『童話への招待』(日本放送出版協会 1970)

W 二十世紀イギリスのファンタジー

「ヒキガエル屋敷のヒキガエル氏」

 今世紀の最初の十年は、エドワード時代とよばれ、ヴィクトリア時代の余光をたもった平穏な短い時期である。そして、すでにのべたE・ネズビットのもっとも活躍した時期である。彼女をのぞいて、この時期にかかれ、この時期を代表する作品は、ケネス・グレアム(1859〜1922)の『たのしい川辺』(1908)であろう。多くの研究書の分類にしたがえば、擬人化された動物の物語となるこの作品は、テムズ川の川辺の小動物たちを主人公にした作品である。

 春の大そうじをしていたモグラは、春の気配にうかされて地上にとび出し、川ネズミと知りあっていっしょにくらすようになる。そして、近くに大きな屋敷をもつ紳士ヒキガエル氏と知りあいになる。このヒキガエル氏は、軽率で移り気で好奇心旺盛なお人好しである。ボートにうつつをぬかしたかと思うと、つぎは、馬車旅行にこって、モグラやネズミとともに旅に出る。ところが途中で自動車とすれちがいざま、馬車をひっくりかえされてしまう。ネズミとモグラは、かんかんになっておこるが、ヒキガエルは、「返事ひとつするわけでなく、道のまん中から動こうともしません。そこで、ふたりは、いったいどうしたのかと、見にいきました。すると、ヒキガエルは、まるで夢でもみているように、うれしそうににっこりしながら、あのらんぼうものが、ほこりをたてていったあとを、まだじっと見送っているのです。そして、まだときどき、『ぷー、ぷーっ!』とつぶやいて」(石井桃子訳、岩波書店、五七ページ)いる。
 それ以後、ヒキガエルは、自動車にやみつきになり、ネズミ、モグラ、そしてアナグマ三人が監禁してまで、自動車熱をさまそうとするのに承知せず、ついに他人の自動車まで運転してしまって、監獄行きとなる。その間に、屋敷はイタチやテンに占領されてしまう。牢番のむすめの助けで脱獄したヒキガエルは、屋敷のありさまをきくと、つくづく後悔し、友の助けで屋敷をうばいかえしてからは、りっぱな思慮深い紳士になる。
物語の筋はだいたいそんなものなのだが、その間にはいるようにして、四季おりおりの自然の美をえがく章のあるのが、この本の大きな特色である。冬の森で道にまよったモグラとたすけにきたネズミが、アナグマの地下の家にたどりつくと、そこには、気持ちよく燃える暖炉が待っている。
「床は、かなりすりへった赤れんがで、壁に切りこんだ大きな炉には、丸太がもえさかっていました。そして、・・・・・よりかかりの高いいすが二脚、火をはさんで、むかいあっているのを見ると、交際ずきな人間は、ついすわって話をしたくなります。部屋のまん中には、長い、足のおりたたみ式になっている白木のテーブルがあり、その両がわには、ベンチがおいてありました。テーブルのはしの、安楽いすが、うしろにおしやってある席には、アナグマの質素ながらもたっぷりした夕食の残りが、のっていました。」(同前、九二ページ)
 「あかつきのパン笛」の章には、この本でもっとも有名な一節がある。まいごになったカワウソの子を、ネズミとモグラがボートでさがしにいくシーンである。
「地平線は、夜空にもくっきり浮かびあがっていましたが、ただ一ヵ所だけが、だんだん明かるくなってくる銀色の光の下で、ことさらに黒ぐろと見えていました。そして、とうとう、待ちかまえている地のはてに、ゆっくり、荘厳な月が、顔をだしました。月は、やがて、すっかり地平線をはなれると、港をはなれた船のように空にのぼっていきました。そして、ふたりの前には、ふたたび大地が――ひろびろとした牧場や、しずかな野菜畑が見えはじめ、川は、岸から岸までやわらかな色につつまれてひろがっていたのでした。さっきまでの、あの神秘さやおそろしさは、すっかり消えて、まるで昼間のような明かるさですが、そのくせ、昼間の景色とは、おどろくほどのちがいようです。」(同前、一七六ページ)
 こうした状景や光景は、イングランド人がほこりをもって愛しいつくしんでいるものであり、グレアムはそれを詩人の目でとらえて、読むものをして、自然の美と驚異に目をひらかせる散文にしあげたのである。その美と驚異を含むヒキガエルのどたばたした喜劇も、イギリス人特有のこっけい感から生まれている。美と笑いの陰にひっそりとかくれたようになっているが、ヒキガエルの生活態度の改善もこの作品を理解する上で、興味ある問題ではないかと思う。新しがりやで移り気なヒキガエルは、思慮分別のある硬骨漢アナグマによって、やはり落着いた人間に変えられてしまう。そして、豊かな自然にかこまれたくらしを送る。こうしたくらし方をよしとする考えは、イギリスの子どものための文学に、しばしば見られる。グレアムの場合は、若い頃、数々の挫折を味わわされたことと無関係ではないだろう。彼は、経済的な事情で大学へ進学することなく、イングランド銀行につとめなくてはならなかったし、銀行員となってから、つぎつぎに書いたものは、長い間みな出版を拒否された。世俗的にはけっして成功者とはいえなかったのである。そうした経歴が、『たのしい川辺』の世界に色こく反映していることは当然考えられる。だから、それが作品の価値をさげることではけっしてないけれども、やはり一種の逃避の文学、隠遁者の文学であるともいえる。そして、その流れは、たしかにイギリスの児童文学にある。
ところで、この作品の重要な道具である自動車は、たしかにエドワード時代にイギリスに姿をあらわしている。また、川辺のピクニックや庭園でのお茶の会も、この時期特有のものであるという。『たのしい川辺』は、あらゆる意味で、時代の子であるということができるだろう。

『クマのプーさん』

 戦争はいっさいのものを荒廃させるし、戦争後は、復興が軌道にのるまでは、やはりすぐれた文化は成立しない。1920年代は、荒廃と社会不安と戦争による損失で、世界的によい子どもの本が生まれなかった時期である。イギリスでは、この時期、A・A・ミルンの四つの作品、『ぼくたちがとても小さかったとき』(1924)『ぼくたちは今六つ』(1927)の二つの童謡集と『クマのプーさん』(1926)『プー横丁にたった家』(1928)しか、特にあげるべき作品は見あたらない。
 「プーさん」の二冊は、子どもべやで生まれたと、ミルンはいっている。息子クリストファ・ロビンが生まれて、やがて子どもべやに、つぎつぎぬいぐるみのおもちゃがはいると、子どもがいじってくせをつけ、母親が一つ一つに声を与えた。こうして、クマのプーさん、コブタ、ロバのイーヨー、トラのトラー、カンガルーの親子、カンガとルーがそろった。ミルンは、それに、フクロウとウサギを創造してつけ加え、物語化したという。二冊の本はエピソードの連続から成っている。そこで、より物語化されている続編の第三章を紹介しよう。
 プーが、ある日、ハチミツのつぼをかぞえていると、友人のウサギが、彼の「親せき友人のひとり」チビがいなくなったので、捜索隊を組織するから仲間に加われといいにくる。そこで、プーは考える。
「 物をさがす順序
 一 特別な場所(そこでコブタを見つける)
 二 コブタ(そこでチビがだれだかをきく)
 三 チビ(そこでチビを見つける)
 四 ウサギ(そこでチビを見つけたことを話す)
 五 それから、またチビ(そこでウサギを見つけたことを話す)
(石井桃子訳、岩波少年文庫、六八から六九ページ)
 こんなふうにさがそうと思ってあるきはじめると、おとし穴におちてしまう。すると、そのおとし穴にコブタがいる。プーとコブタは、その穴がゾゾ(象)をつかまえるために自分たちが作ったものであることに気づき、ゾゾがくるかもしれないとこわくなる。そこでコブタは、口でもって言いまかす手順を考え、ゾゾを言いまかす空想にうっとりしていると、急に頭上で「ホホウ!」と声がする。コブタはぞっとして、今まで空想した手順どおりに事をはこぼうとするが、まるでだめ。そして、声の主が親友のクリストファ・ロビンとわかると、コブタは、
「チラと上を見て、すぐまた目をふせました。そして、とても自分はばかだと思って、なさけなくなり、もう少しで海へにげていって、船乗りになってしまおう、と決心しかけたとたん、なにかを見つけたのです。
『プー』と、コブタはさけびました。『きみの背なかに、なにかはって歩いてるよ。』
『どうもそうだと思ったよ。』と、プーがいいました。
『チビだ!』と、コブタはさけびました。
『あれ、まあ、そうかね?』と、プーは言いました。
『クリストファ・ロビン、ぼく、チビ、見つけたんです。』コブタは、さけびました。
『コブタ、えらいぞ』と、クリストファ・ロビンは言いました。
 こうほめられると、コブタは、またすっかり幸福な気持ちになりました。そして、やっぱり船乗りにはなるまいときめました。」(同前、八六から八七ページ)
 ミルンは、二冊のプーを、大人のための作家が全力をあげて子どもべやに取り組んだといっている。それはたしかなことであるが、一面、時代と大人の社会からの逃避であることも、まちがいない。これが発行された当時、大人の間でもてはやされたことが、それを立証している。そして、その後、大人たちは、うたがいの目を向けるようになったが、子どもたちは、現在に至るまでずっと楽しんでいる。
 これは、子どもの世界そのものをえがいた作品である。話のきき手であるクリストファ・ロビンが、プーの世界の絶対権力者であることは、自己中心の時期の子どもを示しているし、例にひいたプーの思考のプロセスや、コブタが、はずかしさのあまり船乗りになりたくなる飛躍した連想もまた、子ども(幼児)の内面の動きを的確につかんでいる。空想と現実とが混然とした時期の子どもたちにとって、だからプーの世界は、自分たちの世界である。そして、やや年上の子どもたちにとっては、一種の優越感とともに共感できるユーモアにみちたあそびの世界である。イギリスの作家=批評家ジョン・ロウ・タウンゼンドは、「プー」は、まったく裏の意味を持たない一次元的な世界であるとのべているのは、その点なのであろう。裏の意味を持たないからといって、それは登場人物がさまざまな人間のタイプを示していることとは相反するものではない。クリストファ・ロビンは幼児そのままであるけれども、ウサギはお人好しで世話好きのおせっかいやきを、イーヨーは悲観的人生観をもつ男を、コブタは律儀な小心者を暗示する。では、プーは? プーは、幼な心の象徴かもしれない。
 幼児にとっては、生活そのものであるプーの世界は、大人にとっては、失われてしまった宝のようなノスタルジアの世界である。しかし、それだけでは、大人は子どもの本を読むことはない。やはり、大人には大人として評価できるものがなくてはならない。プーの世界の住人たちは、大人が評価できる、人間のタイプにまでなっているのだし、簡明な描写はときに詩を感じさせる高みに達している。
テキストファイル化安竹希光恵