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S社のビデオカメラのCMはここ数年、運動会での我が子の活躍を仲の良い夫婦が撮っているというシリーズを展開しています。親と子のセット、すなわち「家族」がそのまま公に姿を現す場面として、運動会ほどふさわしいものはないでしょう。参観日のように学校風景を親が観るだけでなく、家族揃って食事をするところを人前にさらす日でもあるのですから。そんな運動会をビデオという家族アルバムに記録するにはバッテリー持ちの良い我が社のカメラが一番、というわけです。 ところで今、その運動会の現場でちょっと困った(?)現象が起きているようです。それは、精一杯の競技をしている他の子どもを声援しなくなっていること。我が子のベストシーンを撮るのに忙しくて、拍手をするひまも余裕もない。親の視線はそれこそカメラのバッテリーが切れてしまわない限り、自分の子どもにだけ向けられる。 これは家族の紐帯が太いからでしょうか? むしろ、自分達が家族である証拠をビデオに記録し確認せずにはおれない不安かもしれません。 先のCMは最後のシーンを子ども側に切り替え、息子にこんな意味のセリフを吐かせています。「気を抜くひまもないよなー」。 つまり、息子は親がビデオに撮りたい「家族の一員」としての子どもの姿を、演じ続けなければならないことに「やれやれ」と思っている。けれど同時に、そうすることで親を喜ばせる(不安を取り除く)ことができるのも知っている。 これは、子どもが子どもを演じることに、より自覚的になっている現在をうまく切り取っているように思います。 さて、家に帰った後、子どもを待ちうけているのは、撮られた自分の姿を家族そろって、一緒に鑑賞するという儀式。それも、おそらく一度だけではなく、正月が来る度に・・・。 MPの残量は大丈夫? (ひこ・田中 「図書館の学校」2000.11) |
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