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「ライフデザイン研究所」が十歳から十四歳の子ども四百八十人に聞いたところ、六割はケータイが欲しいと思っているとの結果が出たそうです(朝日・2000.12.01)。女の子に限ると七割。実際に自分のを持っているが一割、使ったことがあるが四割。そして、通学時間が一時間以上の子の実に七六%が使っている。 これらの数字から二つのことが判ります。マイ・ケータイはまだ少ないけれど子どもはそれを欲しがっている。必要と思ったら親は子どもにそれを持たせる。今のところその「必要」は通学時間の長さですが、これは子どもの安全確認のためでしょう。しかし「必要」などいくらでも出てくるもの。現に大人も若者もケータイがなければなくても済んだのに、今やなくてはならないアイテムになっています。長距離通学でなくても子どもが今どこで何をしているかを知りたい親としては、ケータイを持たせることでその欲求を満たせる(もちろん、本当の所、ケータイを持たせたって、子どもがどこで何をしているかは判りません。せいぜい判るのは、生きているってことぐらい)のですから、「子どもにケータイなんかいらない」が一気に「子どもにこそケータイは必要」へと変わる可能性は大。 これからの子どもたちにとってケータイは予め存在するものです。だから、しょっちゅう画面を眺めている若者たちや、未だに着メロが流れるたびにビクッとする私のような、要するにそれに支配されている者とは違います。どんな使い方をするかはまだ判りません。でも、ケータイの特性から例えば、常にスタンバイ状態でいることに慣れるだろうとは予測がつきます。ボーッとする時間は、意識的に作らなければならない生活です。ケータイの電源オフ、ですね。あー、シンドそう? でも、自己を制御するスキルがあがるという意味では、これはそんなに悪いことでもない。自己制御できる子どもって子どもらしくない? けれど、そんな子どもを子どもとしてそのまま受け入れることもこれからはますます大事になってくると思いますよ。 (ひこ・田中 「図書館の学校」2001.02) |
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