『童話への招待』(日本放送出版協会 1970)

現代ドイツの魔法

 グリムのメルヘンの国ドイツは、現在にいたるまで、やはりメルヘン(リテラリイ・フェアリー・テイルズ)が空想物語の主流をなしている。
 グリム童話が出たすぐ後、E・T・A・ホフマン(一七七六〜一八二二)が『クルミわりとネズミの王さま』(一八一九)を子どもたちに送った。おもちゃの兵隊とクルミわり人形が、少女の夢の中ではげしくたたかい、ついに、クルミわりが悪いネズミの王をうちまかして、人間になり、少女と結婚するというこの物語は、『クルミわり人形』の題で曲になり、いまも親しまれている。
 このホフマンの影響を受けたヴィルヘルム・ハウフ(一八〇二〜一八二七)は、わずか二十五年の生涯のうちに、『隊商』『アレッサンドリアの長老と奴隷たち』『シュッペサルトの宿屋』の三作を子どもたちにおくった。これは、アラビアン・ナイトの影響もつよく受けた、いわゆる粋物語で、東方へのあこがれとゲルマン伝説的悲劇性のまざりあった、濃厚な美と夢幻の世界であった。
 医学教授であったリヒャルト・レアンダー(一八三〇〜一八八九)は、一八七〇年、普仏戦争従軍中に、『フランスの炉辺の夢』という名で後にまとめられたメルヘンを、故国の子どもに書き送った。二十編のメルヘンは、昔話の形を忠実に守りながら、作者の美しい精神の格調がひびいてくるテーマをもち、それが情感ゆたかに表現されている、小さな傑作であった。
 二十世紀になっても、メルヘンの流れはつづく。リアリスティックな物語にエポック・メイキングな貢献をして、ドイツの児童文学をがらりと変えてしまったエーリヒ・ケストナーも、『五月三十五日』(一九三一)でメルヘンの分野に足跡をのこしている。これはおじさんと甥が、五月三十五日に、たんすから南洋に行くというナンセンシカルな寓話で、赤道が赤さびた鉄の帯だったり、混血児が、黒白ごはん縞の皮膚をしていたりするナンセンスな思いつきのほか、「なまけものの国」「過去の国」「さかさまの国」などで、軽妙な風刺をきかせている。
 第二次大戦後、児童文学が世界的な規模と視野をもって書かれ、論じられるようになり、各国とも、続々と新しい空想の物語を生むようになった。ドイツも、現在までに、ジェイムズ・クリュス(一九二六〜)と、オトフリート・プロイスラー(一九二三〜)の二人を国際舞台に押し出している。

 クリュスは、北海の小島ヘルゴーランド島に生まれ、大戦に参加した後、一九四九年から子どもの文学に手を染め、多くの作品を発表して、一九六八年に国際アンデルセン賞を受賞したドイツの代表的作家である。彼の作風を知るには、一九六六年の『風のうしろのしあわせの島』あたりが適当であろう。
 『風のうしろのしあわせの島』は、数ある理想郷物語の一つである。一九四五年、マディランコビッチュ船長の「ツィカーデ」号は、戦争がおわった直後、ユーゴスラビア近海を航行中、計器いっさいがきかなくなって、伝説的なうごく島「風のうしろのしあわせの島」にすいよせられてしまう。この島は五つの小島から成っていて、まわりを風がとりまいているため、ふつうそこにはいることはできない。
 島にたどりつくと、人間はまず生物いっさいの言葉がわかる錠剤をのまされる。この島国では、人間、動物、植物がみな口をきく市民であって、動物も植物も輪番制で国をおさめている。だから外部からまぎれこんだワシやタカがニワトリでもおそおうとすれば、そばの木が枝をうごかして、たたきおとしたり、人間の養女が牛乳でおぼれそうになった蚊だったりする。亀の先生がサクランボの木を生徒にして授業をしているかと思うと、チンパンジーがレンブラントやルーベンスの絵を論じている。暴力のない絶対平和な国なのである。「ツィカーデ」号は、五日間ここにいてまたこの世にもどるが、十一年後ふたたび島にもどってしまう。

 この作品は、かなり長い空想の物語であるが、質的には、グリム以来のメルヘンの流れに沿っている。「ツィカーデ」号の機械がいっさいだめになって、陸が見えたとき、船長はふいに「風のうしろのしあわせの島」のことを思い出し、
 「ご婦人がた、船員しょくん!いろいろなきざしから見ますと、これはおもいがけなくも、『風のうしろのしあわせの島』によるらしいのです。しかし、ちっともしんぱいするにはおよびません。それは、この島についてしるされている報告が、なにもかもぐあいのいいことばかりだからです。・・・・・・」(植田敏郎訳、講談社、二九〜三〇ページ)
と、しごくあっさり説明すると、それをきいた人たちも、
 「この島は、えらくあぶなかしそうですなあ。」
 「のどかなけむりが見えますよ。岸にはあやしいものはなんにもありません。」
ぐらいの反応しか示さない。要するに、近代小説の描出法ではなく、これは昔話のパターンにのっとった描写である。だから、はじめて見る不思議な国も、
 「湾の青い水の中に、ばら色のフラミンゴ(べにづる)が、わたしたちのことはあまり気にもしないで、あちこち泳ぎまわっていました。でも、おとなしいフラミンゴは、この島でぜんぜんふしぎなものではありませんでした。
 湾のぐるりに背の低いなつめやしがあり、そのみどりのうちわのあいだに、ぶちのひょうだの、くろひょうだの、まだらのチータなどが寝そべっていました。やしの根もとでは、猛獣の子どもたちが、ペンキをぬったやしの実で遊んでいました。ライオン・ぞう・きりん・アメリカわになんかも、岸にそって散歩していました。そして熱帯地方ふうの白い服を着た男たちと、ふわふわとしたきぬの着ものを着た女たちが、そのあいだをぬって散歩していました。」(同前、三四ページ)
と、きわめて類型的にえがかれるにすぎない。この物語には、連続する事件の論理的関連を説明したり、ものごとの必然的な成りゆきを追及したり、主人公と彼をとりまく環境の立体的描写をしたりするところがすこしもない。これは、魔法の容認された世界、ふしぎが説明なくまかりとおるメルヘンの世界なのである。だが、メルヘンの世界であることは、読者に明瞭なイメージをもたせないことにはならない。しあわせの島に上陸して「どうぞおしあわせな日を」と動物にあいさつされたり、猫たちが船の修理をしているのを見たりすると、この島の輪郭や内容がしだいに厚味をおびて頭の中にえがきだされてくる。つまり、結果としてファンタシーとおなじものを、読者に与えてくれる。この現代のメルヘンは、魔法が容認されているというより、読者が容認させられてしまう世界といった方がよりふさわしいだろう。現代のメルヘンは、描写、場面の設定、構成などで、たしかにファンタシーとはちがう。しかし、この作者は、ファンタシーの作者同様に、えがくべき魔法の世界について、明瞭なイ
メージをもっている。そして、そのイメージを、事件やおどろくべき出来事の強調によって、また、他の部分を、それらのつなぎとして、できるだけ省略した形にすることによって、読者に提出している。事件や出来事も、精密な描写によるより、むしろ、きわだった対比や意外性といった性質によって印象づけるようにつくってある。
 『風のうしろのしあわせの島』は、理想郷物語であるから、当然、現状批判から出発している。この理想郷の根底には、聖書のように、世界は原初において楽園であったのが、人間の知恵の悪用が欲と闘争を生み、今日に至ったという考えがある。だから、現在のあらゆる政治形態には否定的である。
 「・・・・・・わたしたちのアメリカでは、すばらしいおさめ方がされていますよ」と、アメリカ人がいうと「ねずみは、それにたいして口を皮肉たっぷりにとがらせました。まあそれをほほえみといってよければ、ほほえんでいましたよ。そして、だまって」(同前、五二ページ)いるのである。
 年少の読者に向けた本であるから、理想郷実現へのプロセスはないし、また作者にも、それはないのだろう。示されるのは、かしこいことは善良であり、善良であることは、かしこいことである、そしてかしこい人によって、それぞれが喜び、みんなが喜ぶ政治がおこなわれなくてはならないという考えのみである。
 ドイツの創作されたメルヘンは、この作品にかぎらず、政治性の高いものが多い。ケストナーの『五月三十五日』がそうだったし、やはり、ケストナーの作品である『動物会議』が反戦平和をうったえている。第二次世界大戦中に四十編の童話を書いたヴィーヘルトも、強烈な反戦非暴力思想をメルヘンに結晶させた。その点、イギリスのメルヘン(リテラリイ・フェアリー・テイルズ)とは、だいぶおもむきを異にするし、アメリカのそれともはっきりちがっている。
 考えてみれば、人生智、人間性、風刺などを含んだ昔話は、それが生まれた時代の現実の反映であったわけである。だから、創作されたメルヘンが、高度の現実性・政治性をおびるのも当然かもしれない。一般的に、メルヘンはファンタシーほどに現実への密着度はないことは、すでにのべた。しかし、すくなくとも、ドイツのメルヘン作家たちは、現実との直接的なかかわりをこえて、永遠の真実や美を追い求めようとはしていない。
 ひじょうに興味ある作家はオトフリート・プロイスラーである。プロイスラーはケストナーやクリュスのような政治性・社会性をもたない。よい魔女とは、人間に悪いことをする魔女であるという常識に気づかず、人間によいことばかりをしてしまう『小さな魔女』(一九五七)や、古い城に住む小さなおばけのゆかいなどたばたさわぎをえがく『小さなおばけ』(一九六六)は、昔話や伝説の世界をそのまま利用しながら、魔女やおばけを子どもそのものにすることによって、メルヘンの世界へ読者を素直にさそいこみ、空想のたのしさを味わわせ、やさしく正常な人間関係を説いている。メルヘンの世界そのままでありながら、一面まったく現代的な作品である。

 最近、わが国の子どもの本の世界では、ファンタシーあるいはファンタジーという言葉で、空想の物語全体をくくってしまう傾きが強い。むろんファンタシーも、メルヘンも、フェアリー・テイルズも、要は想像力の一つである空想力の産物であることには変りない。だから、空想の話は、ぜんぶファンタシーとよぶことを一般がみとめてしまえば、それでもよいと思う。メルヘン、リテラリイ・フェアリー・テイルズ、フォーク・テイルズ――といった外来語をつかってのこまかな分類など、研究者たちにまかせておけばよいことで、読者にとっては、作品さえよければ、それでよいのかもしれない。ただ、今まで長々とのべてきたことの中で、はっきりとおぼえておいてほしいことは、次のことである。
(一) 各国が、独自の空想の表現法をもっていること。
(二) だから、一国の型をもって、べつの国の空想の物語を律するのは、評価をあやまるおそれがあること。
(三) すぐれた空想の物語は、つねに今日的課題を内包していること。そして、それは、美や詩的情緒などと相反するものでないこと。


童話の内と外

 空想的な物語についての用語や概念のあいまいさや混乱と同様に、童話という言葉も、じつにさまざまな意味をもってつかわれている。童話は、ときに子どものための文学の総称である。これは、一時期、どんな子どもの本にも童話とついたため、今もそのままつかわれているのであろう。ときには、幼児や小学校低学年、つまり空想と現実が混然一体となってそれが内面の現実である年令から、常識の占める比重がまだ小さい年令の子どもたち向きにかかれた物語を童話と名づける人もある。多くは空想的な物語である。
 昔話やアンデルセンなどをさしている場合もある。わたしも、狭義には、昔話(メルヘンとか、フェアリー・テイルズなど)と、アンデルセンやオスカー・ワイルドなどの個人によってつくられたメルヘン、あるいはリテラリイ・フェアリー・テイルズまでを童話とよび、それ以外のファンタシーやリアリスティックな物語を除外したい考えである。それは、歴史的にも、通念としても、童話という言葉には、メルヘンの世界がどうしても結びついて考えられるからである。空想性からいえば、いわゆるファンタシーも含まれるかもしれないが、ファンタシーの現実性、その小説的描写などは、なにか童話という言葉にそぐわない。
 狭義にとことわったのには、理由がある。『ハイジ』や『小公子』を考えてみよう。ハイジは、物語のはじめアルプスにいる。それが、おばさんのはからいでフランクフルトのお屋敷へお嬢さんのお相手として奉公に出る。しかし、ホームシックになってアルプスにもどり、やがてお嬢さんをアルプスにむかえる。
 小公子セドリックは、アメリカの裏街にひっそりくらしているが、イギリスの伯爵家の世つぎとみとめられてイギリスに行き、継承争いを含むいくつかの難問を解決して幸福をつかむ。
 この二つは、本質的に昔話とちがうところがない。ばかな末息子が、幸運をさがしに旅に出て、超自然力をもつ人間・動物・物などの助けをかりて、めでたく幸運をつかむ話と結局は変わらない。一方は魔法がみとめられた世界であり、一方は写実的な日常法則の支配する世界であるにすぎない。ハイジもセドリックも魔力をもたないが、それに匹敵する純な心をもっている。純な心の行くところ、あらゆる人びとの心のとびらはひらかれ、なにもかもうまくいくのである。『ハイジ』も『小公子』も一種のロマンスだからとも考えられるが、第二次世界大戦後のリアリスティックな作品のどれを見ても、結局は、主人公がいて、さまざまな苦難、ごたごたなどを努力や協力などでのりこえて成長していくパターンには変りがない。つまり、子どものための文学は、一九五〇年代までは、童話のヴァリエーションといいきってさしつかえないと思う。その意味では、すべての子どものための文学を、童話とよぶことも、しごく理にかなったことといえる。
 しかし、六〇年代になると、どうにも童話のヴァリエーションとは考えられない子どもの文学が生まれてきた。ジョン・ロウ・タウンゼンドの『侵入者』(一九六九)は、その代表的なものであろう。
 アイリッシュ海にのぞむ小さな町に、少年アーノルドは、父親といっしょに、宿屋兼よろず屋をひらいている。その港町は、地形の変化のために港でなくなり、町はいわば死の町になっている。そんなある日、アーノルドの宿屋へ、やはりアーノルドと称する男がやってきて親戚のものだといい、ずるずると居すわってしまう。少年アーノルドがけんかをしても、警察にたのんでも、あたり一帯の権力者にたのんでも、この侵入者を追いはらうことはできない。絶望した少年アーノルドは、家を出ようと決心し、あらしの夜もう一度侵入者と争って、海岸ににげる。追ってきた侵入者は波にのまれて死んでしまう。そして死後、侵入者はたしかに親戚のもので、少年アーノルドとおなじように宿屋に対して権利をもっていたことがわかる。

 『侵入者』は、もはや童話のヴァリエーションということはできない。話は一応少年の勝ちに終わり、彼の生活は保証されるが、彼が偶然のたすけによって守ったものは、死の町のまずしい宿屋である。将来大いに繁盛するあてもない、先細りのくらしである。少年が世間に出ていって大活躍し、幸福をつかむ型はここにはもうないのである。
 子どものための文学が童話のヴァリエーションでありえた根底には、人類の進歩発展に対する確信があったと思う。また、大人になって人類の進歩の一翼をになう準備をさせる期間としての子ども期に、大人が解決すべき問題をもちこまないという一種の節度というかゆとりというか、そんなものが、童話とそのヴァリエーションとしての子どものための文学を可能にしていた。だが、現在の危機意識は、大人からゆとりも節度もうばいとった。大人は子どもにも現在の危機を知らせ、ともに危機の克服のためにたたかわなくてはならなくなった。大人は、「そして、それからは、ふたりはいつまでもしあわせにくらしました」と、子どもに語ることができなくなったのである。
 世界的に見て、子どものための文学は、第一次大戦で大きく変わり、第二次大戦後にもう一度変わったが、六〇年代の後半から、質的な変化をはじめたのではないかと思う。だが、この変化はのぞましいものではない。子どものための文学は、永久に童話のヴァリエーションでありたい。
テキストファイル化長谷野 沙織