらわれる。

 4 テレビのイメージ

 今日、学校をのぞく、子どもの生活時間は、多くの場合、テレビ中心に構成されている。それは、ただ単に時間の量の問題ではない。構想力の源泉を、人間・社会についての認識を、子どもたちはテレビ・漫画から吸収していくのである。
 テレビ・漫画がそうした作用を持つことは、前からもいわれてきた。しかし、構想力以前、認識以前の問題として、テレビ・漫画はなぜ、子どもをそれだけひきつけるのか。まず、そこからはじめよう。
 テレビにかぎって話を進めていくと、テレビの映像――イメージの性質の問題がある。
 イメージといわれるものは種々さまざまである。テレビの映像もイメージであり、童話・小説中のことばもイメージをよびおこす。この二つのイメージを比較してみると、テレビのイメージは客観的であり、ことばがひきおこすイメージは主観的である。
 たとえば、ぼくたちが文章で、「犬が一匹いる」と書いたとする。これを読む人の頭の中には、犬のイメージがうかぶことになるが、このイメージは人により、さまざまである。黒い、大きい犬を思いうかべる人もあれば、白い小犬を思いうかべる人もある。この「犬」をどのように限定していっても、やはり個々人によるイメージのちがいは大きい。ことば・犬に対応するイメージ・犬は、受け取り手のひとりひとりにまかされるのである。
 一方、テレビで、「犬が一匹いる」を表現するのには、具体的な犬一匹をブラウン管に出すことになる。この犬のイメージは他のどの犬でもない。この犬そのものにかぎられることになる。
 この事実から、もうすこしさきに進むと、ことばによるイメージは、その受け取り手個人のそれまでの経験と認識とにたよるところが多くなる。犬なら犬のイメージは、いままで見たことのある犬その他を材料にして、組み立てられるのである。
 その結果、たとえばエスキモーの生態というように、受け取り手の多数の経験外にあることは、ことばではなかなかイメージになりにくい。テレビはそこへ直接、イメージを提出することができる。一方はイメージを成立させる手続きを必要とするが、一方はその手続きを必要としないのである。
 ここから直線的結論を下せば、イメージ成立の手続きが省かれるテレビの方が、受け取り手には理解されやすい。
 また、ことばによる間接的イメージよりも、直接的イメージの方が、受け取り手に対して強力である。それは生理的な反応さえもおこさせる。ただし、テレビのイメージの理解されやすさは、現在の日本においては、それが利潤追求の原則の上に成り立っていることとも、からみあっている。カメラの視覚を変えれば、イメージそのものが、理解されがたいイメージとして提出されることもあり、大多数を受け手とするテレビは、その大多数が持っている従来の視覚にしたがうことが多い。
 このように、ことばを表現・伝達の手段とする童話・小説と、イメージ(映像)を手段とするテレビ作品とは、その手段そのものの機能においてちがいがあるのだが、一方、共通するものもある。
 それは、共に、現実そのものではなく、第二の現実である、という点だ。一匹の犬のイメージのところにもどれば、テレビと、童話・小説を通じて、一般的にその犬のイメージは実際の犬より鮮明である。なぜかというと、実際の犬は日常の生活の一部分としてあらわれるが、一編のドラマ・小説の場合、そこで表現されようとするもの以外は切りすてられるからである。第二の現実がつくられるのである。
 強調された第二の現実――これを子どもは模倣する。そして、テレビと共に強力な第二の現実は漫画である。ことばは抽象的なものであり、テレビのイメージ(映像)は直接的なものとするなら、漫画はほぼその中間にある。
 この際、テレビ・漫画はオモチャ・遊び場、そうしたものと並列的な位置をしめるものではない。オモチャ・遊び場との関係で受け身になった子どもたちは、それでもなおかつ、構想力を求める。構想力と結びつく、人生・社会への認識を求める。そして、家庭には行動の規範はない。子どもたちはテレビ・漫画から自然にそれを学び取っていく。
 こうした意味で、テレビ・漫画は、現在の子どもの文化財がつくり出している構造の中心部をしめるものとなっている。あるいは、なろうとしている。

 5 学校教育

 テレビ・漫画のほかに、構想力を子どもが身につけていく、強力な手段は学校教育である。
 学校教育は基礎的な知識・技術の習得という側面と共に、一つの人間像の形成をめざすという側面を持っている。そして、この学校教育を規制しているのが、学習指導要領である。
 学習指導要領は二つの面で教育を規制する。一つは直接、学校教育にかかわってきて教育内容を決定する面であり、もう一つは教科書の内容を決定することによって、間接的に教育内容を規制する。
 では、学習指導要領はどのような人間像の形成をめざすのか。六八年に改訂された小学校学習指導要領については、すでに多くの専門家の意見が出ており、いまさらぼくがいうまでもないことだが、一つだけふれておこう。
 それは、社会科の目標としてかかげられている「民主的な国家、社会の成員として必要な公民的資質の基礎を養う」と、いうことである。
 戦前の教育用語であった「公民」ということばの復活は、改訂当時さまざま論議されたが、この復活現象と共に、ぼくには「民主的な国家、社会の成員として」という規定が気にかかる。教育基本法第一条は「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として」と、はじまる。教育基本法では「人格の完成」――個人が先に立ち、そのあとに国家、社会が来る。社会科学習指導要領では「国家、社会の成員」としての「資質」のみが強調される。
 そして、また、教育基本法の国家及び社会の「形成者」ということばと、社会科学習指導要領の「国家、社会の成員」ということばのちがいは大きい、と思う。教育基本法前文は、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した」という文章ではじまった。第一条の「形成者」は、この前文の「国家を建設して」の「建設」と照応しあう。
 国家、社会を建設し、形成していくものとして、教育基本法は人間を考えた。今日の社会科学習指導要領は「国家、社会の成員」として、人間を考える。教育基本法では、人間は未来へむかうものとしてとらえられ、社会科学習指導要領では、既成のわくの中で人間をとらえる。そして、その「国家、社会」は「民主的な国家、社会」として、規定されてしまっているのである。
 国家、社会の成員は、一転して、企業の成員となりかねない。社会科学習指導要領がこうした方向を予想させる一方、たとえば国語科学習指導要領は従来よりも、はるかに技術的に深められている。
 戦前、いわゆる人間形成の中心は修身科にあったが、今日では、それが社会科に移行しており、他教科では技術中心となっている。技術のみ深まって、人間像は社会・国家・企業の一員としての人間像ということになると、これはどうも歓迎できそうにもない。
 そして、学校教育の比重は、戦前にくらべて、より高まっている。
 それは、こういうことである。子どもの生活とかかわりあって、その成長に重要な役割をはたすものは、ほぼ三つの領域にわけて考えることができる。その一つは学校教育であり、もう一つは児童文化財であり、もう一つは、家庭の教育をふくむ社会全体のふんい気や、あり方である。
 この三番めのものには、注釈が必要であろう。これは、具体的には親や教師のなにげないことばであり、地域社会のおとなや子どもの行動の型であり、家屋の構造や形態であり、道路や、そこを走る自動車や、商店街の看板、行き来する人びとの姿である。
 これらは個々には文化・文化財というよりも、むしろ生活に直結しているものである。しかし、これらこそ、文化の底辺であり、そだっていく子どもたちに直接、間接の影響を与えるものである。
 そして、おそらく、これらこそが、戦前の子どもたちの人間形成にもっとも大きな影響を与えたものであろう。学校教育でも突きくずせないものを、これらの社会環境は子どもたちに与えていた。学校教育はタテマエであり、これら社会環境から与えられたものが本音となった。
 しかし、敗戦後にはじまる家庭教育の自信なさと、それに続く六〇年代の経済成長は、子どもたちのこういう直接的環境を変化させた。前に、地域社会の行動の型は失われた、とぼくはいったが、行動だけではなく、それをつつみこむ環境の統一性も失われている。
 環境の統一性が失われたというのは、たとえば、団地の一歩外に出れば道はぬかるみであり、田園風景のひろがる中を流れる川がドブ川である、などのことである。地域社会の行動の型が失われたこととあいまって、町の家いえや、自然の風景、それらをまとめていた基調が、急激に失われていったのである。
 こうして、環境の抵抗力は弱まった。相対的に学校教育の比重が高まった。
 さらに、今日の社会では、他のもっと直接的な要因によって、学校教育の位置は、戦前より重要になっている。たとえば、両親とも外に出て働く場合、幼児は保育所へ行く。そして、保育所もまた学校である。ぼくはいままで注釈なしに学校教育ということばを使ってきたが、このことばは保育所、幼稚園の教育をふくむものであり、学習指導要領は幼稚園教育要領をふくむ。
 このように、学校教育が今日の社会において占める位置からすると、学校教育のめざす人間像は、現在の雑然とした環境に対する中心的な視点として、子どもたちに強力に作用する。少なくともその可能性を持っている。
 そして、教育のなかだちとなる教材の中心は教科書だが、それが前にもいったように学習指導要領に規制される。教科書は児童週刊誌と共に、もっとも大量の子どもに読まれるものであり、学習指導要領は人間を国家・社会・企業の一部品としかねない方向を示しているのである。
 また、学校教育はテレビ・漫画と相補関係を持っている。優等生コースからはずれた際、そこには根性で生きる野球選手、人気歌手の道が開かれている――ということになるのである。
 しかし、今日の学校教育はパンク寸前、社会の急激な変化に対応できない面も持っている。ここで、子どもの本の問題があらわれる。

 6 子どもの本の位置

 童話・少年小説もまた第二の現実である。ことばを手段とする文学作品は、テレビ・漫画とは別の特長を持っている。ことばによって一匹の犬のイメージを組み立てること、これは想像力の働きである。多くの場合、テレビの限定されたイメージより、ことばのよびおこすイメージの方が、はるかに豊かに奥行深いものである。
 文学のそのほかの機能については省くが、椋鳩十氏が親子読書運動を提案したとき、氏はその理由として、親子の対話が失われていることをあげた。親子の対話は、何も文学作品をなかだちにしなければ成立しないものではない。石ころ一箇、木の葉一枚も、対話の材料となることができるのである。椋氏はなぜ本を取りあげたのか。
 本――ここではおもに文学作品のことだが――その力を、椋氏は知っていたからである。本をなかだちにするとき、その対話は一箇の石ころをなかだちにするときよりも、はるかに豊かで、多面的なものとなることができる。
 構想力、認識、想像力――こうしたものすべては本と結びつく。本が自衛手段だといったのは、そのことである。今日、子どもの遊びを豊かにする源泉は、むしろ本の中にある。小学校二、三年生になったとき、さきにいった台所用品のミニチュアや、人形を使って、自由に遊びを展開するのは、幼いときから本に親しんできた子である。
 そして、さらに学校教育がかならずしも歓迎できない方向を示すことに対し、本の多くは人間の真実を提出しようとしている。また学校教育が社会の変化に対応できないでいる面――これは構想力、ひいては創造力を中心とするものだが――を、本は肩がわりすることができる。
 母親たちは無意識のうちに、この本の持つ力をさぐりあてた。そこには、今日の社会を生き抜くのに必要な力が、本の中にはふくまれていることを考える打算もあるだろう。しかし、それはそれでよいのであって、だからこそ、本は生活必需品となりつつある。本も、さまざまの児童文化財の構造の中心となり得るのである。

 以上のような現象がもっともっと進行していくにちがいない七〇年代――ここにむかって、ぼくたち子どもの読物書きは、日本の児童文学は、どうあるべきなのか。それについては、稿をあらためて語りたい。ただ今日の本――童話・小説の位置の認識が欠けるとき、ぼくたちは前に進むことができない。
(『日本児童文学』一九七〇年一月号)
テキストファイル化小林繁雄