子どものHP/MP

(13)ロボットに宿る無垢。

           
         
         
         
         
         
         
    
 鳴り物入りで登場した、夏休みの目玉映画『A.I』。子どもを欲しい夫婦のために作られた、人工知能を持つ人型ロボットのお話。
 映画自体は冗漫でどうしようもなく、私の今年のワーストになりそうなのですが(どうかこれ以上悪い映画を観ずにすみますように)、「子ども観」や「子ども像」を考えるヒントにはなります。
 スウィントン夫妻の息子マーティンは病を患い冷凍保存されている。いつか治療法が見つかることを信じて。妻のモニカは毎日その息子に絵本を読んでいる。夫はロボット製造会社に勤めているので、夫婦は今度開発された人を愛する子どもロボットのモニターとなる。最初モニカはそれを嫌悪するが、息子の居ない孤独に耐えきれず、デイビットと名付けられたそのロボットに、彼女だけを愛するコマンドをインプットする。パーフェクトに愛らしく母親を愛する子どもの誕生。が、本当の子どもマーティンが病を癒えて戻ってくる。当然ながらマーティンは、知らない間に母親の息子となっているデイビットをいじめる。デイビットは彼に嵌められ、親からみるととんでもないことをしでかしてしまう。ロボットはしょせんロボットなのか・・・。モニカはデイビットが廃棄されるのが忍びず、森に逃がすのだが、彼は母親の愛情を信じ、追い求めていく。長い長い旅を・・・・。
 おもしろいのは、デイビットの方が人間のマーティンよりずっと「子どもらしく」見えることです。
 もしどちらもが生身の子どもであり、どちらかを選択できるのだとしたら、私たち大人はどうするでしょう? と考えてみること。
 そして、この映画が意図したことではないかもしれませんが、結果として、ここでは、無垢な子どもなんてロボットでしかあり得ない、それを生身に求めるのは大人の幻想だ、というしごく当たり前ですが、まま忘れてしまう大人のウイークポイントを大画面一杯に映し出しています。
 テディベアの縫いぐるみロボットを除いて、魅力のある登場人物が一人も居ないこの希有な映画は、出来さえよければ、魅力的な近代批判作品になったのですが。
 でも、映画の出来はやっぱりワーストです。
(ひこ・田中 「図書館の学校」2001.09)