『児童文学の思想』(古田足日 牧書店 1969)

2-現在

マスコミ社会の子どもたち

<1>
 現代社会の特徴の一つは、マスコミの網がくものすのようにはりめぐらされていることだ。子どももふくめてぼくたちは日本じゅうどこへ行ってもマスコミの網の目から逃れることができない。
 のがれることができないというのは、どんな山奥の旅館にもテレビがあり、そこをぬけて谷川のほとりを散歩していても、通りかかった登山者のポケットから、トランジスター・ラジオの放送が流れてくる、というようなことだけではない。
 マスコミをシャット・アウトすることは、けっしてできないことではない。電車にのれば、となりの人が読んでいる週刊誌の見出しが目につく、というような場合はさておき、新聞、雑誌を読まず、ラジオも聞かず、テレビも見ないということは、個人の決心ひとつで、だいたいできることなのだ。
 だが、そうした生活を、一年なり二年なりやってみたら、その人はかならずかわり者だといわれるようになり、職場のなかでもひとりぼっちになってしまう。
 たとえば、野球、日本選手権の試合で、だれそれがサヨナラ・ホームランをとばしたとか、野党の委員長が右翼少年に刺されたとか、こういう話を知らなければ、いまは社会生活ができないのだ。
 ただ昼休みの雑談にくわわれないで、ひとり孤独をかみしめるというぐらいですめばいいが、その結果は自分の身の上や、しごとの上にはねかえってくる。
 会社員なら、野球ずきの上役のきげんをそこね、教師なら、子どもの話のなかにはいっていけない。
 子どもだっておなじことだ。きのうの大鵬の勝ちっぷりも知らず、今月の鉄人28号の展開も知らない子は、しぜんになかまはずれにされてしまう。
 なかまはずれになるだけなら、それでもいい。だが、その子の将来はどうなるか。やはり、社会生活ができないという運命がまちかまえている。子どもも、おとなとおなじように、マスコミ社会のなかで生きている。
 しかし、都会の子どもはそうだが、いなかの子どもはそうではない、という意見もあるかもしれない。その意見のために言っておくと、近い将来いなかの子どももそうなっていく。
 むかし、童心主義ということばがあった。このことばは、子どもはなにものにもそくばくされない、むじゃきな存在だ、という意味をふくんでいる。これに対して、子どもも階級によって規制されている、という考えが出て来た。子どもを、社会のなかの存在として見ようとする考えだ。
 いま、このふたつの考えをふりかえってみると、子どもが社会によって規制されている、ということは、うたがいようもないが、当時には、まだ童心主義がなりたつ余地があった。
 子どもを規制する社会の条件が、いまよりはるかにゆるやかだったのである。通勤電車のこみかたが、いまとそのころでは比較にならないように、受験地獄もたいしたことはなかった。
 佐藤暁の『だれも知らない小さな国』は、昭和十年代のはじめ、子どもたちが峠のむこうに、もちの木をさがしにいくところからはじまる。峠のむこうで、主人公の「ぼく」は、山と林にかこまれたいずみを発見した。ほかの子はだれも知らないいずみである。いずみと、そのそばの小山は、「ぼく」の秘密の場所になり、「ぼく」は、ときどきそのいずみのそばで、自分だけの時間をすごす。
 ここでは子どもの生活は「自然」に根をおろしているのは、その作者たちの出身が農村であり、それをなつかしんだ、というようなことからだけではない。現在、作者の目の前にいる子どもも、「自然」のなかで生活していたのである。戦前の子どもの遊びのおもなものは、ふなつり、とんぼつり、そしてもちの木をさがしにいく、というようなものであった。とんぼもふなも知らない子どもは、ごくすくなかった。
 だが、いま、とんぼもふなも、しだいにすくなくなっていく。つぎだらけのきものをきて、くわをかつぎ、わらぶきの家から出てくる百しょうすがたは、時代おくれの子どもの本のさしえにしか出てこない。こううん機ち活動的な作業服が農村にひろがり、農薬はとんぼやふなやおたまじゃくしを殺していく。マスコミ社会はただマスコミの網の目のひろがりの上にだけできあがったものではない。トランジスターの普及に見られるように、技術と機械の発展がなければ、マスコミ社会はできあがらなかった。
 むかし、小学校の教科書に、母親が庭にたらいを持ち出してじゃぶじゃぶやっているそのそばで、子どもがシャボン玉をふくらませている、さしえがあった。だが、いま、せんたく機に小さい子どもの背はとどかず、その中で噴流する水のいきおいは、めまぐるしい。のどかなシャボン玉の遊びは消えた。かわりに、野球のバットのひびきが、日本全国、どこへいってもきこえ、いろはがるたにも、人気マンガの主人公たちが登場する。

<2>
 現代の子どもが、いまいったような社会条件のなかで、どうかわっていこうとしているか、また、こうかわった、ということを報告できる力を、ぼくはもっていない。
 そして、かわる、といっても、ぼくたち日本人の精神的風土が、規格整然とした団地アパートに住んだところで、そのもっとも基礎的なところからかわっていくか、ということも、ぼくには疑問である。
 しかし、子どもはマスコミ社会のなかにくり入れられた。あたらしい現実に対応するため、子どもはのっぴきならず、かわらざるをえない。
 その条件を、さらにマスコミそのものについて考えると、二つの特徴があげられるように思う。その一つは、ことばのはんらんであり、もう一つは、映像的な思考法、ということである。
 ことばがはんらんしている、ということは、ラジオ放送や、児童雑誌の活字の部分だけをさしていることではない。テレビもマンガも、またことばをはんらんさせる。
 映像は直接的に人間にはたらきかけ、ことばは間接的であるといわれる。活字よりも、なまの音声によるラジオのほうが具体的であり、テレビはいっそう具体的である。
 だが、映像とことばは、かならずしも対立的な存在ではない。認識・理解ということばは、つねにことばによっておこなわれている。ここでいうことばは、もちろん音声や活字になったことばでなく、無意識のうちに心のなかではたらく、ことばのことである。
 人はことばによって映像を理解する。そこで、あたらしいことばがちくせきされ、そのことばでまた、つぎのできごとが理解される。
 この作用は映像にかぎったことではない。ふるいむかしから人間がやってきたことである。ただ問題は、そのことばの量が飛躍的に増加した、ということである。
 ことばには意味がある。つねに人間を刺激する。これは、ときとして猛威をふるうほかは、人間のはたらきかけではじめてうごきだす「自然」のような存在ではない。ことばはいつも積極的にむこうからはたらきかけてくる。その刺激になれたとき、人はことばなしではおちつかなくなる。通勤電車の混雑のなかで、わずかのすきをみつけては、新聞をひらき、週刊誌をよむようになる。子どもも、休み時間の鐘がなると、とたんにマンガ本をあけてみたりする。
 目に見える環境ではなく、ことばによる第二次の環境が人間の周囲につくられたのである。この目に見えない環境は、直接的な環境よりも、かえって強力でさえもある。意味をもって、はたらきかけてくるからだ。
 ここで、もう一度『だれも知らない小さな国』にかえると、その主人公は太平洋戦争が終わったとき、やけあとに立って、自分が少年時代をすごした、あの小山のことを思いだす。子どもの時、いずみのそばにすわったとき、そこには充実した時間があり、だれにもおかされない、心の自由があった。
 「ぼく」は小山を買いとった。小山には小人が住んでいた。やがて新しい道路が、この小山を通って、つけられようとする。「ぼく」は小人たちといっしょに、道路計画を変更させ、「だれも知らない小さな国」---自分の心の世界を守りぬく。
 この小山をとおろうとする道路は、マスコミだと、考えてもいい。マスコミは人の心のなかにようしゃなく侵入する。「私の秘密」はあばきたてられるのだ。本のなかでは「だれも知らない小さな国」は守られたが、この現代、自分だけの世界が守りぬけるものだろうか。
 ことばのはんらんの結果、ぼくたち、子どもたちは、人間や世界のすがたを見うしないがちである。ある日、ぼくたちは、あるできごとに感動したと思う。しかし、それはときとして、テレビ映画の一場面のおきかえにすぎない。
 ぼくたちの心は、十重二十重にことばのかべでとりかこまれている。だから、ある表面的な感動を、とりのぞいてみても、つぎのことばのかべが、また本心をさえぎっている。じっさいは、矛盾し、排撃しあう、ことばさえも、そのままぼくたちのなかにはいりこんでいるのだ。
 守るよりも何よりも、現代では、守るべき自分ひとりの世界が成立しないように見える。すくなくとも、「自然」との接触によってできあがる世界など、存在しないのだ。
 トランジスター・ラジオを寝室にもちこむとき、ひとりの時間は成立する。しかしそれが、はたして充実した時間かどうか。山にでかけながら、トランジスターをはなすことのできない人の心は、うえ、かわいている。いいふるされた機械と人間の相こくが、ここでまたよみがえる。ことばのはんらんのなかで、創造的なことば、創造的な理解をつくりだしていくことは、至難のわざである。
 子どももここで、自己防衛のためにも、かわらなければならない。そして、その変化は、やはりマスコミとの関連のなかでできていく。たとえば人は、暗い映画館のなかで、多数の群衆のなかで、自分ひとりの時間をもつ。この時間は時として充実した時間になる。同様にトランジスターを寝室にもちこむとき、充実した時間がうまれることもある。
 「自然」との接触によってできあがる世界は存在しないかわりに、第二次環境との接触によって自分の世界をつくりあげる機会が、ひじょうに多くなってきたのである。直接体験よりも人工的な間接体験によってつくられていく人間が、うまれてきつつあるのではないか。
 これは、マスコミ自身の法則にもよっている。マスコミは、つねにあたらしいことばをおくりださなければならない。かつて若秩父をもちあげ、三若時代とはやしたてた、かと思うと、すぐ柏鵬時代というような、同一平面上の変化で、もっと根本的な変化もふくめて、マスコミは動いているのだ。
 つぎの問題、映像的な思考方法の形成、ということにうつろう。
 ことばは1つのシステムをもっており、科学のコトバと、芸術のことばは、それぞれちがうシステムをもっている。そして芸術ジャンルのことばのシステムの中心は、小説的なことばである。
 おとなのマンガ批評、テレビ・ラジオのドラマ批評は、おもにこの小説的なことばの立場から出てくる。問題になるのは、そのストーリィであり、それぞれの場面である。
 だが、マンガにしたところで、これはストーリィとひとつひとつのコマ絵と、コマ絵からコマ絵への展開と、三つの要素からなりたっている。そのコマ絵もまた、一ページの大きさのものもあれば、つぎの絵の大きさは、一ページを八つに分割したものであり、大小さまざま、たてわり、よこわり、というように変化に富んでいる。映画的である。
 これを批判する際、小説的な立場から見るのは、まとはずれである。そして多くのおとなは、いまの児童マンガをひと目で見る、あるいは読むことができない。そこにある省略や、飛躍的な展開をいちいち、自分のことばにほんやくしなければならないからである。この現象は、すでにおとなと子どもとのあいだに、ことばのちがい、思考方法のちがいが出てきていることを、ものがたっている。映画ができたころ、老人たちは、登場人物が自分のへやを出たシーンのつぎに、その人物が他の人物の家をおとずれるのをみて、第二の人物の家のとなりだとしかうけとれなかったという。
 これよりも、もっと大きなちがいが、子どもとおとなとの間には、うまれつつあるのではないだろうか。テレビは家庭的なものであるために、もっとも映像的であるはずのものが、じつはもっとも小説的な面をもっていて、かえってラジオの子ども番組にも、おとなの理解をこえるようなものが、うみだされようとしているように、ぼくは思う。
 そして、子どもがこの映像的なことばのシステムで、人間と世界を見れば、その様相は、おとながみるものとは、ちがっている。まえにもいったように、人間も世界も、人は、ことばによって認識しているからだ。

<3>
 子どもがかわっていく条件の1つに、子どもの力が社会的に無視できなくなった、ということがある。かつて、東映がピンチを切りぬけることができたのは、子どもたちのおかげであった。おとなむけ映画のそえもののような少年美剣士の映画に子どもたちはとびついた。
 子どもには経済力がなく、したがって本や映画の選択権をもっていないとする考えがある。しかし、選択権があろうがなかろうか、今日、親は子どものために、自分たちの両親が子どもであった自分のためにつかった以上の出費をしなければならない。これは、マスコミ社会というより、資本主義社会の要求から出てきたことだ。おとなだけではなく、子どもにももっともっと物を買わせなければならないのだ。
 むかし、小学校の子どもは、夏・冬、一着ずつの学生服ですますことができた。小学校から大学まで、学生服というものがついてまわった。だが、いま修学旅行にでも出かける小学生たち、ことに女の子を見れば、かの女たちができるだけ服装、持ち物に気をつかっていることがわかる。子どもたちはおしゃれになった。大学生も高校生も背広をもち、色とりどりのズボンやシャツをもつようになった。それだけ両親の出費がふえた。デパートにはジュニアー・コーナーがもうけられ、子どもの会の組織ももつようになった。
 戦後、子どもの地位は向上した。その理由として、人は多くの子どもも一個の人格であるという考えかたの浸透をあげるが、しかし、それとどうじに、消費的であるにせよ、資本主義社会の要素があったのではないか。子どもも買い手として無視することはできない。商業資本は、子どもそれ自身は金をもっていないにせよ、潜在的な経済力のもちぬしとして、一個の人格をみとめたのである。
 これは、資本主義社会の矛盾のひとつであろう。同様に、マスコミもその内部に矛盾をもっていた。ことばをばらまいておきながら、そのことばをつぎつぎにうちくだいていかなければならない、という矛盾である。
 そして、子ども自身のなかにも、矛盾がある。子どもはラジオを聞きながら、勉強する。マスコミが子どもの心の奥深くくいいっていて、その子にとっては、はなれることのできない環境である。ラジオを消した場合子どもはかえって勉強できなくなる。
 だが、これは一面では、マスコミに対する抵抗かもしれないのだ。第二次の環境も、そこに山があるのと同様に、子どもにとって自然現象にすぎなくなる。
 こうして、社会の発展、矛盾とともに、子ども自身も、そのことばもかわろうとしている。が、それが表面的な変化にとどまるか、それとも根本的なものとかかわりあっていくか、そこのところで、マスコミの送り内容がはじめて問題になってくるのではないかと思う。

(現代学級経営第3巻・1961・5月)
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