『児童文学の中の子ども』(神宮輝夫 NHKブックス 1974)


『きかんしゃやえもん』以後

興味があるのは、戦後日本の絵本が、主として三〇年代、四〇年代のアメリカ絵本の衝撃からはじまっていることである。
 戦後絵本の出発は、現在、書店に氾濫するおびただしい数の絵本から見て、信じられないほどおそい。一つの証拠は一九五七年の『児童読物に関する一〇〇の質問』(坪田譲治、国分一太郎編、中央公論社)であろう。百の質問のうち絵本に関するものはただ一項「子どもに絵本を見せるとき、どんなことに気をつけたらよいでしょう。どんな話しあいをしたらよいでしょうか?」である。そして、高瀬慶子担当の答えは、
 「絵本には、一頁ずつ課題の違うものと、一冊を通じて、物語ふうになっているものとあります。四、五歳になると、物語の内容を続けて理解できるようになるので、このような絵本もよろこばれます。」という年齢に応じた分類についての意見から、
「『オヤマ』『ショーボージドーシャ』等々、子どもはうれしそうに返事します。教え込むように話してやったり、読んでやったりすれば、それでよいのではないと思います。話し合いながら、子どもに話させたり、おとなが話したりするうちに、だんだんと子どもの発表力がついたり、考える力をつけられるでしょう。言葉の発達を助ける上でも大変役立ちます。」といった、考え方と機能に及んでいる。
 この答えがほぼ最初期のいわゆる認識絵本についてであることは一読してわかる。その上、何をどう読ませるかの`何をが`まったく欠落している。絵本についての月刊誌が出たり、読書論の本のかなりの頁を絵本に関する記述が占めていたりする現状からは想像もつかない状態である。私はこの本の編集者や絵本欄の担当者を批判しているのではない。各項目に当時としては手に入る最高の絵本がちりばめられているし、高瀬慶子の読ませ方には、現在の絵本読書の根幹を形成するものがある。見識が高かったというべきであり、問題は絵本の状況にあった。
 この本にもいくつかが紹介された「岩波の子どもの本」シリーズがはじまったのは、一九五三(昭二八)年だった。このシリーズの意義は、書名をならべるだけで、ほぼ推察することができる。
 五三年には、『ちびくろさんぼ』(レン・バンナーマン作、フランク・ドビアス絵 『ふしぎなたいこ』清水崑絵(日本民話) 『ねずみとおうさま』コマロ神父文、土方重己絵 『みんなの世界』マンロー・リーフ、文と絵 『スザンナのお人形』マージョリー・ビアンコ文、高野三三男絵 『山のクリスマス』ルードウイッヒ・ベーメルマンズ、文と絵 
 五四年には、『ちいさいおうち』バージニア・リ・バートン、文と絵 『どうぶつのこどもたち』マルシャーク文、チャルーシン絵 『おそばのくきはなぜあかい』初山滋絵(日本民話) 『もりのおばあさん』ヒュー・ロフティング文、横山隆一絵 『ひとまねこざる』H・A・レイ、文と絵 『はなのすきなうし』マンロー・リーフ文、ロバート・ローソン絵 『こねこのぴっち』ハンス・フィッシャー、文と絵 『海のおばけオーリー』マリー・ホール・エッツ、文と絵 『金のニワトリ』エレーン・ボガニー文、ウイリー・ボガニー絵 『アルプスのきょうだい』ゼリナ・ヘンツ文、アロワ・カリジェ絵 『百まいのきもの』エリナー・エステス文、ルイズ・スロボトキン絵 『村にダムができる』クレーヤ・ロードン文、ジョージ・ロードン絵  『九月姫とウグイス』サマセット・モーム文、武井武雄絵 『ツバメの歌、ロバの旅』レオ・ポリティ、アン・ノーラン・クラーク、文と絵 が出た。
 右の二〇点のうち、三〇年代から四〇年代初頭のものが五点、三〇年代から仕事をはじめた画家のものが二点もある。そして、戦後のものも、テレビ出現前のものであるから、三、四〇年代絵本の発展と見てほぼまちがってはいない。
 この時期の特徴を内容的にまとめた文が、パンフレット『本をよむ子どもたち』(岩波書店発行、一九六〇年)に収められている「子どもたちはこうして本の世界へ入ってゆく』である。ここには、よい絵本の条件として(要約すると)、
1 子どもたちに親しみのある主人公が登場すること。子どもに理解できる範囲のことがえがかれると同時に、子どもの経験を拡大すること。
2 明瞭なテーマがあり、それが単純明快な筋の運びで展開されていること。
3 物語の理解をたすけ、リズムを生み、呼吸にあった運動感を生むくりかえしがあってほしいこと。
4 ユーモアがあること。
5 文章がすぐれていること。
6 子どもにわかる、語りかける絵であること。
があげられている。そして、絵は、自動石版印刷の開発以来、文と絵を分離して印刷しなくなったための一体感が生まれた時期のものだから、ページを自由自在に使い、本いっぱいに形と色がひろげられて、作者の好むままに物語が展開されている。子どもの成長する生命力にそって、明るく積極的な面が強調された絵本論である。人類の未来は無限の可能性に満ち、今までの進歩の歩みが基本的に正しいという認識に立った絵本論である。そして、この絵本論が現在に至るまで日本の絵本を支配しているといってよい。
 事実、その後の日本の新しい絵本は、三、四〇年代から五〇年代にかけてのアメリカ絵本、つまりほぼ「岩波の子どもの本」を手本にして創造されてきた。一九五六年四月からはじまった福音館書店の月刊絵本『こどものとも』の初期のリストを見ると、右の条件に合った民話や名作が多く、創作の場合はユーモラスな笑いをよぶものや力強い感じの出る乗物の絵本が多く、苦心がはっきりとうかがわれる。こうした努力の中から、戦後の傑作の一番手である『きかんしゃやえもん』(阿川弘之文、岡部冬彦絵、一九五九)が「岩波の子どもの本」から、『とらっくとらっくとらっく』(渡辺茂男文、山本忠敬絵、一九六一)が「こどものとも」から生まれてくる。
 この二つは、基本的な精神をアメリカ絵本にのっとりながら、純粋に日本的な創造であった。ローカル線ではたらきつづけて遂におはらい箱になるやえもんと、朝から夜まで道を走るトラックの物語は、バージニア・リーバートンの、擬人化されながらどこか人間的にぬくもりに欠ける『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』や『けいてい』とちがい、日本人の庶民の肌のぬくもりが感じられ、労働する人びとへの共感をよびおこす。
『とらっくとらっくとらっく』は「こどものとも」のはじめての横組み左びらきの絵本であったが、同じ年にワンダ・ガアグの『ひゃくまんびきのねこ』とビショップ文、ヴィーゼ絵の『シナの五にんきょうだい』が横長、左びらきの原寸のまま翻訳出版された。「岩波の子どもの本」の欠点は、本来が左びらきのヨーロッパ物を右びらき縦組みにしたこと、大小さまざまな絵本を画一的なユニフォーム版に押しこんでいた点であった。横組み本の出現で、絵本の世界はより豊かな表現の可能性を獲得したのである。その結果つづく二年間ほどは、『おおきなかぶ』(ロシア民話、内田莉莎子再話、佐藤忠良絵)『かばくん』(岸田衿子作、中谷千代子絵)『ちいさなねこ』(石井桃子作、横内襄画)『ふしぎなたけのこ』(松野正子作、瀬川康男絵)『ぐりとぐら』(中川李枝子作、大村百合子絵)など、主として三、四歳児向けの傑作が「こどものとも」で生まれる。
 セルマ・G・レインズ流にいって絵本の爆発現象がおこるのは、一九六五(昭四〇)年あたりからと見てよい。前年の六四年に至光社が絵本を出版しはじめ、六五年になってあかね書房が加わり、さらにポプラ社、偕成社などが、新しい素材と新しい
絵で絵本出版にのり出し、芸術性の高い絵本出版が福音館書店ひとりの努力にまかされる状態が終わったからである。
 これは高度成長にともなう購買力の増大に負うところが大きいのだが、出版社の側から見ても、高学年、小学校中学年と徐々に出版分野をひろげてきた必然の結果でもあった。
 日本の現代絵本の爆発は、しかし、単に『きかんしゃやえもん』的な、あるいは『ぐりとぐら』的な絵本の数が増えたということではなく、一つの新しさを生んだ。それは、斎藤隆介の『八郎』の絵本化に象徴される自己表現の文学として絵本の流れをきづいたことである。
 岩波のパンフレットのよい絵本の項(一四九〜一五〇頁参照)にも、はっきりしたテーマをもつことが一条件としてあげられているが、読者を幼児とする絵本にあっては、たとえ底流として自己総体があったとしても、明瞭なテーマとして提出されるものは、思想を形成する基本的な部分でしかなかった。だから、絵本は、平凡な作家と画家の手にかかると、幼児の日常の素朴な描写や陳腐な想像力の作品にしかならない。『八郎』には、一人の人間の思想が大胆に感銘に表現されていた。もちろん、子の絵本のテーマないし人物の生き方が、通常の絵本年齢の子どもたちにわかるかどうか、絵がすぐれているかどうかは議論されてきていることであるが、ごくまれな例をのぞいて、自己表現にもう一つ満足していなかった作家と一般の大人にとって、『八郎』は直截な自己表現の実例を示したのである。
テキストファイル化市川雪恵