『童話への招待』(日本放送出版協会 1970)

日本の<童話>の世界

戦後の岡本良雄の作品からきえた小世界を、わたしは「童話の世界」とよびたい。
 この「童話の世界」とは、いったいなんだろうか。それを、たしかめるために、もう一度、小川未明から、かんたんに復習してみよう。未明は、小波のお伽ばなしの教訓臭にあきたらず、詩情のある、そして自己の思想を盛りこんだメルヘンを日本で創造した。そのとき、彼は、子どもの中にあると信じた<童心>を作品創造の基礎においた。つまり、子どもの純粋性を大人の社会の対立物として置き、それによって社会を批判した。広介は、人の性の善であること、そして、それが子どもにもっともいちぢるしくあらわれることを前提に、子どもに向かって、真と善と美の世界をえがこうとした。
 時代のうつりかわりで、児童文学も現実への接近がいちぢるしくなってから、リアリスティックな作品があらわれた中で、坪田譲治は、つねに、大人の社会と子どもの姿を対比させて作品にえがいた。生活童話の人びとは、現実から後退する過程で、子どもの生活の中に、自己の主張をみのらせようとした。未明の『赤い船』(一九一〇)以来、一九四五年の終戦にいたる三十五年間、児童文学の作家たちは、一貫して大人対子どもという対立概念を根底において作品をつくってきたのである。そして、その子どもは、当然、現実の子どもであるより、子どもの中から抽出したもの――新鮮な感受性、本能的正義感、愛らしさといったもののかたまり、つまり理想の子ども、架空の子どもであった。それは、リアリスティックな作品においても変わらず、現実の子どもを観察しても、その積極的な面を強調する形で、やはり理想像をえがいていた。
 空想の童話においては、理想の子どもを読者と予想して、作者の思想を美の世界でかたって提出した。リアルな童話においては、理想の子どもたちが活躍する、現実より可能性の多い世界を読者に提出した。ともに、作者の理想を表現しようとする一種の夢の世界であり、それを最初に創造したのは小川未明である。だから、終戦までの日本の児童文学は、小川未明のヴァリエーション、つまり、メルヘンのヴァリエーションということができる。換言すれば、終戦までの日本の児童文学は、小川未明の傘の下にあったといえる。
 もちろん、それを破るべき動きがなかったわけではない。もし、プロレタリア児童文学が実作面で成長をとげることができていたら、それは必然的に理想化された子ども対大人の図式から出発しない、リアリズムに立つ長編小説を生み出していただろう。集団主義という主張も、また、それがまともにのびていったら、当然長編小説への歩みをはじめていただろう。
 それらが挫折したのは、時代の力が大きいのだが、もう一つは、なんといっても、創作されたメルヘンの中に凝縮できる美と真実に芸術性があるとみた日本の作家たちの児童文学観であろう。どんな動きも、すべては未明に回帰していたのである。だから、未明伝統批判がはじまる頃から、日本の児童文学は質的な変化を開始した。未明伝統批判の一番手は、古田足日氏であった。氏は、昭和二九(一九五四)年の『近代童話の崩壊』の中で、日本の児童文学がリアリズムに立つべきであるという前提のもとに、未明以来終戦後までつづいた童話の系統が、外部の事象を内面世界に還元して解決していく「象徴童話」であるとして批判し、 「象徴に近ければ近いほど、作品中の人間の発展、変革ということは無視されてくる。偶然の並列という構想は、ここに起因する。最初は人魚の娘を神さまからの授かりものとして大切にしながら、やがて鬼のようになってしまう老夫婦の変化は、ちょっと納得できないのだが、これは、他の人間、環境との相関作用がじゅうぶんに描かれていないことを意味し、観念を形象するには相関関係を描く必要はなかったのである。人魚の娘に性格があるとはいえず、老夫婦の性格を個性的なものとして見ることもできないのである。にもかかわらず、子どもは筋を追って読んでいく。人と事との相関関係を追って読んでいく。そのストーリイによって、この作品が、他人を愛することを子どもに教える機能を持っていることは考えられる。だが、このプラスの面を打ち消してマイナスの面のほうがより大きい。ことばに表現されたものよりも、象徴的な言葉のふんいきの方が、より大きい働きを占めるからである。
北海の光景に象徴されるこの暗いものすごいふんいきが、どれだけ子どもの心を養い育てることができようか。あらしには自己慰安の影がある。自己慰安を余儀なくさせられ、抜け出る道を知らない人間の涙が一編を貫いているのである。『まっ黒な、星も見えない』夜、赤いろうそくが波の上をただよっていく風景の恐ろしさ、悲しさを知ることはできても、その恐ろしさに打ち勝つ力を、子どもは発見することができないといえよう。」(『現代児童文学論』くろしお出版、五七〜五八ページ)
と、未明とその後継作品の限界を指摘して大きな反響をおこした。
 二番手は、石井桃子、いぬい・とみこ、鈴木晋一、瀬田貞二、松居直、渡辺茂男の各氏が共同執筆した『子どもと文学』(昭和三五、一九六〇)の未明論である。
 この論文については、すでに多少ふれているのでくりかえしになるが、要するに、未明の空想には、空想の世界のリアリティがないこと、童話が自己表現であるという考えはあやまりであること、子どもを無視していることなどが主旨であった。この論文は、いわゆる日本のメルヘンにかわって、ファンタシーが必要であることを強調していたのだが、古田論文よりも平明で一般性があり、古田氏よりはっきりと未明を否定していたので、より大きな反響をよんだ。
 とにかく、この二つの批判は、未明の魔法をつきくずして、あたらしい児童文学を生む大きなきっかけをつくった。古田論文はその主旨が長編のリアリズムへの指向にあり、最初は同人誌にのったこともあって、おなじ同人誌連載中の長編『赤毛のポチ』(山中恒)完成のはげましになり、以後のリアリズム系統の作品の発達に寄与した。『子どもと文学』は、ファンタシーという概念の導入によって、以後、空想の物語のつくり方に一つの典拠を与えた。

 ところで、西欧圏のメルヘンまたはリテラリイ・フェアリー・テイルズと、日本のそれとは、どこがどうちがっていたのだろうか?
 西欧の昔話はリテラリイ・フェアリー・テイルズを生み、それは、つぎに主としてイギリスで、ファンタシーを生んだ。リアルな作品は、その系統とはべつに生まれ、べつに発展していった。
 日本の場合は、昔話からリテラリイ・フェアリー・テイルズへと進み、それとはべつに生まれ育つべきリアリズム系統の作品をも、リテラリイ・フェアリー・テイルズの中にのみこんでしまった。
 一つには、児童文学作家たちの非力が原因としてあげられよう。むろん、それは文学者としての資質の非力ではなく、政治的・社会的な意味でのそれである。日本の児童文学作家たちは、そもそものはじめから、子どもたちを、政治悪・社会悪から守るたたかいをしなくてはならなかったのだが、権力の強大さにくらべて、あまりにも弱小な彼らは、現実との衝突を通して、事実をあきらかにしていくよりも、まず、必要なことを、一刻もはやく、すこしでも多く子どもたちに知らせなくてはならなかった。それが、観念の凝縮される童話形式に彼らをしばりつけたのである。
 もう一つは、日本人の想像力の質である。本来、日本人は、ものの直観的把握に長じていて、プロセスを追って結論に達する方法をこのまない。だから、未明も、場面場面にすぐれた描写が多く、しかし、想像の世界が首尾一貫しないと指摘されたりもするのである。この想像力の質のちがいが、リアリスティックな作品を、未明の傘下におくか、または短編小説におわらせる大きな原因になったのではないかと思う。
 『子どもと文学』で導入されたファンタシーの概念は、実作面でもうらづけられ、佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』、いぬい・とみこの『木かげの家の小人たち』、神沢利子の『ちびっこカムのぼうけん』などが生まれた。これらの作品は、ファンタシーの必要条件をそなえたあたらしい文学であって、子どもたちに新鮮なよろこびを与えたが、以後、あまりすぐれたものがあらわれず、現在一種の停滞をきたしている。もちろん、ファンタシーには独自の才能が必要であり、数多く出るたぐいのものではないのだが、国民性の問題も、考えてみなくてはならない。
 すでに、空想は各国それぞれの特徴をもつことはのべた。そこで、わたしたちは、日本的空想物語とは、どんな形がふさわしいかを考えてみる必要がある。古田論文を中心とする昭和三十年頃の主張は、一時的にリテラリイ・フェアリー・テイルズ軽視の風潮を生み、『子どもと文学』の主張は、それをつよめた。だが、現在の日本の子どもに、もっともふさわしい空想物語として、イギリス流のファンタシーが考えられるかどうか。現実は、絵本を含めて、リテラリイ・フェアリー・テイルズの復活がいちぢるしい。

今後の<童話>

 今まで、大ざっぱに、世界と日本の空想的な物語の流れを追ってきたが、それで一つはっきりいえることがある。創作されたメルヘンあるいはリテラリイ・フェアリー・テイルズが生まれた背景には、かならず理想の子ども像があったということである。西欧では、児童文学の流れが、理想の子ども像からリアルな子ども像へと移行する過程で、ファンタシーを生み、リアリスティックな日常生活の物語を生んだ。日本では、一九四五年まで、リアルな子どもたちも、メルヘンの世界にとじこめられ、メルヘンの魔法の輪がやぶれた一九五〇年代で、はじめてメルヘンは、リアルな子どもたちを解き放した。歴史的にメルヘンが成立する基盤がくずれたともいえる。
 戦後、もっとも大きく変わったのは、児童文学者の子どもに対する認識であった。もはや、子どもとは、世の汚濁に対比される純粋さのかたまりではなく、独特の思考の型をもつ、自己中心的傾向のつよい、ときにいやらしく、ときに可愛い、そしてエネルギッシュな人間としてみとめられている。だから、無生物がものをいうアニミズムの世界がもっともふさわしい幼児に物語を書くときも、戦前のような大人のひとりよがりの人生論の展開など、通用しなくなった。そして高年令の子どもたちには、現実認識をたすけるリアリスティックな物語や、現実味のあるファンタシーや、ノンフィクションが用意されている。そんな中で、<童話>は、どんな形でどんな機能を果たしていくのか。
 いくつかの実例が、今後をおぼろげに示してくれる。
 一つは、空想と現実が一体となっている幼児とあそぶ魔法の世界をつくることである。『クマのプーさん』がその例に近い。
 一つは、現代ドイツのクリュスのように、主義主張の明快な表現として存在することである。
 一つは、ファージョンのごとくに、人生・人智などについての考えをひそませる高度の抽象性をもったものとして、生きつづけることである。
 そして、もう一つは、メルヘンにのみゆるされる驚異・恐怖・原始的な力などをふんだんに盛りこんだ、新しい昔話とでもいうべきものになることである。人工化の急速さは、空想の世界からも、力づよさ、たくましさ、荒々しさなどを徐々に追放している。そして、今ほど、そうした要素が必要な時代もない。わたしは、そうしたメルヘンがつぎつぎに生まれてくることを期待している。
テキストファイル化亀山恵里奈