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I)旅が実現するまで 2000年9月13日〜9月21日の期間、国際交流基金の援助も得て、アムステルダム、ハーグ、ティルブルグをまわる「日蘭紙芝居文化講座−オランダかみしばいの旅−」が実現することになりました。日蘭交流が始まってから400年目の今年に、まさにぴったりの計画です。団長まついのりこ氏(絵本作家・紙芝居作家)に率いられるメンバーは、酒井京子氏(童心社社長)、鈴木孝子(子どもの文化研究所事務局長)、加藤武朗(童心社前取締役)、田中和子(紙芝居グループ「かみふうせん」所属)松井エイコ(壁画家・紙芝居作家)、西島正樹(建築家)、野坂悦子(翻訳家)の全八名です。 9月15日にはハーグのPABO(教育大学)の招きを受け、また16日には児童書作家連盟の総会に招聘され、それぞれ約一時間半の紙芝居講座を開くことになっています。さらに18日午後には、ティルブルグにあるオランダのズウェイセン出版社でも紙芝居講座が確定しました。内容的には、紙芝居四本を演じるほか、紙芝居の歴史や特性、演じ方等についても講演する予定です。旅のしめくくりとして、9月20日には、インターナショナルスクールで、百名以上の子どもたちを対象に紙芝居を演じることになりました。 1999年の初夏、私が軽い気持で、『紙芝居をオランダに紹介しませんか』と童心社のメンバーに持ちかけたのが、ことの起こりでした。日本の関係者の間には、『本物の紙芝居をヨーロッパの人に理解してもらいたい』という、長年の思いがありました。1998年、東京国際ブックフェア会場で、私もオランダで出版された紙芝居と出会うチャンスがあり、『オランダの状況はどうなっているのだろうか』と、疑問を抱くようになりました。昨年9月に来日したオランダの人気児童文学作家、リンデルト・クロムハウト氏の協力も得られることになり、今回の旅の計画が、具体的に大きくふくらんだのです。 1970年代から80年代にかけて、スイスとフランスで紙芝居のシリーズが出版されていたことは、聞き知っていました。ガリマール社、ナセル社、カステルマン社から出版された作品は、確かに日本の紙芝居をヒントにしていましたが、絵本をばらばらにした形のものが主流でした。紙芝居の特質を理解していなかったため、フランスのベテラン図書館員の意見によれば、「紙芝居でもなければ絵本でもない中途半端なもの」だったそうです。時代の流れの中で出版は先細りとなり、現在、フランスでは一社だけが紙芝居の普及に努めているようです。アジア諸国、特にベトナムでは、10年前から紙芝居が国内で大きなうねりとなり、紙芝居作家や演じ手が着々と育っています。いっぽう、ヨーロッパでは、紙芝居に対する関心はあっても、個々のレベルで模索を続けている状況だといえるでしょう。そのヨーロッパへの第一歩として、今回、オランダが目的地として選ばれたわけです。オランダ語の同時通訳つきで演じられる紙芝居に、現地関係者はどんな反応を見せるでしょうか? 今からとても楽しみです。 II) 旅を終えて 9月13日より8日間の旅を終えて、9月21日、無事オランダから帰国しました。最初の講座を予定していた15日の朝、主力メンバーが体調を崩し入院してしまう、というハプニングが起きたものの、4回にわたる紙芝居講座をなんとか成功させ、肩の荷をおろしたところです。 グループ旅行の通訳兼コーディネーターを務めるのも初めてなら、紙芝居をオランダ語で演じるのも初めて。私にとってなにもかも未知の体験でしたが、日本側のメッセージがきちんと伝わるように、紙芝居の文章はもとより、講座の内容も、できるだけ自然なオランダ語に仕上げたうえで現地に臨みました。本番さながらのリハーサルを繰り返して日本を出発したはずでしたが、それでも紙芝居のセリフをタイミングよく通訳することは一筋縄ではいかず、オランダで演じているうちに、少しずつ上達していきました。 「おおきく おおきく おおきくなあれ」「ひよこちゃん」「あひるのおうさま」「てんにんのはごろも」―4本用意した紙芝居のうち、特に人気を集めたのが、観客の参加によって成り立つタイプの紙芝居「おおきく おおきく おおきくなあれ」(まついのりこ作)でした。 週末には、オランダから足をのばし、ベルギーの出版関係者たちと会うことになりました。ブリュッセルのレストランで演じてみせた紙芝居「ひよこちゃん」と、「あひるのおうさま」を関係者たちは食い入るように見つめ、まるごと受け止めてくれたようです。「す ばらしい絵だね。画家はだれ?」と、感想をもらしていました。別れ際には、「次回ベルギーに来る機会があれば、演じる場を用意できるように、他の組織と相談してみる」と提案してくれました。 オランダで、「紙芝居」は、今どんな状況なのかという点についても、今回の訪問で、輪郭をつかむことができました。現在、手作りの「舞台」が20台ほどオランダ各地の公共図書館に用意してあり、その舞台を使って読み聞かせ活動をしている人たちがいるそうです。形こそ、童心社で販売している紙芝居の舞台にそっくりですが、日本人とオランダ人の体格の違いを反映して、むこうで作られた舞台は、ひとまわりサイズが大きいのです......。そして現地では紙芝居の実物がないため、絵本をコピーしたものをそのまま舞台に差し込んで使っています。(オランダでも、これまでに一社、絵本を紙芝居に仕立てて出した出版社があったのですが、今では出版を取りやめていることが判明しました。)絵本の研究家トルーシェさんも、そんな紙芝居もどきの演じ手の一人。夕食の席に飛び入りしたトルーシェさんは、えいさ、ほいさと身振りをまじえつつ、福音館書店の絵本「かさじぞう」を、私たちの前で熱演してくれました。一昨年のクリスマスの時期、図書館に集まったオランダの子どもたちに、そうやって日本の民話を紹介したそうです。「『かさじぞう』の紙芝居を持ってくればよかった!」 と悔やむ声が、童心社のメンバーからもれた一幕でもありました。 最後の日に訪問したアムステルフェーンのインターナショナル・スクールでは、年中、年長クラスの子どもたち121名と、先生方や約十名の母親たちを対象に、紙芝居を演じました。それまで三回の講座は、すべて日本語とオランダ語で行ないましたが、ここでは「おおきく おおきく おおきくなあれ」「ひよこちゃん」「あひるのおうさま」の三本を 日本語と英語で演じました。授業は英語で行なわれているからです。この学校には、六人に一人の割合で日本人の子どもがいるそうです。日本人のお母さんたちも、紙芝居をとても楽しみにしていました。ぶたの鳴き声ひとつをとっても、日本語ではブーブー、オランダ語ではknor, knor(フガ、フガという音に近い)、英語ではoink,oinkと表現します。様々な言語を背景に持つ子どもたちの心をひとつにまとめるには、並々ならぬ工夫と努力が必要だということを痛感できた、貴重な体験でした。 今回の講座の中で、童心社社長の酒井京子さんが繰り返し説明したように、絵本と紙芝居は違うものです。絵本は「個の感性」を育てるものですが、いっぽう紙芝居は「共感の世界」を育むもの。だから作り方自体も違うのだ、ということをオランダの人たちに十分に理解してもらわなくてはなりません。「共感」という日本語をどう訳すかという点だけを取っても、現地の通訳とメイルを何度もやりとりしました。そして、「ティームヘフールteamgevoel」というオランダ語に決めたのです。これは、その場にいる人々が、なにかひとつのものを通じて、ある方向にむかって心を通いあわせるときに使われる言葉です。多民族国家であるオランダを支えている感覚が、このティームヘフールかもしれません。オランダに2年半住み、その後も毎年のようにオランダに渡って児童書の情報収集をしてきた私ですが、うれしいことに紙芝居という切り口を通じて、オランダ人の素顔が新しく見えてきたようです。 訪問先のハーグ教育大学、子どもの本の博物館、ズウェイセン出版社、インターナショナル・スクールにそれぞれプレゼントしてきた紙芝居が、今後の良い参考となるでしょう。「いろいろな人種の子どもが集まっているオランダの学校に、紙芝居はぴったり。言葉が多少わからなくたって、紙芝居はいっしょに楽しめる」という感想を、大学関係者や作家、出版社から聞くことができました。積極的な質問も多く、手応えを感じました。もし、このまま順調に紙芝居に対する関心が現地で高まっていけば、具体的にどう紙芝居を作っていくか、という点に焦点を当ててオランダを訪問することが、近い将来必要になってくるでしょう。 この訪問で、なにより嬉しかったのは、オランダ側の受け入れ態勢を作ってくれた児童文学作家のリンデルト・クロムハウトさんから、「ぼくも紙芝居の文章を書き下ろしてみたい」と、申し入れがあったことでした。 オランダ生まれの紙芝居が、思ったより早く、生まれてくるかもしれない−<オランダかみしばいの旅>の一週間を終え、そんな嬉しい予感を覚えています。「紙芝居で会いましょう!(Tot ziens in de wereld van KAMISHIBAI)」という挨拶を残して、私たちは帰路につきました。 |
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