『児童文学の旗』(古田足日 理論社 1970)

あとがき的まえがき




 この本は、ぼくの第三冊めの児童文学評論集で、第二冊めの『児童文学の思想』と接続しています。この本、『児童文学の旗』の序章「ふしぎの国に旗はひるがえるか」は、『思想』の最後の評論「実感的道徳教育論」を受けて書いたものです。
 ただし、この本におさめた評論は、『思想』刊行以後のものとはかぎりません。児童文学の六〇年代は、実質的には五九年にはじまるもので、ぼくはそのときちょうど、雑誌『近代文学』で児童文学時評をやっていました。時間的には、その時評からはじまり、七〇年最初に書いたもの、「おぼえ書」に至るまで、ざっと十年間のものが、この本にはいっています。
 それぞれの評論は、発表当時の誤植、脱落を訂正したほか、意味不明のところにいくらか手を加えましたが、ほとんど原型のままです。ただし、「七〇年代・児童文学の位置」は、学校教育のことを書き加えたので、発表当初とはかわっています。
 十年間のあいだには、ぼく自身の考えの変化があり、したがって個々の論を見て行くと、矛盾があります。それが、もっとも象徴的に出ているのは、『だれも知らない小さな国』についてでしょう。しかし、矛盾したものも、矛盾したまま、残しておきました。
 個々の論のうち、注釈しておきたいのは、「西郷提案」ということばが出てくる評論です。この評論は、雑誌『教育科学国語教育』に書いたもので、この雑誌では、ある人が主報告を書き、それについて数人の人が自分の意見を書くという、誌上シンポジウムをよくやっていました。その西郷竹彦報告について書いたものです。主報告がないので、わかりにくいところもあるかと思いましたが、『子どもと文学』論なので、思い切って入れました。
 「戦後の創作児童文学についてのメモ」は、未完におわったものです。したがって、その最後に出てきた『目をさませトラゴロウ』論も未完のままです。
 「六〇年代をふりかえり七〇年代を考えるおぼえ書」は、新しく書きおろしました。六〇年代児童文学論ではなく、ぼくの関心のところに、集中させようとして、非リアリズムの作品や、今西祐行の諸作や、松谷みよ子、大川悦生の民話再話など、最初から切り落として進みましたが、現象の複雑さを整理し切れなかったようです。
 いずれ、増補訂正して六〇年代児童文学論を書かねばならぬ、と思いました。また、一方では、ぼくがもっとも関心を持ちながら、ほんの入口でおわってしまったリアリズム論を、独立のものとして深めて行かなければならぬ、と思いました。ただ、これを書いた結果、ぼくには、ぼくの六〇年代が、『だれも知らない小さな国』とのたたかいであったらしい、ということがわかりました。
 だから、ここで、私的ですが、感謝のことばをしるしておくと、「七〇年代のためのおぼえ書」、四、五十枚で書くはずだったのに、二百枚近くになってしまっても、こころよくこの本に入れてくれた理論社社長小宮山量平氏、あきずにさいそくしてくれた千々松勲氏、そして『だれも知らない小さな国』の作者佐藤さとる氏に、あつくお礼を申し上げます。
テキストファイル化塩野裕子