『世界児童文学案内』( 神宮輝夫 理論社 1963)

歴史と冒険

 西部あるいは未開地方に対する興味は、前にのべたロマンス作家ジェイムズ・フェニモア・クーパーの作品にすでにあらわれ、アメリカの子どもたちを魅了したが、十九世紀末からの二十世紀にかけて、アメリカの児童文学がようやく大きくなりはじめた頃、ハムリン・ガーランドの「大草原の少年時代」(一八九九)、ジョージ・バード・グリネルの「オオカミかりうど」(一九一四)、オナ・ウィルジー・モローの「オレゴンへの旅」(一九二六)、フォレスタイン・フーカーの「大西部の少女クリケット」(一九二五)、エセル・バートンの「メリッサ・アン」(一九三一)などがつぎつぎにあらわれた。しかし、西部開拓時代の子どもたちの生活とその生活を支える開拓者精神、アメリカ建国精神などをもっとも芸術的に表現したのは、ローラ・インガルズ・ワイルダーとキャロル・ライリー・ブリンクの二人であろう。
 ワイルダーは、ウイスコンシンのビッグウッズに生まれ、家族と共にミネソタ、アイオワ、ミズーリ、カンサス、インディアン領などを転々とした。そして、その少女時代の記憶にもとづいて、「大きな森の小さな家」(一九三二)「大草原の小さな家」(一九三五)「プラム川の岸辺で」(一九三七)「シルバー湖の岸辺で」(一九三九)「長い冬」(一九四○)「大草原の小さな町」(一九四一)「幸福な黄金時代」(一九四三)を年代順にかいた。
 ワイルダーの作品は、冒険小説ではなく、西部における開拓農民一家の地味な生活をあつかっているが、西部で農耕に従事すること自体がたとえば、ふぶき、長くつづく冬とそれにともなう食糧難といったようなさまざまな、悪条件とのたたかいだから、素材がスリルやサスペンスに富むストーリーを自然に生み出し、興味あふれたものになっている。全部の物語が一貫して子どもの目をもってかかれていることは、開拓時代の辺境の生活をきめこまかくえがいた物語にひじょうな迫真力を与えている。なお、ワイルダーには、ほかに夫であるアルマンゾ・ワイルダーの少年時代をかいた「農夫になった少年」(一九三三)もある。
 キャロル・ライリー・ブリンクはアイダホに生まれたが、八才までに父母に死別し、祖母にそだてられた。この祖母がウイスコンシンで送った少女時代の思い出話が、「キャディ・ウッドローン」(一九三五)になったのである。
 「キャディ・ウッドローン」とその続編「まほうのすいか」(一九三九)は、家にいて女の子らしいくらしをするよりも、野外で男の子のようにはねまわることのすきな少女キャディを中心に、トム、ウオレン、ヘティ、ミニイなどの活躍するウイスコンシンの開拓時代を、短編連作のようにかいたものである。ワイルダーの作品同様、特にスリルにみちた筋立てはないが、子どもたち、特にキャディの成長する心が、行動を通してくっきりとえがかれている上に、アメリカ開拓時代の若い力と無限の可能性が高い調子で感動的にかかれていて、子どもたちにつよくうったえるものをもっている。
 西部への発展時代というアメリカ独特の素材でなく、世界の歴史に材をとった歴史小説も、十世紀のアメリカでは、年を追って進歩し、現在ではひじょうな高みに達している。そして、この分野での偉大な先駆者は十九世紀末に活躍したハワード・パイルであった。
 ハワード・パイル(一八五三〜一九一一)は、「銀のうでのオットー」(一八八八)で中世ドイツを舞台にとり、僧院の中でしずかにくらしていた少年オットーが十二才で世の中に出て荒々しく残酷で虚偽にみちた周囲とたたかっていく姿を、「鉄の男」(一八九一)では、十五世紀のイギリスを舞台に、一人の少年がすぐれた騎士に成長し、父と自分の敵をうちまかす姿をえがいた。正確な時代考証とそれを十分に生かした男性的な力にみちた文章、人物描写の適確さ、冒険とうごきにみちた物語りの組み立てのたくみさなどが、混然ととけあって時代の雰囲気をつくりだし、過去と現在に共通した人間社会の諸相をつたえると同時に、人間の生き方の理想をうちだして、歴史小説に偉大な先鞭をつけた。
 その後、ヨーロッパを舞台にした歴史小説はつぎつぎにあらわれた。中でもすぐれているのは、エリック・ケリーの「クラコーのラッパ吹き」(一九二八)、エリザベス・ジャネット・グレイの「旅の子アダム」(一九四二)、マーガリート・デ・アンジェリの「壁にあるとびら」(一九四九)などであろう。「クラコーのラッパ吹き」はポーランドの歴史を基礎にして、十五世紀のポーランド人の勇気と不屈の魂をえがき出し、「旅の子アダム」は吟遊私人の子どもの旅の冒険によって十三世紀のイギリスをくまなく再現し、「壁にあるとびら」はロンドンに疫病のはやった十三世紀を舞台に不具になった子どものたちなおりの姿をえがいた。
 しかし、なんといっても、この分野の円熟をもっともよく示しているのは、エリザベス・ジョージ・スピアの「青銅の弓」(一九六一)であろう。父親をローマ人にころされたユダヤの若者ダニエルは、奉公先のかじやからにげ出し、ローマへの反乱を準備しているといわれて、若者の間で伝説的英雄になっているロシュの手下になって山ぐらしをするが、祖母の死とともに村に帰り、妹ともにかじやをしてくらしていたが、徐々に反乱への同士をあつめる。その頃ガラリヤにキリストがあらわれて、人々に「王国」の近いことをといてまわっているのをきき、ダニエルはその人がユダヤを解放する救世主かも知れぬと期待するが、キリストのとく王国がにくしみと復讐のつるぎで獲得するものでないことを知って失望する。しかし、また、英雄ロシュも、結局ただの盗賊にすぎないことがわかり、ダニエルは絶望的になる。そして、妹の命をすくってくれたキリストの姿の前に、にくしみと復讐をすてて神の王国の教えに服していく、という物語である。ローマに反抗する若者たちのいくつかの冒険、ユダヤの村の生活、町の生活、キリストの説教の姿など、ひじょうにたくさんなヨウ素がきっちりとおさまっている筋立てのたくみさで、はじめから読者を物語の世界にひきこみ、最後まで一気に読ませる力は、スピアがなみなみならぬ物語作者であることを実証している。テーマである愛とにくしみの対決も、事実にうらづけられた迫力を持ち信服力を持っているが、なにより、すばらしいのは、ローマ対ユダヤの対決の様相が強烈な現実性、今日性をもって読者にせまる点であろう。
 「青銅の弓」は一九六二年にニューベリー賞を受けたが、スピアは、一九五九年にも前年にかいた「ブラックバード池の魔女」でニューベリー賞を受けている。十七世紀のニューイングランドにバルバドス島から、あかるい解放的な少女がやってきて、ピューリタニズムに支配されている周囲とたえず衝突し、魔女裁判にかけられる話であるが、ニューイングランド植民地の生き生きとした再現、人間描写のたしかさ、たくみな物語の展開によって、誤解は悲劇を生み、信頼と理解が幸福を生むというテーマが、「青銅の弓」と同じ今日性を持って迫ってくる、すぐれた作品であった。
 スピアは十七世紀のニューイングランドをかいたが、ウォルター・D・エドモンズは「マッチロック・ガン」(一九四一)で、十六世紀中葉のニューヨークをかいた。インディアンにおそわれた小屋をわずか十才の少年がひなわ銃でおいはらい、母と妹をすくうという、実話にもとづいたこの物語は、簡潔な筆致と美しいたくさんのさし絵で、一時代を再現してみせてくれた。エドオモンズには、また、独立戦争がはじまった時、インディアンとのごたごたに勇敢にたちむかう少年少女を描いた「ひらかれる荒野」(一九四四)もある。
 南北戦争もアメリカ歴史物語のかっこうの素材であり、さまざまな角度から多くの作品がかかれているが、ニューベリー賞には、一九五八年にハロルド・キースの「ウォティーへのライフル銃」があらわれた。北軍に志願した一少年の訓練、戦闘、敵軍からの逃亡などをもりこんだ一種の冒険小説で、ひじょうにおもしろく、戦争否定、リンカーンの理想主義などが底流としてつよくながれているが、なんとなくつくりものの感じがつよい。それは、「主人公には、みすみす危険におちいるようないかにも人間的な弱点がある方がより現実味が出てくる。また、物語の中で、主人公やその他の主要人物たちは、はっきり変化しなくてはならない*」とか「物語には対比がなくてはならない」「主人公は苦しみにみちた決断をしたりぎせいをはらった方がよい」といったたぐいの創作技法をたくみにつかいながら、それ以上のなにかを作品にふきこむことができなかったためかもしれない。このようなロマンスの系統では、やはり、前述のハワード・パイルが大きなしごとをのこしている。
 ハワード・パイルは「ロビン・フッドのゆかいな冒険」(一八八三)で、古いロビン・フッドの民謡をたくみにつかい、時代精神と雰囲気をつかんで、シャーウッドの仲間たちとその時代の人びとの姿、くらしぶりをじつにみごとに再現した。そして、それに成功すると、つづいて、「アーサー王と円卓の騎士の物語」(一九○三)にとりかかり、七年かかって四部作のアーサー王伝説をつくりあげた。たくみに計算された細部の描写、空想ゆたかにえがかれた人物たち、美しい文章などで、子ども向きのアーサー王物語では群をぬいた作品になっている。
 このパイルの伝統、いやロマンスと冒険の伝統をもっともよく二十世紀の作品に生かしたのが、チャールズ・フィンガー(一八七一〜一九四一)であろう。フィンガーはイギリスに生まれ、少年時代に読んだバランタイン、メーン・リード、ディケンズ、ブレット・ハートなどの作品に刺戟されて、十六才で冒険をもとめて南アメリカにわたった。そしてマジェランの航路をあとづけた経験から「勇敢な仲間」(一九二九)が生まれた。これは悲劇的なマジェランの世界一周をディック・オズボーンという若者の目を通してえがいた物語である。マジェランの大航海ははじめから、反乱と仲間同志の殺しあいにみち、また飢えと病気にみちていた。そのあさましい人間像をありありとうつしながら、作者は偉人マジェランを強固な意志と不屈の勇気とはげしい情熱と軽そつさと短気と残酷さをもつ非凡な人間としてえがき、また愛、信頼、友情、平和の尊さをつよく主張している。豊富なスリルとサスペンス、新奇さ、明確な主張、力強い男性的な美しい文章などがこの物語を十九世紀の古典におとらないものにしている。フィンガーには、このほか、彼が中央・南アメリカで収集した民話集「銀の国からの物語」(一九二四・ニューベリー賞)というわすれがたい作品がある。中南米各国の民話が風土性ゆたかに語られるが、やはり一貫して、ながれているものは、友情、平和愛好の精神である。
 冒険とロマンスの泉は西欧のバラッドばかりにあるのではない。アームストロング・スペリーは、少年時代にメルヴィル、スチーブンソン、ジャック・ロンドンの海洋物語をよんで、南海にあこがれ、ボラボラ島に行ってそこの人びとの勇気を知り、伝説、民謡、英雄物語などに耳をかたむけた。その結果生まれたのが、「海をおそれる少年」(原名「それを勇気とよぼう」一九四○・ニューベリー賞授賞)である。海をおそれたために臆病ものといわれたポリネシアの少年が、イヌとアホウドリだけをおともに小さなカヌーにのって海にのりだし、数々の冒険を経験した後、ものと島へ帰るこの物語は、ポリネシアの伝説の香気を伝え、単純でしかも力強い文章で、スリルにとむ冒険を語り、ポリネシアの少年像や島や海の様子を適確につかんでいる。

*"Horn Book" 1858,August, p 291.
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