フランス
第二次大戦前
現代フランスの子どもの本は第二次大戦を境に明確に二つの時期に分けることができる。第二次大戦前にも子どもの本はかなりあったが、どれをとってみても、イギリスやアメリカの一流作品に肩をならべうるなにかに欠けていた。それが大戦後になると様相はがらりとかわり、長い間フランスの子どもの本を苦しめていたかせが完全にはずされ、真に子どもの文学といえるものが続出しはじめた。
世紀のかわりめにあらわれた評判作はリシュタンベルジュ(一八七〇〜一九四〇)の「かわいいトロット」(一八八八)と「トロットのいもうと」(一八九九)であった。幼い子どもの心の動きをえがきながら、大人の行為と対比させて、諷刺し批判しているこの二作は、当時、ひじょうな好評を博したが、大人の目で客観的に子どもの心理を観察する姿勢がつよく、子どもから直接子どもに語りかけるといった態度がなかった。この創作態度は、マルセル・エーメ、シャルル・ヴィルドラック、アンドレ・モーロア等の作家たちが、子どもの文学に手を染めた時にも、ついにぬぐい去ることのできないものであった。
アンドレ・モーロアは、「三万六千の意思の国」(訳名「なんでも自由にできる国」一九二九)と「デブの国とノッポの国」(一九三〇)の二つをかいた。前者はミシェルという女の子が夢でなんでも自由にできる国に行き、個人の欲望のみでうごいた場合の社会がどんなにいやなものかを知る話であり、後者は、デブの国とノッポの国の戦争と平和をえがいて、国際理解と戦争否定をうったえている。ともにコミカルなファンタジーとよべるものであるが、やや知的すぎて、おかしさの感覚がそれにともなわないために、寓意がなまで出すぎるきらいがあり、読者を夢中にさせる力にやや欠けている。
シャルル・ヴィルドラックの代表的児童文学は「ばら色島」(一九二四)と続編「ばら色島の子どもたち」(原名「植民地」一九二五)であろう。一人の貧しい家の少年がふとしたきっかけから、地中海にあるバラ色の島につれていかれ、金持が子どもをよろこばすためにあらゆる設備をととのえているその島の生活をたのしむ。やがて金持が破産すると、島の子どもたちは大人とともに島の生活の建設にはげんでいくというのが二編のあらすじである。船、飛行機、たくさんのたべものなど、子どもの願望がつぎつぎにかなえられていく前編と、労働による創造のよろこびをのべる後編は、ともに、子どもの興味をとらえてはなさない要素のたくみな展開であるが、「あの子は、じぶんの幸福というものを、じぶんの愛している人たちや、じぶんより幸福でないのを知っている人たちにも、おなじようにあじわわせてやれるのでなければ、かんぜんに幸福なきもちにはなれないのではないか*」といったテーマそのものが物語全体でよりも、ことばで語られる点が、やや興味をそいでいることはいなめない。ヴィルドラックには、ほかに、ライオンの王様のめがね紛失事件にからむ動物たちの行動を通して、人間社会を語った、たのしい物語「ライオンのめがね」(一九三二)がある。
劇作家マルセル・エーメは「レ・コント・デュ・シャー・ペルシェ」(訳名「おにごっこ物語」一九三九)を子どものためにかいた。クジャクのように美しくなろうとして節食し、やせほそって死んでしまうブタの話、子どもなどけっしてたべないつもりのオオカミが、子どもたちとあそんでいるうちに、つい本性を出して子どもをたべてしまうオオカミの話など、着想の奇抜さ、寓意の深さで、ひじょうにすぐれた短編集となっている。
以上の作家たちのほかにも、アナトール・フランス(一八四四〜一九二四)は、美しい子どもの心を「かわいい子どもたち」(一九〇〇)にかいたし、ジョルジュ・デュアメルには「ヴァラングウジャルのふたご」(一九三一)がある。また、ルナール(一八六四〜一九一〇)が前世紀末にかいた「にんじん」(一八九四)やフィリップ(一八七五〜一九〇九)の短編なども子どもによまれる作品として、よく紹介されている。
しかし、この時期のフランスが世界の子どもにおくった最高の作品は、ジャン・ド・ブリュノフ(一八九九〜一九三七)の絵本であろう。一九三一年に出版された「ぞうさんババール」は、偉大な芸術家によって極度に単純化された、動きのある、子どものよころぶ細部をたくみにえがいた絵によって、簡潔で内容ゆたかな物語をひろげてみせた。ババールは大人と子どもの両方の世界を、なんの束縛もなく自由に出入りする魅力で世界中の子どもの心をとらえた。最初の本の成功に気をよくしたブリュノフは「ババールの旅」(一九三二)「王さまババール」(一九三三)「ババールと友だちゼフィア」(一九三六)「ふるさとのババール」(一九三八)などをかきつづけた。そして、ブリュノフの死後はむすこのローランが、「ババールとわるものアルツール」(一九四七)「ババールのピクニック」(一九四七)「ババール、鳥の島へいく」(一九五一)などをかきつづけている。「ペール・カストル」絵本シリーズも、「いたずらリス」(一九三八)「ハリネズミのキピック」(一九三八)など、文と絵に極度の神経をつかったすばらしい絵本をいくつか出した。
第二次大戦後――児童文学のルネッサンス――
第二次大戦後の子どもの本は、質量ともに飛躍的に成長している。それは、子どもの本の中にも高度な思想をもちこんだり、きびしい現実を比較的明瞭に表現したりするフランス的特徴をがんこに守りながら、子どもの行動や心理により近づき、それを子どもの目で表現する方向をとって、続々と世界に一流品を送りだしている。
中でも、もっともめざましい活躍をしているのは、ポール・ベルナとルネ・ギーヨの二人であろう。
ポール・ベルナは、十人の子どもたちが、パリ=ベンチミグリア間の急行列車でぬすまれた一億フランを集団でとりかえす「首なし馬」(一九五五)で、「パール街の少年たち」「エーミールと探偵たち」の系列につながる都会の子どもの群像をえがいてみせた。子どもたちがあそびにつかう首なし馬に、犯人の一人が追いつめられてかぎを入れたことから子どもたちはつぎつぎに異常な、ありそうもないできごとにまきこまれるのだが、一度物語の中に入りこんでしまえば、全体がすばらしい迫真力をもっている。その上、十人の子どもたちが、行動と会話を通して、みごとにえがきわけられている。ベルナは、現代フランスが生んだもっともすぐれたストーリー・テラーということができるだろう。彼は「町のアコーディオンひき」(一九五六)で、同じ十人の子どもたちを登場させているが、これは事件そのものがやや単調で前作ほどの精彩はない。しかし、人物描写のたしかさはあいかわらずである。
ベルナは多才な作家で、「星の世界の門」(一九五四)と「空の大陸」(一九五五)という二つの空想科学小説もかいている。多くのSFが(特に子どものSF)技術的説明や知識によりかかって、新鮮そうに見えながら古くさいのに、ベルナのものは、宇宙空間に出た人間の問題をえがいていて、群をぬいた出来ばえである。
ルネ・ギーヨは「ゾウのサマ」(一九五〇)「ライオンのシルガ」(訳名「ライオン少年」一九五一)「チンパンジーのウオロ」(一九五一)、「ひょうのクポ」(一九五五)、「ゾウの道」(一九五七)などの動物物語や、「風の騎手たち」(一九五三)のような一種の海賊物語など、多くの作品がある。
セネガルとスーダンについての深い知識、狩猟家としての経験、博物学の知識などに、詩人のたましいが加わったものが彼の特異な動物物語である。彼のえがく動物もキップリングの動物と同じように考え、話す。しかし、やはりキップリングと同じように、動物たちは毛皮をきた人間ではなく、彼ら独自の思考形式と行動形式をもっている。ギーヨはそれを人間的に表現したにすぎないのである。そして、ギーヨは、人間と動物とのテレパシー的な類縁関係を信じて、それを物語中にたくさんかいている。ここがある子どもたちにとってはもっとも魅力ある点であろう。圧縮された簡潔な文章で展開される物語は、多くの場合、回想と筋とが入りまじっていて、複雑だが、それだけに重量感がある。たしかに、ギーヨは「物語作者として、冒険家として、哲学者として、同時代の作家のほとんどを、あたまと肩だけぬいている*」。
ミシェル=エーメ・ボードイは「風の王子たち」(一九五六)だけが日本に紹介されている。グライダーにのる少年の人間的成長をえがいた物語で、グライダーについての知識とともに、天かける冒険心を刺戟する佳作である。この作家には、ほかに、現代スペインの子どもたちをかいた「沼地方の子どもたち」(一九五五)がある。牧場経営者のむすこ、町のまずしい闘牛士志願の子ども、牧場の使用人の子どもなどが、それぞれのなやみをもちながら成長していくさまが、沼地をうずめて、近代的農地をつくろうという問題を背景に語られている。スペインの生活や自然を、色どり豊かに再現し、人物描写もたくみだが、フランコのスペインへのつっこみが、ほどよくかわされてしまっていて、物たりない。「オート・ビュットの森の公達」(一九五七)では、子どもの一団とキツネの間の友情をかいている。総じて、この作家の作品は、子どもの心を、つよく刺戟するものをもちながら、 やや高踏的な書きぶりのためか、一気に読ませる迫力に欠けている。
その点はアンリ・ボスコになるとさらに高踏的である。「バルボーシュ」(一九五七)は、パスカレ少年がマルチーヌおばさんといっしょに、マルチーヌおばさんが幼いころそだった村へ旅する物語である。パスカレの目に見える村は、くちはてて雑草のおいしげる廃墟である。しかしおばさんには、美しい庭や家が見える。作者は回想と現実のまじりあう神秘的な世界をつくりだし、その中で読者に人生を語りかけている。少年が家からぬけ出し、ジプシーの少年とともに川の中の島で生活をする「少年と川」(一九五五)にしても、胸おどる冒険ではなく、美しい自然と少年の心理を追う、内省的な作品であった。おそらく、きびしく線をひくならば、ボスコの作品は子どもの文学ではないだろう。しかし、しずかにものを考える子どもたちには、これほど魅力ある本もない。以上二作のほかに「島のキツネ」(一九五六)がある。
空想的な物語にはモーリス・ドリュオンがかいた最初の子どもの本「みどりのゆび」(一九五七)がある。大砲王のむすこティストーは、植物を繁茂させる魔力をもつみどりのゆびをもっていて、病院や牢獄に花を咲かせ、はては、父親の売る大砲と火薬にもゆびをつっこむので、戦争する軍隊の大砲からは、花がとび出す。そして最後にティストーは、二本の大きな木を茂らせてそれにのぼって天国に行ってしまう。一九三七年にクロード・アヴリーヌが出した「黒ちゃん白ちゃん」(原名「ババ・ディエーヌと角砂糖っ子」)は、なごやかな雰囲気と軽快なたのしさの中で人種差別への批判がこめられていた。「みどりのゆび」は、アヴリーヌの作品のもつやさしさと現代への批判が、美しい詩情、独創的な着想とむすびついた真にすぐれた作品といえる。これが出るとすぐに英語圏の人びとに読まれるようになったことも当然である。
詩情という点では、しかし「みどりのゆび」は、戦士にして瞑想家であったアントワーヌ・ド・サン=テクジュペリ(一九〇〇〜一九四四)の「星の王子さま」(一九四五)に及ばない。ある小さな星の上に一人の王子さまと一本のバラの花がすんでいる。王子さまはこのバラを心から愛しているが、つまらないことでいさかいをして、王子は、王さまの星、実業家の星、よっぱらいの星、点灯夫の星などをたずねまわって地球の砂漠にきて、不時着した飛行士にあう。飛行士と王子さまとの間の意味深い会話がたくさんにかわされた幾日かの後、飛行士は空へ、王子さまは星へかえっていくのである。
単純で素朴でしかもひびきの高い文章で語られるこの物語には、人生についての深い考察が秘められている。この本が子どもよりもむしろ大人の本だといわれるのは、「夜間飛行」や「たたかう操縦士」などをへて、ぎりぎりに単純化された作者の思想の深さによるのだろう。しかし、その深さは、大人よりもむしろ子どもによりよく理解されるのかもしれない。
ミシュリーヌ・モレルの「イム・リ・コ=八番目の子ども」(一九五八)も、やや程度の高い想像力を要求するものだが、軽快で魅力的な空想物語の短編集である。
ほかにあげるべき作家と作品は、ジャニーヌ・パピの「小さな魔法つかい」(一九五五)、ポール・ジャック・ボンゾンの「シミトラの孤児」(一九五五)、ジャン・ロワジイの「ドナディオの少年少女たち」(一九五五)と「ドン・ティビュルキオの秘密」(一九五六)、ミシェル・ブールギニョーンの「ガソリンカーの騎士たち」(一九六一)などであろう。
「小さな魔法つかい」には、フランスがドイツ軍から解放される時期の南仏を舞台に、一人の都会っ子の活躍が生き生きとえがかれている。「シミトラの孤児」は平和な暮しを地震で失ったギリシャの子どもたちがヨーロッパをさまよいながら生活をきずいていく力づよい作品である。
ロワジイの二作はともにスペインが舞台でスペインの風土の魅力がみちあふれている上に、劇的な事件の展開がたくみで十分おもしろくよめる。
ブールギニョーンの作品は、長い間わけもわからず敵対してたたかっていた二つの村の子どもたちが、一人の少年の病気をすくうために力をあわせたことから仲よくなる物語で、よどみない文章でアクションたっぷりなストーリーが展開され、テーマをつよくおしあげている。
こうして、現在フランスでは、ひじょうに多くの新しい作家たちが活躍し、フランス児童文学はルネッサンスをむかえた観がある。
テキストファイル化あかば のぶゆき