二十世紀
二十世紀は、前世紀が確立した児童文学を質量ともにおどろくほど増大させた、文字どおりの子どもの世紀である。フランス、ドイツ、北欧などが多くの秀作を生んで英・米と肩をならべつつある。
イギリス
二十世紀のイギリス児童文学はひじょうに複雑である。それは、十九世紀的繁栄の余光をたもちながら、きたるべき嵐を予感させていた世紀初頭、第一次大戦の十年代、労働問題などで、革命一歩手前の状態だった二十年代、ルネッサンスの三十年代、第二次世界大戦の四十年代、そして戦後とうつりかわった各時期の思潮を反映しながら、質量ともに発展の一途をたどっている。社会の変化とともに各ジャンルの作品は複雑な質的変化をとげている。
空想物語のつばさひろがる
児童文学の解放の主動力であった空想的な物語は、二十世紀において、質量ともに世界に類のない発展をとげた。
イギリスのジャーナリスト、フランク・エアはその著「二十世紀の子どもの本」で、イギリスの空想物語を、
子どもが自分で物語をこしらえてたのしみはじめる年頃は魔法の年頃である。二十 世紀は、この年頃の子どもたちのために、空想的でふしぎな物語を発明した。これは、 子どもの文学に対する二十世紀第一のおくりものであった。今世紀最大の作家たちは、 一人のこらずこのグループに集まっている。その上、力はやや劣るけれども、満足す べき作家の一群も、この分野ですぐれた作品を生んでいる。子どもの読書全体を見る と、いちばんたくさん本を読む子どもは、いつもよくない本ばかり読まされているが、 この分野にだけは、そういうことがまったくない。これは、はっきりということがで きる。よい本が読みきれないほどたくさんあるので、劣等で低俗で、いんちきな本な ど与える必要がまったくない。(*)
とのべている。彼はさらに言葉をついで、空想物語隆盛の原因として、今世紀ほど親が子どもに興味をもった世紀がないこと、空想物語の対象になる年令の子どもが、作家にとっていちばん魅力的であることなどをあげている。もちろんそのほかに、伝統の厚みとイギリスの国民性なども考えねばならないにちがいないが、今世紀イギリスに生まれた空想物語の多くが、逃避的に見えながら、リアルな物語より現実把握にすぐれ、現実批判がきびしい点も重要である。
たくさんに出ているこの分野の物語は、素材やアイディアの上で、便宜的に三つほどに分けることができる。第一は、神話、民話、伝説などを素材として、想像力を縦横にはたらかせ、作者独自の空想世界を創造したものであり、第二は自然の美やふしぎに読者の目をひらかせてくれる、いわば詩的なものであり、第三は、モルスワース夫人からネスビットをへて発展した日常生活の中でのまほう物語である。
第一のグループで最初にあらわれた偉大な作品は、ジェームズ・マシュー・バリー(1860~1937)の「ピーター・パン」だった。バリは最初、戯曲「白いことり」(1903)の中でピーター・パンを創造したが、1904年にピーターの部分だけを独立させて戯曲化し、1906年に「ケンジントン公園のピーター・パン」を1911年に「ピーター・パンとウエンディ」を発表した。
「ピーター・パン」は当時の子どもたちのだいすきだったものをそっくり材料につかっている。「バーベキューがたった一人こわがっていた海賊ジェームズ・フック」らの海賊物語は、イギリスの子どもたちにとっては、血肉と同じものだった。人魚の湖(ラグーン)はバランタインの「さんご島」などに出てきた。インディアンはクーパーの「モヒカン族」がヒントだったにちがいない。こうして、子どもたちの心に深くくいこんでいるものをあつめたバリは、それらをまとめるのに、赤ん坊のまま家庭からにげだし、決して大人にならないふしぎな子どもを生みだした。忘れっぽくて、おこりやでうぬぼれやで、快活で勇敢で不屈なピーター・パンの創造は、それ自体がまほうそのものだった。「ピーター・パン」は、子どもにも大人にも、空想の世界、人間の心の世界の美しさに目をひらかせる、ふしぎな説得力と雰囲気をもっている。豊かさと哀愁は小春日和のエドワード時代の反映と考えてよいだろう。
「サル王子の冒険」(1910)で日本にも知られている詩人ウォルター・デ・ラ・メア(1873~1956)は、「クジャクのパイ」(1913)「子どものための詩」(1930)「子どもの歌」(1902)「ここに来よ」(1923)などの詩集や短編集「子どものための物語集」(1949・カーネギー賞受賞)で、子どもの文学に大きな足跡をのこした。「サル王子の冒険」は、三匹の王子ザルが、父の国ティシュナーの谷まで、苦難にみちた旅をする物語だが、空想の国が風土、動植物その他いっさいを含めて雄大に、かつ緻密にえがかれたすぐれた作品である。デ・ラ・メアの作品を一貫して流れている意味は、白銀のかぶとをかぶった月夜の騎士のように、夢幻的で微妙で把握しがたい深さをもっている。子どものつよい喜び、恐れ、悲しみ、苦痛を、真に理解していた彼の作品を読むと、五感がとらえる世界のせまさをつくづくと考えさせられる。
オックスフォードで英語英文学を講じ、「ベィオウルフ」や「サー・ガウェインとみどりの騎士」などの研究で有名なJ・R・R・トーキン教授には「ホビットの冒険」(1937)がある。これは、ふつうの小人(dwarf)よりやや大きいホビットという小人(作者の創作)が、むかし竜にうばわれた小人のたからをうばいかえすべく、小人十三人、魔法使い一人とともに大山脈や大森林をこえて旅する冒険物語である。小人、妖精(elf)、巨人(troll)、竜などは太古から人間に信じられてきたものであり、北欧伝説的雰囲気をみなぎらせているから、読むものに、まだ大地も人類も若かったころの力強さ、みずみずしさ、はげしく荒々しかった大自然などを感じさせる。作者はこのホビットの物語をさらに発展させ、善悪がはげしく対立する叙事詩的三部作「ゆびわの王たち」(1954~55)をかき、別に「ハムの農夫ギルズ」(1949)をかいた。
「ホビット」とは雰囲気がちがうが、やはり神話、伝説、民話をもとに作品をつくりあげたのが、C・S・ルイスである。「ライオンと魔女と衣装とだな」(1950)「カスピアン王子」(1951)「ドーン・トレッダー号の航海」(1952)「銀のいす」(1953)「馬と少年」(1954)「魔術師のおい」(1955)「最後のたたかい」(1956・カーネギー賞受賞)の七部で語られる、空想の国の建国から滅亡までは、善と悪とのたたかいを一貫して追究しているが、アクションに満ち、スリルとサスペンスに満ち、ルイスが真にすぐれたストーリー・テラーであることを実証している。地上の栄光の日がおわって、月や星が落ち、草木がたおれて、まっくらな岩ばかりの国を波があらう物語のおわりには、現代への暗い警告がある。
以上の四人ほどスケールは大きくないが、アイルランドの民話の世界をすっかり手中におさめているのがパトリシア・リンチである。「芝切り人のロバ」(1934)「芝切り人のロバお客に行く」(1934)は、妖精レップラカンの世界の雰囲気をそのままに伝えてくれる自然なたのしい物語である。
自然と人間のふれあいから、特異な物語をつくりだしたのが、ケネス・グレアム(1859~1932)とラディアード・キップリング(1865~1936)の二人だった。
ケネス・グレアムは銀行員として地味な一生を送りながら「黄金時代」(1895)「夢見る時代」(1899)で、忘れ得ぬ子ども時代の心理の動きを、きめこまかに追究して、子どもの心の洞察力の卓越さを示したが、むすこアラステアに語ってきかせた「ヒキガエルの冒険」(原題「柳に吹く風」1908)は、格調高い文章とともに、永遠の子どもの財産となった。 うぬぼれでお人善しで、小心でほら吹きのヒキガエル氏が、その性質によってひきおこす数々の失敗談をストーリーとし、間に夏の日の川辺のボートあそび、日の出とあけ方の川辺、雪の日の炉辺の語らいなどをさしはさんだこの作品は、喜劇的人物像の創造とイギリス的自然の魅力のゆえに、いつも熱狂的愛好者をもっている。この本の美と喜劇に夢中になったミルンは、これを劇化して「ヒキガエル屋敷のヒキガエル」(1929)をつくったが、喜劇は再現しえても美はついに把握できなかった。心理学者はこの作品のうらにあるコンプレックスを説明するが、精神分析学的文芸批評の対象としてはたしかにうってつけである。
キップリングは小説家・詩人として一時期栄光につつまれ、その後帝国主義者として急速に人気をおとしたが、子どもの文学には不滅の金字塔をうちたてた。
「ジャングル・ブック」(1894)と「セカンド・ジャングル・ブック」(1895)はくらべるもののない独創性をもっている。人間の子どもがオオカミに育てられるアイディアは、ローマ伝説にあり、野性の子はルソーに端を発しているが、文明人とは別体系の知恵をそなえたモーグリの創造は比類ないものだったし、 特性を十分に生かしながら極限までロマンチックにえがいたジャングルの動物の姿は、イソップにもラ・フォンテーヌにもまったく見られないものだった。モーグリとシオニーのオオカミたちの勇壮な叙事詩を通して、作者は人間の知恵よりはるかに古い根元的な知恵の存在を暗示し、また、自尊心、勇気、沈着、愛情、生命の喜びなどを、高い調子でうたいあげた。「ジャングル・ブック」にはモーグリもののほかに、「白いアザラシ」「リキ・ティキ・タビ」「像のツーマイ」などの好短編も含まれている。また、歴史の精神をロマンチックにうたいあげた「プーク丘の妖精パック」(1906)とその続編「ごほうびと妖精」(1910)、生きた学生をえがいて学校物語に新紀元をつくった「ストーキー会社」(1899)、インドそのものをえがいたといわれる「キム」(1901)も忘れることはできない。キップリングは今世紀初頭の巨人ということができる。
ひじょうに現代的なのは、日常生活の中でのまほうの物語である。この分野の創始者はまちがいなくE・ネスビット(1958~1924)であった。
ネスビットはリアルな物語と空想的な物語の両方がかける特異な才能の持主で、「宝さがしの子どもたち」(1899)「新たからさがしの子どもたち」(1905)「鉄道の子どもたち」(1906)などの家庭小説をかく一方、「五人の子どもと砂の妖精」(訳名「砂の妖精」1902)「不死鳥とじゅうたん」(1904)「おまもりの物語」(1906)「まほうの城」(1907)などの空想物語をかいた。
彼女の空想物語にも、願いごとをかなえてくれる妖精、姿の見えなくなるゆびわ、空とぶじゅうたん、まほうのおまもりといったたぐいの伝統的な道具だてはそろっている。しかし、砂の妖精のまほうは日がくれると消えてしまい、ゆびわのまほうは時間に制限があり、じゅうたんはすり切れると魔力もすりへっていく、というように、あつかい方は従来と異なっているし、魔力をえた子どもたちもそれによって思いのままにふるまってはいない。むしろ、日常的な世界の中で魔力がはたらくことによって、子どもたちの前には、困った問題ばかりがうまれ、魔力が消えてほっとすることになる。魔法と日常生活の秩序の衝突が生む事件の連続が物語の骨子になっているわけである。日常生活とまほうの世界との接触部分をえがくというアイディアには、ひじょうに大きな可能性があるので、ネスビットの後継者が続々とあらわれてきた。
その中でも、もっともすばらしい作品を生んだのがパメラ・トラバースであった。オーストラリアのクィーンズランドに生まれたこの女流作家は、一連のメアリー・ポピンズもの「風にのってきたメアリー・ポピンズ」(1934)「帰ってきたメアリーポピンズ」(1935)「ドアをあけるメアリー・ポピンズ」(1943)「公園のメアリー・ポピンズ」(1953)によって子どもの文学の世界に不滅の人物を一人加えた。みえっぱりできどり屋で、高慢ちきでおこりっぽく、鼻がちょっと空を向いているばあやメアリー・ポピンズは、子どもたちにいつもふしぎな世界をちらりとのぞかせながら鼻を上に向けておこり、自分の魔力をごまかしてしまう。ナンセンスな意外性にみちていながら信服力をもつ「メアリー・ポピンズ」は二十世紀が生んだ最高の空想物語のひとつである。
トラバースと甲乙つけがたいシリーズの作者がメアリー・ノートンである。彼女は、通信教育でまほうをまなんだ人の成功と失敗に子どもたちがまきこまれる「ふしぎなベッド」(1945)とその続編「たき火とほうき」(1947)で、すばらしい想像力を示したが、1952年のカーネギー賞受賞作「床下の小人たち」(原名「借りぐらし」)にはじまり、「野に出た小人たち」(1955)「川を下る小人たち」(1959)「空をとぶ小人たち」(1961)とつづく「借りぐらしの小人」四部作で現代の子どもの文学に確固たる地位をきずいた。(**)古い人家の床下にひっそりとかくれ、野にのがれ、川を下り、空にうかぶ借りぐらしの小人たちの放浪記には、現代の不安、人間文明の危機を暗示する悲しい調子がある。作者はその悲劇的な雰囲気を、おばあさんの思い出、昔のこととしてぼかすというたくみな方法で子どもたちに語りかけた。特異な小人の創造には非凡な独創性があり、小人社会の描写には、作者が小人の目で物を見ることのできる才能がうかがえる。
これとよくにた小人の物語には、B・B(デニス・ワトキンス・ピッチフォード)のカーネギー賞受賞作「灰色の小人たち」(1942)と続編「輝く川を下る」(1949)がある。二つともイギリスにのこった最後の地下の小人(Gnome)の物語で、小人のイギリスでの冒険とスコットランドへの移住が語られる。小人たちは鳥やけものと口がきけること以外には何も魔力をもっていない。時にはやさしく、時にはおそろしい川の上り下りの苦心、海をへだてたアイルランドへの移住の努力などが大人国のガリバーのような目で迫真力をもってえがかれている。美しい川辺の自然と動物たちの小さな世界が作者の手になるさし絵とともに読者を別世界へさそいこむ。
ネスビットのアイディアを直接現代にうつしかえたのがヒルダ・ルイスの「飛ぶ船」(1939)である。ふしぎな骨とう屋でみつけた小さな模型の船にのって、四人の子どもたちが遠くはなれたエジプトや過去のイギリス、北欧神話の時代などに飛んでいくこの空想冒険物語は、着想にこそ独創性はないが、見知らぬ土地や過去の時代と現代イギリスの子どもたちとの接触をきめこまかな筆でえがき、小さな船がひろがるように、子どもたちの想像力をぐんぐんひろげる力をもった傑作の一つとなった。
過去への旅、過去と現在との交流というアイディアは比較的よく使われるが、中でもおそらくもっとも成功したのがアリソン・アトリーの「時の旅人」(1939)だろう。十三才の少女がイギリスのダービーシャーの古い貴族の家をおとずれ、エリザベス王朝時代のゆうれいに出会う。少女の過去と現実にまたがる生活の中で、現代のダービーシャーのくらしぶりとエリザベス王朝時代のいなかのくらしとが対比され、時代をこえてかわらない人間生活がメランコリックな調子で読者にうったえてくる。多くの子どもたちにむかえられるものではないが、こうした物語をこのむ子どもには生涯忘れられぬ印象をのこすにちがいない。アトリーはこのほかに「ブタのサム君」シリーズや「ただものでないウサギの冒険」などの幼年文学や絵本でも活躍している。
「時の旅人」の直接的な後継者は、1958年にカーネギー賞をうけたフィリッパ・ピアスの「トムのまよ中の庭」である。コンクリートでかためられた町中のアパートへお客に来たトムが、時計が十三時をうつのをきいて、ふしぎな時間の存在を知り、コンクリートでかためられているはずのうら庭へ出てみると、そこはヒヤシンスのにおうビクトリア時代の庭になっている。こうして現代のトムと過去の少女ハティとの友情がはじまるが、まよ中の世界でトムは成長しないのにハティは成長しやがて子どもでなくなる。ふたたび過去に入れなくなったとき、トムはハティがアパートの持主の老婆であることを発見する。時の経過の中で子ども時代の情緒や感覚を表現しようとした作者の意図は、豊かな想像力、人物描写の適確さ、時間のあつかいのたくみさなどで完全に成功し二十世紀後半の空想物語の傑作となった。1957年にウィリアム・メインとカーネギー賞をあらそったこの作者の第一作「セイ川のミノー」(1957)のほかに、最近第三作「ちいさいちいさい犬」(1961)が出た。ロンドンで犬を飼おうとする夢想的な少年の心理のうごきが簡潔な文章できめこまかにえがきだされていて、フィリッパ・ピアスが、二十世紀後半の巨人の一人であることを実証した。
グリーン・ノウという古い古い家を舞台にしたL・Mボストンの四作「グリーン・ノウの子どもたち」(1954)「グリーン・ノウの煙突」(1958)「グリーン・ノウの川」(1959)「グリーン・ノウの見知らぬ人」(1961・カーネギー賞受賞)でも過去と現在とはたくみにまじり合っている。「子どもたちが、生まれてきた世の中を見て、氷河時代から今日までの人間進化と個人の苦痛全部が水爆の狂気でおわると考えた場合、彼らにとって過去、現在、未来にはなんの価値があるだろう?」(***)と主張し、主人公たちがなにかをうばわれ、失ったものを求めているのは現代のペシミズムの反映であると説明した作者は、四つの物語で、子どもたちに「なぐさめと安心と一つの模範を与える」ために、子どもの成長の土壌である過去を空想的にえがいた。(****)「ぼくのおとうさんは考え以外にほんとうのものはなにもないと言いくらしていた。だれかが考えなくては、どんなものも存在しない。おとうさんは考えは鉄砲よりほんとうのものだといった。そういったためにロシア人にうちころされてしまった。しかし、その考えはころされなかった。なぜって、ぼくが今そう考えているからね。」という唯心論的主張とともに、彼女の作品全体が子どもにつたえようとする思想は現代イギリスの空想物語の一面を示すものとしてひじょうに興味深い。(*****)
とにかく、最近のイギリス児童文学、特に空想物語には、バリの気まぐれともいえる奔放な開放性やキップリングの力強さ、ミルンの楽しさなどはかげをひそめ、暗い悲劇的トーンの中で、人間存在の意義を追究する傾向がつよい。二十世紀の空想物語の変遷は、そうした点だけでも興味ある研究題目である。
二十世紀イギリスは、しかし、いくつかの楽しい物語をものこしている。騒然たる世相を反映したためか、全体的に逃避的だった二十年代の児童文学でひときわめだったのがA・A・ミルン(1882~1956)の諸作だった。童謡集「ぼくたちがとってもちいさかった時」(1924)と「ぼくたちはいま六つ」(1927)は、子どもの心理洞察においてスチーブンソンの「子どもの歌の花園」におとり、詩精神においてデ・ラ・メアの諸作におとるといわれながらも、軽妙なリズム、ユーモア、単純さ、あふれる情感などで子どもの心にふかくくいこんでいる。そして、子ども部屋に入ってきたおもちゃの動物たちを主人公にした「クマのプーさん」(1926)と「プー横丁にたった家」(1928)の二つは、子どもの心の欲求を十分にまんぞくさせる楽しいユーモアにみちた物語を展開させながら、底にやわらかい諷刺をひそめ、子どもにも大人にも通用する高い地位を獲得した。ミルンの文学についてはセンチメンタルとか、きまぐれとか、さまざまな批評があるが、そのふしぎな魅力はまだ完全に分析されていない。
作品数の少なかった戦時中に、アバディーン大学の教授エリック・リンクレイターが、「月に吹く風」(1944)でカーネギー賞を受賞した。ヨーロッパのある国で捕虜になった父親をすくう、二人の少女の冒険をストーリーにしていることでわかるように、ナチス・ドイツ、特にヒトラーへの諷刺がすぐ読みとれて、いかにも戦時中の作品を感じさせるが、戯画化された人間描写の適確さ、つぎつぎに出てくるナンセンスな着想が、この作品を一流品におしあげた。つづく「みどりの海の海賊たち」(1949)も、地球の緯度と経度が、地球をまとめておく綱だという、とんでもない着想を中心に、意外性にみち、諷刺に富み、ロマンスの道具だてをふんだんにつかった、そうぞうしくたのしいものになっている。
エリナー・ファージョンは「リンゴ畑のマーチン・ピピン」(1921)でサセックスに伝わる伝説をもとにした恋物語を発表してから作家の地位を確保し、つづいて「ひなぎく咲く野のマーチン・ピピン」(1937)「銀のシギ」(1953)「ガラスのくつ」(1955)など民話を素朴とした物語を出版し、1955年の「小さな本部屋」(訳名「ムギと王さま」)で寓意ゆたかな流麗なファンタジーを完成させてカーネギー賞作家となった。
最近、メアリー・ノートンやパメラ・トラバースの水準に近づく作家が少なくなり、空想の枯渇が言われているが、過去六十年間に生まれたイギリスの空想物語は数えあげたらきりがないほどであり、まだここにあげなくてはならない作品がたくさんにある。以上のほかに注目すべきものを名まえだけのべておくと、科学者J・B・S・ホールデン教授の「わたしの友リーキー氏」(1937)、小説家リチャード・ヒューズの「クモの宮殿」(1931)「しからないで」(1940)というナンセンスな二つの短編集、ボーン・ウィルキンスの「入浴後のおはなし」(1945)などであろう。
* “20th Century Children's Books”by Frank Eyre(Longmans Green 1952) p 40.
** 最近この二冊は“Bed Knob and Broomstick”(Dent. 1957)の名で一冊になった。
*** Junior Bookshelf 1962. December, p 299.
**** Junior Bookshelf 1962. December, p 298.
***** “The River at Green Knowe”(Faber 1959)
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