『童話への招待』(日本放送出版協会 1970)

 小川未明と童謡
 仕事の性質からいって、小波をグリムにたとえれば、アンデンセンの日本版は、まちがいなく小川未明(一八八二〜一九六一)であろう。第一童話集『赤い船』(明治四三、一九
一〇)以来、七九才で病没するまでに一千編近い作品をのこし、その多くがメルヘン風なもの、つまり、メルヘンの特質や型をつかって創作した作品であったことでも、彼が日本の児童文学史上、アンデルセン的な役割を果たしたことがわかる。
 だが、アンデルセンと未明のちがいは、アンデルセンが現在に至るまで批評家や読書から賞讃されるばかりであるのに、未明は絶賛と否定の両極端に立たされている点であろう。
そして、両極端の評価は『赤いろうそくと人魚』(大正一〇、一九二一)に集中して、そこから彼の作品全体に及んでいる。その『赤いろうそくと人魚』は、つぎのような筋の作品である。

 北の海に一匹の女の人魚がいた。人魚は、話しあいてもなく、暗いさびしい北の海にこれから生まれてくる子どもをおきたくないと思い、生まれた子どもを岸辺にすてごする。すると心のやさしいろうそく屋の老人夫婦がひろってそだててくれる。人魚の子は、自分が異類であるのに、わが子のように育ててくれる老人夫婦に感謝し、売っているろうそくに魚や海草の絵をかいて商売を手伝う。そのうち、人魚の子が絵をかいたろうそくを、海岸のお宮にそなえると、しけに会っても船が沈まないといううわさがたち、そうろく屋は繁盛する。だが、やがてろうそく屋のむすめが美しい人魚であることを知った香具師が、大金をつんで買いにくる。はじめはことわっていた老人夫婦も、金の誘惑に負けて、むすめを売ってしまう。つれていかれるとき、むすめは、いそぐままに、手にしていたろうそくをまっかにぬっておいていく。すると、夜、見知らぬ女がその赤いろうそくを買っていく。そして、その夜海は荒れて、人魚の子をのせた船は沈んでしまう。それ以後、海岸のお宮に赤いろうそくがともるのを見た人は、かならず海で死ぬようになる。そして、ほどなく町はさびれてしまう。こんな話が、
「人魚は、南の方の海にばかりすんでいるのではありません。北の海にもすんでいたのであります。北方の海の色は、青でございました。あるとき、岩の上に、女の人魚があがって、あたりの景色をながめながら休んでいました。
雲間からもれた月の光がさびしく、波の上を照らしていました。どちらを見てもかぎりない、ものすごい波が、うねうねと動いているのであります。」(「小川未明童話
全集」第一巻、講談社、昭和二五年、一九五〇、八一ページ)
といった詩的といわれる文章でのべられている。つめたい北の青い海、まっくらな夜にともる赤いろうそくなどが北方的な暗さを持つ美しい幻想として評価され、売られる人魚の話は人身売買への批判とうけとられ、詩的幻想性の中に鋭い批判精神のこもる秀作となって、戦後のある時期まで圧倒的な影響力をもったのである。
 絶対視されていた『赤いろうそくと人魚』を、じつににべもなく批判したのは、『子どもと文学』(石井桃子ほか著、昭和三五、一九六〇)であった。わたしが引用したのは、冒頭部分であるが、『子どもと文学』は、その冒頭について、
 「この女の人魚は、さびしい海の中の自分のさびしすぎる境涯をなげき、子どもにはこんなさびしさは味わわせまいと思って、『人情もあってやさしいときている』人間の世界へ、これから生まれるわが子を『捨て子』しようと、ながいながい思い入れの後に決心します。ところが、その決心がおわったとたんに、今まで見わたすかぎり何も見えなかったはずの海の上に、つごうよく『かなたの海岸の小高い山の上にある神社の燈り』が見えはじめ、『ある夜、女の人魚は子どもを生み落とすために』陸にむかっておよいでゆきます。」(『子どもと文学』、中央公論社版、一二ページ)
とのべ、その描写のあいまいさをついて、未明の幻想性には非現実の世界のリアリティがないことを批判した。そして、未明が子どものためにでなく、作家の自己表現のために童話に生涯をかけ、「童心」という不確かな概念にむかって作品をかいたため、結局、子どもを児童文学から追い出したと指摘した。
 この未明批判は、空想的な物語には、非現実のリアリティがなくてはならず、それは、理路整然とした叙述でなされねばならないという主張を正しいと認めれば、じつにみごとな説得力をもつから、今にいたるまで、他の未明批判以上に影響力をもっている。
 わたしは、小川未明という作家は、混在する多くのものを整理できないまま、作品に表現してしまった人ではないかと考えている。たとえば、神の問題である。『子どもと文学』が対比のためにあげているアンデルセンの『人魚姫』の背後には、霊魂の不滅を説くキリスト教がある。そして、アンデルセンの全作品は、キリスト教の信仰につらぬかれている。『赤いろうそくと人魚』の場合は、ろうそくをお宮にあげるのであるから、神道であろう。そして、老夫婦をはじめとする人間への罰は、神によってくだされるのだが、神道に
は大勢の神々がいる。そうかと思うと『金の輪』という作品は、どうやら仏教思想が根底にあるらしく、そうした批評がなされている。
 太郎という子が、長い病気にかかり、ようやく外に出られるようになったある日、家の前にたたずんでいるとひとりの少年が金色に光る二つの輪をまわしてやってきて、通りすぎながら太郎を見て微笑する。翌日も、同じ時刻に、少年は金の輪をまわしながらあらわれて、きのうよりいっそうなつかしげに微笑する。その夜、太郎は、その少年から金の輪を一つわけてもらって、赤い夕やけの空の中にはいっていく夢を見る。太郎は、翌日からまた熱を出し、三日目に七つで死んでしまう。
 『金の輪』については、花岡大学氏が仏教徒であるためかもしれないとことわりながら、この作品を、燦然と金色に光った救い、絶対なるものの、広く大きな愛情と評し、「そこにあらわれている絶対なるものの明るい救いが、未明の千篇の作品を貫くはっきりとした線と考えても、けっしてまちがいではない」(『児童文学の世界』、二五二ページ)としている。

 ところが、『飴チョコの天使』には、題名どおり天使があらわれる。
 「飴チョコの箱には、かわいらしい天使がえがいてありました。この天使の運命は、ほんとうにいろいろでありました。ある者は屑かごの中へ、ほかの紙屑などといっしょに、
やぶって捨てられました。また、ある者は、ストーブの火の中に投げ入れられました。(中略)
 天使でありますから、たとえやぶられても、やかれても、またひかれても、血の出るわけではなし、また、いたいということもなかったのです。ただ、この地上にいる間は、おもしろいことと、かなしいことがあるばかりで、しまいには、たましいは、みんな青い空へと飛んで行ってしまうのでありました。」(「小川未明童話集」、新潮文庫、昭和二七、一九五二、一〇二〜一〇三ページ)
 いくら童話の世界だからといって、これはどう考えたらよいのだろう?花岡氏のいう絶対なるものが、本地垂迹よろしく、神道の神やキリスト教の天使になってあらわれると未明が考えていたはずはないから、宗教に対して寛容で真剣でない日本人の一般的慣習にならっているか、童話の世界の自由さかどちらかなのだろう。
 だが、真実の審判者がしばしば出てくる未明の童話にあたって、この混乱は、結局テーマのあいまいさをひきおこす。アンデルセンの明瞭さの一部は、キリスト教神学体系の明瞭さに依拠しているのである。
 宗教の点だけを例にとったが、思想・美意識その他、未明は、ひじょうに多くのものを豊かにもちながら、それらを融合統一できなかったのではないだろうか。すくなくとも彼は、分析と総合の能力に欠けていたように思う。だから、ときどき、彼の作品は、テーマがよろけていて、はっきりとつかめない。『ある夜の星たちの話』など、それだろう。これは、寒い冬の一夜、空の星たちが夜中から朝までの時間の経過の中で、下界を観察しながら話しあう様子をえがいたもので、天と地を一挙につかむ形の想像力は、非凡なものを感じさせるが、まずしいある家庭、汽車・工場の煙突と、観察をならべていくうち、汽車のところで、
 「『よく、そうからだがつかれずに、汽車は走れたものだな。』と、運命の星は、頭をかしげました。
『そのからだが、かたい鉄でつくられていますから、さほどこたえないのです。』と、やさしい星がいいました。(中略)
『そんな堅固な、身のほどを知らない、鉄というものが、この宇宙に存在するのか?おれは、そのことをすこしも知らなかった。』と、めくらの星はいいました。
 鉄という、堅固なものが存在して、自分に反抗するように考えたからです。
 このとき、やさしい星はいいました。
『すべてのものの運命をつかさどっているあなたに、なんで汽車が反抗できますものですか。汽車や、線路は、鉄でつくられてはいますが、その月日のたつうちにはいつかはしらず、すりへってしまうのです。みんな、あなたに征服されます。あなたをおそれないものはおそらく、この宇宙に、ただの一つもありますまい。』」(「小川未明童話集」、新潮文庫、五二〜五三ページ)
とまったく下界の深夜の情景と関係ない万物流転を説くような哲学的考察が顔を出す。このため、寒夜に働く人たちへのあたたかな思いやりに集中できるはずだったテーマは迷走してしまう。そして、人生・運命・時間・永遠といった幅と厚みをもつような、あるいはつかみどころのないようなものに、この作品の印象は変わっている。
 未明の作品は、部分的に想像力のさえを見せ、色彩感にあふれる美の世界や驚異の世界を見せてくれることがある。また、テーマが明確さをもっているときは、格調ある批判精神が感じとれる。こうした特徴も、小川未明が、内面のあらゆるものを分析・再構成せずに、一つ一つ独立させて混在させていた証拠である。だから、多くの人々は、彼の美の世界を楽しみ、ある人々は、強烈な批判精神に感銘し、またある人びとは作品にこもる気迫や情熱を感じる。だが、そうした特徴は一つの目的=テーマにむかって効果的に整理されることなく、ばらまくように、作品のあちこちにおかれる。それがかえって意味深さの虚像をつくりあげる。

 未明は、昔話とは別種な美の世界や驚異の世界をつくりだし、その中で、独自の思想を子どもに語りかけようとつとめた人であった。もし、彼の、メルヘンにふさわしい想像力が有効に発揮されて、テーマを十分につたえる作品が生まれていたらどんなによかったかと思う。そして、後につづくリテラリイ・フェアリー・テイルズの作家たちは、ついに未明が完成できなかったこの分野を完成させるべきであったと思う。ところが、多くの作家たちは、その社会性ある批判精神を、または叙情性や美をというように、部分の継承のみにはしり、未明の混沌たる文学を一歩すすめることがなかった。
テキストファイル化加藤美砂