アメリカ
二〇世紀六〇年間にアメリカの児童文学はイギリスと同様にひじょうな発展をとげた。それは、十九世紀以来の産業の発展が都市人口の増大をまねき、中産階級がふえてアメリカ社会の中核となり、学校教育、公共図書館などが発展して、知的水準があがったという事情をぬきにしては考えられない。しかし、もっと直接的に子どもと子どもの本に対する関心を高めたうごきがいくつかあった。
一九〇一年に大統領になったシオドア・ルーズベルトは、その革新主義政策の一つとして、十年に一度ホワイトハウス青少年問題会議をひらくことを提案し、一九〇九年にその第一回会議がひらかれた。子どもの本の専門家たちがその会議に出席するようになったのは後になってからだったが、この会議が、子どもへの関心を高めるに大いに役立ったことはまちがいない。
一九一九年にマクミラン出版社が子どもの本の部門を独立させると、他の出版社も徐々にそれにならい、新聞でも、たとえばニューヨーク・タイムズは一九二四年から、すぐれた児童図書館員アン・キャロル・ムアによる子どもの本の批評を定期的にのせはじめた。そして同じ年に、現在までずっとつづいている子どもの本の専門批評誌「ホーン・ブック・マガジン」(*)が出版されはじめた。
中でも、もっとも作家たちを刺戟し、よい本を生みだす機運をつくったのは、アメリカ図書館協会児童図書部会によって一九二二年からはじめられたニューベリー賞と、一九三八年からはじめられたカルデカット賞の創設であった。ニューベリー賞は物語の発達に、カルデカット賞は絵本の発達に大きな力をはたし、世界でもっとも権威ある賞として今日におよんでいる。
このように、全般的知的水準の向上、読者数の増加に呼応した出版社や専門家たちの努力によってアメリカ児童文学は繁栄したが、その中でも特に目立って発達した分野は外国を舞台にした物語の一群であった。
* "The Horn Book Magazine" (The Horn Book Inc. Boston)
よその国を知ろう
<批評的児童文学史>(*)は外国物語の発展について「二十世紀の四分の一がおわるころには、二つのことが影響して他国の人びとに対するアメリカ人の態度がかわった。一つは第一次大戦によって促進された交通機関、特に飛行機の急速な発達である。もう一つは、戦争に対する反動として、他国の人間を理解する必要が強調されたことである」とのべている。アメリカが十九世紀にとった孤立主義の外交政策は、その後米西戦争によるフィリピンの獲得などで帝国主義的にかわり、つづいてウィルソン大統領の国際協調主義などとなっていったが、とにかく、アメリカは大陸内にとじこもることはできなくなり、世界との接触が年とともに深くなっていった。だから第一次大戦をきっかけに人類の相互理解を強調する子どもの文学が生まれたうらには二十世紀アメリカの理想主義が流れていると考えられる。そして、第一次大戦後の社会の風潮を反映したこの分野の作品をかいたのは、第一に、世界各国に宗教伝導その他の使命をもってでかけた人びと、第二に、世界各国からアメリカにうつってきた人たちであった。
エリナー・フランシス・ラティモアは、少女時代を中国ですごし、その時の経験をもとに、いたずらな中国少年の姿を「小梨」(一九三一)の中に、単純、明快な筆でいかにも自然にえがいてみせた。
エリザベス・フォアマン・ルイスも中国で生活し、「揚子江のフーさん」(一九三三)でニューベリー賞を受賞した。いなかから四川省の省都重慶へ徒弟奉公に出てきた少年フーさんが、こじきになぐられてだいじな品物をこわしたり、軍閥の兵隊にさらわれそうになったりする失敗をかさねながらも、家事をけして人びとの迷信をうちやぶったり、盲腸になった友人をアメリカの病院につれこんでなおしたり、どろぼうをつかまえたりして活躍し、新しく生まれかわろうとする国とともに成長する姿をかいたもので、かしこいフーさんの活躍が作者の中国と中国人に対する理解と愛情と尊敬にうらうちされていて、読者にあかるい希望をいだかせる、作品であった。教育をうけようと努力したり、村人たちの病気や無知とたたかう少女をえがいた「新中国の少女ホーミン」(一九三四)は「フーさん」の少女版ということができる。
フォアマン・ルイスは、第二次大戦後、日本帝国主義の侵略とたたかう中国人たちをえがいた「台風が吹く時」(一九四四)「トラをうつために」(一九五七)などを発表したが、現在の中国の実情を知らない欠点が出て奇妙な感じをいだかせる。
その点、第二次大戦に中国に従軍し、その時の経験をもとに生まれたマインダート・ディヨングの「六十人のおとうさんの家」(一九五六)には、そうした奇妙な感じがない。つないだ小船が流されて日本軍占領地域に入ってしまい、墜落したアメリカ飛行士とともに安全地帯までにげる幼い少年の行動をかいたこの作品は、戦争の悲惨が、一貫して少年の目をもってとらえられていて、強烈な感動をよびおこす。ディヨングはオランダの一寒村の少年少女たちをえがいた物語「コウノトリと六人の子どもたち」(一九五四・ニューベリー賞受賞)「シェィドラック」(一九五三)「いぬがきた」(一九五八)などで、世界に共通な子どもの内面を把握し、それを基礎に特殊な風土性ある物語を読者の前にひろげてみせてくれる。
一九二二年にハンガリアからアメリカに移住し、はじめさし絵画家として出発したケイト・セレディは、さし絵のしごとがなくなった時にすすめらえて物語をかきはじめ、以後作家兼さし絵画家となった。第一作「よい地主」(訳名「すてきなおじさん」一九三五)は、ハンガリアの大平原の男の子ヤンクシとそのいとこのおてんばむすめケートが、美しくしずかな草原に馬を走らせたり、木彫りをする羊飼いをたずねて、ハンガリア伝説をきいたりする、のびのびした生活の中に、ハンガリアの農村の風俗、習慣などをふんだんにとりいれた色彩あざやかな物語であった。彫刻的なさし絵とめずらしい異国の風物が魅力的である上に、農民の生活を通して人間の生き方を語っていることが作品に深みを加えている。この続編「うたう木」(一九三九)は第一次大戦中のヤンクシやケートをえがき、平和へののぞみは国境をこえたものであることをうったえているすぐれた作品である。セレディのこの理想主義は、第二次大戦後に出た「チェストリーのかしの木」(一九四八)にもうけつがれている。彼女は、また、ハンガリア伝説に材をとった「白い壮鹿」で一九三七年にニューベリー賞を受けている。マジャール族が約束の地を手に入れるまで、何回かあらわれて彼らをみちびいた神の使い、白い壮鹿の伝説は、神話・伝説をこのむ子どもたちと大人たち両方に読まれるだけの価値をもっている。
モニカ・シャノンは「ドブリイ」(一九三四・ニューベリー賞受賞)でブルガリアおかいた。ブルガリアの小さな村に祖父、母と一緒に暮らしている少年ドブリイが、牛の世話をして自然としたしみながら、徐々に絵画と塑像制作の才能をあらわし、母の反対にもかかわらず、祖父の理解をたすけとして芸術の道にすすむまでを筋として、高い山がそびえたち、ポプラとモミの多いみのりゆたかなブルガリアの農村の四季をじつに美しくかいている。日常的なことを色彩ゆたかに、平凡な人間を生き生きと表現したこの作品は、特異性と同時に国際性を獲得した。
外国物語は年長の子どもたちばかりでなく、幼い子どもたちのためにも書かれている。その代表的なものは、ハンシという少年のチロルのクリスマスの休暇をえがいた、ルードイッヒ・ベーメルマンの「ハンシ」(訳名「山のクリスマス」一九三四)であろう。みずみずしい想像力を駆使した、力づよい色彩ゆたかな絵にたすけられながら、元気なハンスのクリスマスの休暇が展開する絵物語である。大げさにいえば、生きるよろこびが感じとれる作品である。
詩人アーナ・ボンタムとタングストン・ヒューズが合作した「ポポとフィフィナ」(一九三二)も忘れられない。貧しいハイチの黒人のきょうだいの日常生活を、単純でしかもすぐれた洞察力を感じさせる文体でえがいていて、読後のひじょうにさわやかな作品である。
* "A Critical History of Children's Literature" by Meigs and others (Macmillan 1953) p 404.
アメリカを知ろう
第一次世界大戦後のアメリカは、工業生産が飛躍的に発展し、国内の需要も高まり、空前の好況時代をむかえ、人びとは自動車、ラジオその他による快適な生活をたのしむことになった。しかし、富の偏在その他種々の原因がかさなって三十年代に入ると一大恐慌がおこり、国中に失業者があふれた。恐慌はフランクリン・ルーズベルト大統領のニュー・ディール政策によって徐々に回復に向かったが、こうしたはげしい社会的変動は、人びとにつよく社会的関心をもたせ、物質文明に支えられたアメリカ的生活の意義について考えさせ、彼らをアメリカの独自性の追究に向かわせることになった。
こうした傾向が文学にもつよく反映しないはずがなかった。一般文学では、ドス・パソス、ヘミングウェイ、ドライザー、コールドウェル、フォークナーといった人たちがアメリカの病患にメスを入れた社会性のつよい文学を発表したが、子どもの本にも、たとえばエリナー・エステスの「百枚のきもの」(一九四四)「モファットきょうだい」(一九四一)や、ロバート・マクロスキーの「ゆかいなホーマー君」(一九四三)があらわれた。
エリナー・エステスの「百枚のきもの」はワンダ・ペトロンスキーという貧しいポーランド移民の子が、百枚のきものをもっているといったことから、毎日学友にからかわれるが、この子が大都会へ移った後、百枚のきものとは、じつはすばらしい百枚のきものの絵だったことがわかり、からかった子どもたちが深く後悔するという物語で、対人関係についてのつよい教訓を前面におしだしているが、後悔する子どもの行動と心理を読者に追体験させる芸術的完成度をもつすぐれた作品である。二十年代におこった移民排斥、黒人問題などアメリカ社会がかかえる問題が年少の子ども向きの文学にいかにもふさわしく反映していて興味深い。エステスは「モファットきょうだい」(訳名「きいろい家」一九四一)「モファットのまん中の子」(一九四二)「ルーファス・エム」(一九四三)の三部作でも、平凡な母子家庭の子どもたちの日常生活の冒険をえがいた。きめこまかな子どもの心の把握、やわらかなしゃれたユーモア、きびしい生活問題をやわらげる回顧的雰囲気が、これらの物語を一貫してながれている。一九五一年の「ジンジャー・パイ」でニューベリー賞をうけた。
エステスの実写的な作風にたいして、ロバート・マクロスキーの「ゆかいなホーマー君」は、はるかに戯画的である。スカンクをつかって強盗をとらえる「ものすごい臭気事件」をはじめ、六つのこっけいな事件を通して、元気にみち、進取の気象にとみ、常識と空想性とをたくみに両立させている、新しいアメリカ少年ホーマーをくっきりとうかびあがらせているが、それと同時に、アメリカ物質文明への批判が底流として存在し、現代アメリカ、いや現代文明のあり方について目をひらかせる力をもつ。町の中でひなをそだてるかも夫婦の苦労をかいた愛の物語「かもさんおとおり」(一九四一・カルデカット賞受賞)や、海辺の夏の自然の美をえがいた「タイム・オブ・ワンダー」(一九五七・カルデカット賞受賞)などの絵物語の中にも、マクロスキーは人工と自然の調和という彼の考え方をひそませている。
エステスやマクロスキーのようにアメリカのふつうの社会ではなく、特殊地域の人びとをえがいたのがルイス・レンスキーであった。レンスキーははじめ歴史物語に興味を持ち、文献や記録をもとにいくつかのすぐれた歴史物語を発表したが、やがて、現代のそれも一般社会と別な特色をもつ地域の子どもたちを書きはじめた。ルイジァナの入江地方を舞台にした「入江地方のスゼット」(一九四三)、フロリダの白人貧民をあつかった「いちごつみの少女」(一九四五・ニューベリー賞受賞)、ノースカロライナの山地の人びとをえがいた「ブルーリッジ・ビリー」(一九四六)、オクラホマ油田地帯をえがいた「石油の町の少年」(一九四八)、故郷をはなれてしごとの旅をする小作農民の旅物語「ジュディの旅」(一九四七)その他がこの分野の作品である。レンスキーは物語をかくにあたって、その地域をくわしくしらべているので、登場人物の言葉、行動、感覚、志向などが、環境から生まれてくる妥当性をもっていて人間描写が生き生きとし、また地方色がゆたかに感じられる。そして、その地域がもっている問題は、たとえばよっぱらいの父親の問題といったたぐいのことまで、あくまでさけずに子どもの前に提出しているため、特殊な地域という興味だけの物語でなく、普遍性をもった人生の問題を読者に考えさせる。「ほかの人びとを自分自身としてみる」(*)ことがレンスキーの物語の意図なのである。彼女は、年長の子どもたちに物語をおくりだす前、「小さな自動車」(一九三四)「小さなヨット」(一九三七)「小さな飛行機」(一九三八)「小さな汽車」(一九四〇)など<スモール君>という主人公のでてくる絵本をたくさんつくった。簡明で教育性のあるおもしろい絵と子どもの興味をひく職業のあつかいには子どもを有頂天にする魅力がひそんでいる。
そのほか、アメリカ大陸のインディアンたちのために教科書をつくり、インディアンたちの生活を熟知しているアン・ノーラン・クラークのニューベリー賞受賞作「アンデスの秘密」(一九五二)やローラ・アダムズ・アーアーの、おなじくニューベリー賞受賞作「水なし山」(一九三一)も、この分野に入る作品であろう。
「アンデスの秘密」は、クシというインカ・インディアンの子孫の少年が、世の中を知り祖先ののこしたものに目ざめていく物語で、征服された民族の悲しみが全体に流れる、詩的な物語である。
「水なし山」は、医者になる使命をもっている夢想的なインディアンの少年の目でナバホ・インディアンの生活全体が詩的にうつしとられ、読むものに深い共感をよびおこし、「政府の学校が教えるくらし方と、部族のくらし方を一致させる問題に直面しているインディアンを、よりよく理解させる目的をもったたくさんの本の先駆者」(**)となった。
アメリカの独自性を自覚する動きは、当然アメリカ大陸や合衆国の過去に対する興味につながっていき、たくさんの歴史小説を生みだした。
* "Newbery Medal Books 1922〜1955" (The Horn Book Inc. 1955) p 268.
** A Critical History of Chilren's Literature p 55.
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