『児童文学の中の子ども』(神宮輝夫 NHKブックス 1974)

 三〇年代的世界の終末
 絵本のめざましい変化の原因は、おそらく数多いことであろう。だが、だれにもわかる原因が一、二ある。一つはテレビの浸透である。テレビは一九三六年にイギリスで実験的公開放送が行なわれて以来、徐々に発展したが、一九五〇年代に入って政府管理だけではない商業放送が各国ではじまるに及んで、あらゆる生活面に圧倒的影響を及ぼすようになった。当然児童文学にもその影響は強かった。最初は、活字を読んで想像力をはたらかせ、人物や情景をイメージアップする過程がなく、セットの前にすわればリアルな像があらわれるテレビは、想像力を衰退させるという反対論が強くさけばれた。そしてじっさいに番組の多くが視聴者におもねったものが多かったこともあり、読書の必要性が強調された。テレビが想像力をおとろえさせるという考えは批判力を失ったが、テレビの出現をきっかけとして、改めて活字文化としての読書がより深く追究され、その価値が再認識されるようになった。内容的にも、スピーディな映像文化を受ける子どもたちに対して、重い内容を簡潔に伝える文体のものが出現したり、ものの認識が変化した子どもに対応して、対象の把捉や構成に工夫をこらしたものなども生まれている。だが、絵本への影響はさらに大きい。テレビは、実写、アニメーショソ、人形劇その他、視覚文化の可能性を大幅にひろげた。その結果、子どもは視覚的な実に鋭敏になった。グラフィック・アート風な絵本の出現など、テレビをのぞいてはとうてい考えられない。
 テレビの実写が必ずしも真実ではなく、編集の段階で変わりうることはたしかであるが、ある一つの物をあるがままの姿でうつしだすことはできる。そして、その迫真性は絵画にまさっている。写実でテレビに及ばない絵本は、テレビではほとんど表現できない面に向かった。スピーディに変わって消えてしまう映像ではなく、いつでも見られる絵の連続-その特質を生かして、絵そのものが多くを語るようになったことや、絵が外界をでなく人間の内にあるものの表現に向かった一つの原因は、やはりテレビであると思う。
 また、絵本の発達は、いつも印刷技術の発達と歩調をあわせている。テレビがどれほど視覚文化の可能性を拡大しても、それを受けて新しいデザインと色の絵本がつくれなくてはどうしようもない。世界的な絵本の発達は、どのような手法でえがかれた絵をも安くしかもはやく大量に印刷出版できるようになった技術の進歩のおかげである。
 だが、もっとも根本的な変化の原因は、一九三〇年代的児童文学の終末だと思う。いや、むしろ、三〇年代のアメリカ絵本の終末というべきかもしれない。三〇年代のアメリカが絵本の分野でいかに目ざましい仕事を子どもたちに残したかは、つぎにならべる作品リズトを見るだけでたちまち理解できよう。

一九二八-ワンダ・ガアグ『ひゃくまんびきのねこ』
  三〇エリザベス・コーッウォース『天国へ行ったねこ』、マージョリー・フラック『アンガスとあひる』
  三一-マージョリー・フラック『アソガスとねこ』
  三六-マンロー・リーフ文、ロバート・ローソン絵『はなのすきなうし』、クレア・ニューベリ『こねこたち』
  三七-ドクター・スース『マルべりどおりのふしぎなできごと』、バージニア・リー・ートン『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』
  三八-ジェイムズ・ドーハーティ『アンディとらいおん』、トーマス・ハソドフォース『メイリイのおまつり』、ビショップ文、クルト・ヴ才−ゼ絵『シナの五にんきょうだい』
  三九-ルードウイッヒ・べ−メルマンズ『マドレーヌ』、ハーディ・グラマトキイ『ちいさなひきふね』、バージニア・リー・パートソ『マイク・マリガンと蒸気シャベル』

そして、三〇年代の栄えがそのままひきつがれた四〇年代初めには、
一九四〇-ドクター・スース『ぞうのホートソたまごをかえす』
  四一−H・A・レイ『ひとまねこざる』、ロバート・マクロスキー『かもさんおとおり』
  四二−バージニア・リー・パートソ『ちいさいおうち』
  四三-ハージニア・リー・パートソ『けいてい』
  四四-マリー・ホール・エッツ『もりのなか』

 などが出版された。以上のほとんどが日本に翻訳紹介され、そのまた大部分が現在もよく読まれている。この時期のアメリカ絵本界の創造力のすさまじさがうかがわれる。
 この黄金時代の精神は、アメリカ的理想主義にあると思う。マンロー・リーフは闘牛場にひきだされながら花のにおいを楽しんでついに戦わない「はなのすきなうし」フェルジナンドを通じて暴力と野蛮を批判し平和を訴えた。第一次大戦以来の国際協調の理想がドイツや日本の軍事侵略への批判となってあらわれているわけである。国際的な理解と平和維持の精神は、正義を守る姿勢につながる。『シナの五にんきょうだい』は五人兄弟の超能力の発揮によって無実の罪がはらされ、正しいものの正当さが保証された物語であった。『かもさんおとおり』は、自動車の行き来が激しい町中を引越しするかもの母子を人間が守るヒューマンな明るい話であるが、この生命尊重こそ、アメリカの理想の根底だったわけであろう。とにかく、この時期の絵本の背後には、アメリカ民主主義精神を基調にした高い理想が流れている。
 興味あるのは、ハージニア・リー・パートンの作品である。彼女は『ちいさいおうち』で機械文明の発達の過程を追い、最後にそれを批判しているが、それ以前に、文明発展の強力な手足となった蒸気シャベル、機関車などのダイナミックな姿を肯定的にえがいている。三〇年代は大不況によって資本主義の矛盾が露呈され、アメリカ文明への疑いが問題になった時期であった。バートンの諸作に見られる文明と自然の対立は、だからひじょうにホットな話題であったわけである。日本でも、六〇年代のはじめに、「まちはきらいだ」という『ちいさいおうち』の中の言葉が文化・文明の発達という人間の努力を否定する退廃味を感じさせるとの批判がでた。しかし、パートソの仕事を見るかぎり、彼女が問題にしているのは調和であって、アメリカ文明の発達と未来を確信し、そのエネルギーを子どもの生命力と結びつけている。
 その子どもの像を、多くの作品が明示してくれる。『マルべリどおりのふしぎなできごと』のマルコは、みすぼらしい馬にひかれた荷車を、大きな象にしたて、プラスバソドつき、警官のオートバイつきの王さまの行列に想像してしまう。しかし、父親にきかれると、それはまた一台の荷馬車にもどるのである。こうして柔軟にゆれ動く子ども心もしっかりと認識されたが、一方で何にでも興味を示す知りたがりやで行動的な面も小犬のアソガスやひとまねこざるのジョージを通してくっきりと示され、パートソの『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』の「ちゅうちゅう」のように、ルールに違反して突っ走るエネルギーも見られた。子どもは傷つきやすい、そして大人とはまったくちがった物の見方もできる心をもつが、好奇心旺盛で生命力にあふれる、無限の可能性の持主として認識されていたといえよう。
 高い政治理想、文明への確信、積極的な人間像としての子ども-人間のカと知恵に対する確信と楽天性がはっきりと見られる。これが三〇年代の絵本の精神だといってさしつかえない。
 しかし現在、状況はだいぷ変わっている。アメリカ民主主義精神はたてまえと現実のギャップの大きさを暴露してしまった。機械文明は大きな矛盾に苦しんでいる。今も昔も子どもは子どもであるが、子どもに対する認識は変わってきている。三〇年代の絵本、つまり絵本のスタンダードを支えたものが、崩壊とはいえないまでも大きく変わったのである0現在の絵本の変化は、そこに由来していると思う。