子どものHP/MP

(02)参加型と鑑賞型

              

 FF\とDQZ。この夏発売されたRPGの超ビッグタイトル二つ。両者合わせて6百万枚は出るでしょう。ゲームの場合、発売当日にどっと売れます。例えばFF\だと初日で220万枚出ました。170億円です。もちろん13年前からのファンも買っているでしょうからすべて子どもが注ぎ込んだ額ではありませんが、そのパワーのすごさには素直に驚きたいです。
 現在のFFの画面がポリゴンになってしまったため、あまり意識されなくなってきていますが、実はFFとDQのゲーム観は全く違っています。
 両者は、RPGの常として、モンスターとのバトルがやたらとあるのですが、そのアプローチの違いにそれは如実に現れています。DQのフロントヴューとFFのサイドヴュー。
 といってもよくわからない方もいらっしゃるでしょうから説明しますと、子どもがモニター画面でモンスターと戦う時、フロントヴューは、モンスターと主人公が対面しているように表示されます。主人公はモニターの中にいません。モンスターが見えるだけ。つまり、DQは、「主人公=プレイしている子ども」とのスタンス。ですから、DQの場合主人公は一切話をしません。話すと、プレイする子どもと主人公が乖離してしまうからです。
 一方、FFのサイドヴューでは、横から眺めるのですから、モニターにはモンスターも主人公も同時に映し出されています。ここでは、「主人公=プレイしている子ども」ではなく、プレイしている子どもに、主人公の生き方を見て欲しいというメッセージがあります。
 おもしろいのは、この二つのゲーム観はどちらもが、子どもが「世界と私」の関係を作っていくとき必要な視点であることです。我を忘れて夢中になることと、そうした自分を見詰める私。堀井(DQ)と坂口(FF)。二人の優れたディレクターは、ゲームの基礎に子どもの成長モデルをちゃんと置いているわけです。子どもたちが数多なソフトの中でこの二つを熱く支持するのも当然ですし、また、この二つを支持する彼らのセンスもなかなかなものなのです。
(ひこ・田中 「図書館の学校」2000.10)