子どものHP/MP

(12)本を読む子どもたち(2)

           
         
         
         
         
         
         
    
 男の子たちに人気のある作品をいちいち挙げていたら切りがありませんが例えば、出版されて1,2年で、『ラグナロク』が9刷、『スクラップ・プリンセス』が10刷、『魔法戦士レウイ』が13刷、『天高く、雲は流れ』が14刷、『ブギー・ポップは笑わない』が21刷(いずれもシリーズの一巻目)etc。よく売れています。
 表紙は、物語の内容をイメージさせる、または訴求力のあるデザインや装丁ではなく、キャラクター先行で、主人公たちの姿形がコミックやアニメ的な画で真っ向から描かれています。こうしたことは、読者の想像力を削ぐわけですし、先入観を植え付けますから出来るだけ避けたいと、かつての物語たちは考えていたはずですが、事態は反転していて、まず作り手側から、ある固定したキャラ設定があらかじめ示されるのです。作者自身も、登場人物や物語の世界観の設定を積極的に読者に示します。「まったくこの男は、どうしてこうも理性より感情に走るのか。考えるよりも先に身体が動き、それがもとでトラブルに巻き込まれる、いいかげん学習してもいい頃だろうに」(『ラグナロク』安井健太郎 角川スニーカー文庫)、「気品を感じさせる可憐な容姿である。黙って佇んでいれば、男女問わず観る者を、思わず抱きしめたくなるような気持ちにさせる・・・そんな仔猫のような愛らしさがあった」(『スクラップ・プリンセス』 榊一郎 富士見ファンタジア文庫)。ナレーターが前に出ていますね。言い方を変えれば、読者への情報提供サービスが過剰なのです。キャラはそれぞれの役割を分担しており、そこからはみでることは余りありません。どうしてかというと、こうした物語達は、後に読者がそれを自由にいじくるであろうことを折り込んでいる。キャラや世界観を過剰に説明しておくことで、それをパロディ化しやすいようにしているわけです。これは、同じ物語をゲームやアニメやマンガで展開するときにも便利です。意識的にやっている作家もいるでしょうし、無意識にそうなっている場合もあるでしょう。どちらにせよ、文字で描かれる物語が、唯一無二のそれとして屹立しようとはしていないのです。つまり、本、ゲーム、アニメ、マンガ、読者によるパロディなどが、原作>映画とか、映画>ノベライゼーションといったヒエラルキーを喪失してしまっている。「近頃の子ども」はそうしたノリの本に近づいてきているのです。
(ひこ・田中 「図書館の学校」2001.08)