第一次大戦前
1九世紀末のドイツ工業が飛躍的に発展すると、都市への人口集中、階級問題などに
よって社会不安がまし、それが文学にも当然反映して、唯物論的認識にもとづく、自然主義的傾向の作品がつぎつぎに生まれてきた。
その自然主義の一派で、地方の生活をくわしく観察して表現した郷土文学作家の一人ルードヴィヒ・トーマ(1八六七〜1九二1)が一九〇四年に発表した「悪童物語」は、もともと子どものための作品ではなかったが、悪童のいたずらが子どもの本性を表現していることとともに、悪童をこらしめる大人たちの姿がこっぴどく批判されていて、今もなお新鮮なよろこびを子どもたちに与えている。
「子どもの中の母」(一八九五)で子どもの教育を語ったアグネス・ザッパー(一八五二〜一九二九)
は、芸術作品である児童文学を要求したヴォルガストの「わが国の児童文学の惨状」に答えて「愛の一家」(一九〇六)を発表したが、七人の子どもをかかえた一音楽教師の一家の生活をえがいている点、当時の文学的傾向をやはり如実に反映していた。大家族のために経済的に苦しい一家の生活をかいただけの、とりたてて筋もないこの作品が、今も変わらずおもしろく読めるのは、底を流れる楽天主義だと考えられる。登場人物たちは、父親をはじめとしてみな長所と欠点をそなえた生きた人間としてえがかれている。そして、彼らの生活から、作者は政治や社会への批判を性急にうったえることをせず、彼らが才覚と性格に応じて、難場をきりぬけて向上していく積極面をえがいている。そこが、この作品を生命の短いアジプロ的文学にしなかった点であろう。ペフリング一家はインテリの一家ではあるが、かなり貧しい。貧しい家庭が社会批判の道具としてではなく、いかにも自然にあ
つかわれている点は、中産階級とともにおこり今なお、中産階級的基盤からはなれられずに苦しんでいるイギリス児童文学とドイツ児童文学の一つの明確な相違点である。それはドイツの一つの強みとして、たとえばベルリンの町の子どもたちをかいたケストナーの作品などにもはっきりとあらわれている。
この時期でもう一人忘れてならないのは、「蜜ばちマーヤ」(一九一二)をかいた、ボンゼルス(一八八一〜一九五二)であろう。あくことを知らない知識欲にかられた蜜ばちマーヤが、蜜ばちの習性に反逆して、ただひとりで自然の中を冒険旅行し、宿敵クマバチにとらえられて、彼らが、じぶんの国を攻撃しようと計画しているのを知り、義務にめざめて巣に帰るこの物語は、自然のふしぎを子どもたちの目の前にひろげて見せながら、その背後にある寓意の深さによってひじょうに感動的な文学となった。ボンゼルスには、ほかにやはり動物をかいた「天国の住民」(一九一五)や「マオリ」(一九三九)などがある。
第一次大戦後
――ケストナーの登場――
しかし、動物文学でもっとも活発な創作活動を行なったのは、第一次大戦後にあらわれたオーストリアの作家、フェーリクス・ザルテン(一八六九~一九四五)であった。彼は、一九二三年に出版した「バンビ」が大評判になると、つづいて「十五匹のうさぎ」(一九二九)「白馬フローリアン」(一九三三)「バンビの子どもたち」(一九四〇)「名犬レンニー」(一九四一)「小りすペリー」(一九四二)「小ねこジビー」(一九四六)などを発表して、この分野でゆるぎない地位を確立した。もっともよく知られている「バンビ」については、これが英訳で出た時、ゴルズワージーがつぎのような序文をかいた。
バンビは、とても楽しい本です。ただ子供たちを感激させるだけでなく、子供だという幸福を、なくしてしまった人たちをも、感激させることでしょう。感情のこもった観察と、内面的な真実という点で、このしかの身の上ばなしと、肩をならべられそうな動物ものがたりを、わたくしはほとんど知りません。フェーリクス・ザルテンは詩人です。自然の本体を、きわめて深く感じ取ります。そして動物を愛しています。人間のことばが、理性をもたぬ生きものの口からひびくのをよむのは、ふつう、わたくしのこのみではありません。しかし、話されたことばのうらに、話している生きものたちの、ほんとうの具体的な気持ちが感じられるという、そのことこそは、この本のすばらしい点なのです。これは――小さな傑作です。透明で、色彩ゆたかで、ところどころで涙をさそうような作品です。
わたくしはこの書を、校正ずりで、パリからカレーへむかう途中、海峡をわたる船旅の前に、読みました。校正ずりを一枚よみ終るとすぐに、わたくしは妻に渡し、妻はそれをよむと、さらにわたくしの甥の妻に渡し、彼女はそれをよんでから、わたしの甥に渡しました。こんなふうにして、わたしたち四人は、三時間つづけてすわったなり、しずかに心をうちこみながら、よみました。そして、だれでも、ある本を校正ずりでよむのが、どういうことか、また、海峡をわたる船旅がどんなものか、それを知っている人なら、こういう試練に耐える本が、ほんのわずかしかにということをさとることと思います。わたくしはこの書を、とくに猟人諸君にすすめます。(*)
ゴルズワージーのことばどおり、ザルテンは動物の生態のくわしい観察を基礎に詩的想像力を駆使して動物の内面に入りこみ、動物の目をもって世界をながめている。だから、しか、りす、うさぎ、などといった動物たちの生存のための努力がいっそう人生をつよく暗示するのである。特に身を守る武器がにげることしかないうさぎをえがいた「十五匹のうさぎ」の危険にみちた物語には、第一次大戦後のドイツ民族の悲劇と切ないねがいがこめられていると思う。「あたしたちのように、おとなしいものには、平和がなによりなんですけどね」という「小りすペリー」の中のつぐみのことばも、この作品が一九四二年にかかれたことを考えあわせれば、単によわい生きもののふとしたせりふとは思えない。ザルテンはスイスに亡命して死んでいる。
第一次大戦後のドイツは一九二八年頃から恐慌に見舞われ、失業者はふえ、購買力はおとろえ、政情は不安をつづけていた。文学の面では、第一次大戦の反省が、ようやく作品的に結晶しはじめ、レマルクの「西部戦線異状なし」(一九二九)ルートヴィヒ・レンの「戦争」(一九二九)
など、戦争の悲惨をうったえるものが、続々とあらわれていた。苦しい現実を見つめてそれをありのままにえがきながら、なお子どもの成長に期待をかける作品も、当然その動きの中から生まれてきた。その一つが、フリードリッヒ・シュナックの「おもちゃ屋のクリック」(一九三三)である。「政治家は、夜も昼も会議をした。国家の歳入をまし、歳出を少なくするのには、どうしたらいいだろう。クリックが新聞で読んだところでは、どうも名案はないらしい。金融に頭をなやました銀行の頭取が首をくくった。マッチ王といわれ、養豚王といわれた人が、ピストル自殺をした」(**)不景気な世の中を、元気よく生きていくクリック少年の姿には、当時のドイツ人たちの希望が表現されている。リザ・テツナーの「湖のほとりのできごと」(訳名「二少年の秘密」一九三二)は、金持ちのむすこと貧しいみなしごが入れかわるという「こじきと王子」式の物語で、特にあたらしい着想ではないが、人生の諸相に子どもの目をひらかせるという意味で、やはり時代の産物であった。
だが、この時期で最も重要な役割を果したのは、エーリヒ・ケストナーの「エーミールと探偵たち」(一九二九)であろう。これは、ノイシュタットからベルリンのおばあさんのところへいこうとした実科学校生徒エーミール・ティッシュバインが汽車の中でねている間に、胸ポケットにピンでとめておいたおかねをぬすまれ、気がついてベルリンで下車してどろぼうを追ううちに、自動車の警笛をもったグスタフ、教授くん、ちびの火曜日くんなどと知り合い、彼らの協力をえて、自動車による追跡、ホテルでの見張り、百人の子どもたちによる包囲などによって、ついてに犯人をとらえる物語である。
ケストナーの作品はさまざまな面で世界の児童文学に大きな影響を与えたが、中でももっとも大切なことは、都会の少年群像をえがいた新しい型の冒険物語をつくったということである。エーミールをはじめとする子どもたちは、それぞれの家庭環境から必然的に生ずる性格をもっている。悪漢までが、いかにも生き生きと描写されている。そして、彼らの行動のどれ一つをとっても、可能性の限界をこえていない。それでいて、この物語には過去の偉大な冒険小説がもっていた魅力=スリル、サスペンス、スピード感などをたっぷり含んでいる。
子どもたちを見る目も、作者がある高所にたって見下すようなところがない。エーミールは美容院を経営する未亡人を母にもっている。教授くんは法律顧問官のむすこであり、ホテルの夜番のむすこもあらわれる。その子どもたちは、みな平等な目で見られている。子ども群像をとらえる名手であるイギリスのアーサー・ランサムにも無意識に中産階級意識がながれていることを考えると、ケストナーの無差別な子どもへのアプローチがいかに貴重なものであるかがよくわかる。
しかし、ケストナーのえがく子どもたちは理想の子どもたちであって、現実の子どもの忠実な描写ではない。つまり、ケストナーはドイツのリアリズム児童文学の系譜の長所である庶民性、現実批判の精神などを、てきぱきした文章やたくみな会話、たしかな人物描写、適確な細部の選択などで、国際性をもつものに高めたのである。こうした洗練度の高さが、デ・ラ・メアをして、三人兄弟の末っ子が幸運をさがしに出かけてそれを手に入れる民話ににているといわしめたのかも知れない。その後ケストナーは、「点子ちゃんとアントン」(一九三〇)「五月三十五日」(一九三一)「飛ぶ教室」(一九三三)「エーミールと三人のふたご」(一九三四)「動物会議」(一九四九)「ふたりのロッテ」(一九四九)などの子どものための作品をかき、別に自叙伝「わたしが子どもだったころ」(一九五七)を発表している。
ケストナーの系列につながる冒険小説はスイスにもあらわれた。マンフレート・ミハエルは、「ティムペティル」(一九三七)で、大人が一人もいなくなった町という異常な舞台をつくり、その中で子どもたちがどう行動するかをえがいてみせた。ケストナーにくらべて文章のきめがややあらいのと、人間が類型的なことなど、いくつかの欠点はあるが、大人がいない町という奇抜な着想と、発電所をうごかし、自動車、電車をうごかし、市会までつくる子どもの行動力と団結力の描出は、子どもを魅了せずにはおかない強さをもっている。
1933年にナチスが政権をにぎると、良心的な文学者は、国外に逃亡するか、国内にいて沈黙を守るかせざるをえなくなり、第二次大戦が終るまで、児童文学の世界にも不毛の時期がおとずれた。この時期にも、しかし、ヘルマン・ヘッセ(一八七七~一九六二)の「寓話」(一九三五)やマックス・メルの「天国の童話」(一九三八)、ベルゲングリューンの「ツイーゼルちゃん」(一九三八)などの佳作がある。ヘッセとメルはメルヘンの形で人生の意味を伝え、ベルゲングリューは幼児の生き生きとした心のうごきをたのしくとらえた。それぞれに、きびしい時代の中にあって心の自由を表現していると見ることができる。
戦争否定とナチスの暴虐をもっともはげしくうったえたのはエルンスト・ヴィーヘルト(一八八七~一九五〇)であった。四十の短編を集めた「童話」二巻(一九四六)は、メルヘンという形式を駆使して、きびしいたたかいのはてに得た作者の思想を十二分に伝えた感動的な作品であった。ナチスの怒りを買って教職を追われ、強制収容所生活を送った女流作家のルイーゼ・リンダーの「きらめく波紋」(一九四一)も、子ども向きに訳が出ている。一少女の五才から十五才までの心の遍歴を語ったこの作品には心の解放を願う気持ちが強く流れていてナチスの怒りを買ったのも当然と思われる。リンザーの作品のうち戦後発表された「マルチン君の旅」(一九四九)も訳が出ている。
*「子じかバンビ」実吉捷郎訳、五ページ、白水社版。
**「世界少年少女文学全集ドイツ編六」三二一ページ、創元社。
第二次大戦後 ―― 新文学の開花 ――
戦後のドイツは東と西の二つに分裂する悲運に見舞われ、その悲劇はまだ解消していないが、東西ドイツの復興とともに、児童文学もつぎつぎによいものが生まれた。ミュンヘンにできた国際児童図書館やドイツ児童文学賞の設定、悪書追放運動、東ドイツにおける教育改革などが、力強いはげましになったことはまちがいない。
ケストナーは相変わらずすぐれた作品を発表しつづけて、リーダーとなっているが、彼のあとをつぐべき国際的な作家も続々とあらわれている。中でも、ひじょうに旺盛な活動をつづけているのは、ハンス・バウマンであろう。彼は、戦時中に歴史について深く考え、戦後その考えを「コロンブスのむすこ」(一九五一)「草原の子ら」(一九五四)「兄弟の船」(一九五六)に結晶させた。一番目はコロンブスの第四航海を、二番目はクビライ汗とその弟アリク・ブカのたたかいを、三番目はポルトガルのエンリケ航海王の事跡をというように、いわば、人間の力が爆発的に発揮された時期をあつかっている。その書き方は、イギリスのキップリングやローズマリ・サトクリフのように時代の雰囲気を感性的につかむというより、歴史の法則性をつかもとしている。だから、内容はかなりむずかしい概念をたくさんにふくみ、高学年向きになっている。歴史を動かすさまざまな要素を、長くこみいった物語の中に破綻なくまとめあげる、ストーリ・テラーとしての力量は、世界的に評価されている。彼には、ほかに、ロスコー洞くつの発見をあつかった「大昔のかりうどの洞穴」(一九五三)や、ピラミッドをあつかった「パラオの世界」(一九五九)などのノン・フィクションもあり、また「ライオンと一角獣」(一九五九)のような空想的な絵物語も数冊ある。
ヘルベルド・カウフマンも「赤い月と暑い時」(一九五八)で世界的に有名になった。サハラ砂漠のトアレグ族の間におこる愛とにくしみの事件の数かずを、アクションと緊張感にみちた荒々しい筆致でかきあげたこの物語は、中世のロマンスの伝統をひいた冒険小説であり、人間のいとなみの深奥をのぞかすものをもっている。また、古い記録をもとに失われた交通路をさがしだす砂漠の冒険物語「失われたサハラの道」(一九五六)などもすぐれた冒険小説として高く評価されている。
冒険小説として、もう一つ忘れてならないのは、フリッツ・ミューレンヴェークの「ゴビ砂漠の密使」(一九五〇)であろう。二人の少年が中国の内戦にまきこまれて、トラックやらくだやうまをつかって、ゴビ砂漠をこえる物語だが、土地や人々がよくえがかれている上に、盗賊や遊牧民たちとの出会いなど、ふんだんに冒険があり、ユーモアもあって、一級品の冒険小説になっている
異常な土地の異常な出来事をかいた傑作には、もう一つ、クルト・リュトゲンの「オオカミに冬なし」(一九五五)がある。アラスカの氷にとじこめられた船乗りたちをすくいに行く二人の男の危険な旅の物語を、二つの挿話入りでえがいている。主要ストーリーも二つの挿話も限界状況の中での人間の行動を感動的にえがきだして、生きることの意味を伝えようとしている。
オーストリアの作家カルル・ブルックナーもさかんな創作活動をつづけ現在までに「インディアンの少年パブロ」(訳名「メキシコの嵐」一九四九)「黄金のパラオ」(一九五七)「サダコは生きたい」(一九六一)などの好評な作品を生んでいる。「メキシコの嵐」ではメキシコの革命を、「サダコは生きたい」では、日本の原爆問題ををいうように、常にひじょうに現在的な問題をあつかいながら、単に宣伝や煽動に終らない物語性のある作品を生みだす。今後も注目すべき作家である。
以上の諸作家の作品は、だいたい中学生程度が読者の対象と考えられるもので、素材を事実に求めている点でも共通したものがある。戦後ドイツのあたらしい傾向の一つだといわれている。
一方、児童文学の本流を行く作品にも、興味あるものが生まれている。オトフリート・プロイスラーは、「シルダの賢人たち」(一九五八)という、ゆかいなナンセンス物語をかいた。あまり賢いために諸外国の宮廷から相談役としてまねかれたシルダの男たちは、じぶんたちの町を守るためにばかをよそおい、その習慣が代々つづく。しかし、ある時、町の人びとは、ばかであることにあきてしまい、ふたたび賢くなることを内外に宣言して、かしこいことをはじめる。その行為たるや、窓のない公会堂をつくって、あかりをとるために屋根をはいだり、塩をまいて、塩の実をとろうとしたりするとほうもないことばかりであり、町はついに焼けおちてしまう。イギリス風にひじょうに高度なナンセンスではないから、すれっからしの大人たちには陳腐なものに思えるだろうが、小学校三、四年生向きのものとしてはいつにふさわしい上に、ナンセンス本来の底意もやわらかくふくまれていて、貴重な作品である。別の作品「小さい水の精」(一九五六)や「小さい魔女」(一九五七)も、新しい型の空想物語と評されている。
いわゆるファンタジーとはいえないが、空想的な子どもの心理をたくみにえがいたのがヘルタ・フオン・ゲープハルトの「どこかから来た子」(一九五六)であろう。いつも街灯の下にすわっている見知らぬ子と仲よしとなった子どもたちが、その子の空想をうそと考えて、あそばなくなるが、やがてまたなかよくなったとき、その子は行ってしまう。エステスの「百枚のきもの」を思わせる話だが、エステスほど社会性がないかわりに、心理のあやのえがき方は、よりきめこまかで、忘れがたい印象をのこす。彼女はほかに、左ぎっちょの子どもがほかの子どもたちになかなか受け入れられない話「トフィーと小さな自転車」(一九五八)などもかいている。
空想と冒険とが入りまじったふしぎな作品に、エヴァ・レヒリンの「トンキよ永遠に」(一九五五)がある。古代ペルシャのタイラー島にはムラサキイガイをもつ人を未来の支配者とする伝説があり、ある日、島にうちあげられたトンキという少年がその貝をもっていたので、村人たちは横暴な現王をたおすべく、彼をひそかにかくまいそだてる。トンキの逃亡、海賊との出会いなどをへて村人のねがいはかなえられる。戦後の少年少女に新しい思想をつたえるための性急さはめだつが、スリルにとんだ、想像力あふれる異色作である。
奇妙な物語はクリュスの「ザリガニ岩の灯台」(一九五六)である。たった一人の灯台守とカモメのアレクサンドラがおたがいに話をきかせあってくらしているところへ、ほかの人間やおばけなどがだんだん仲間入りをする。あらしや毎日の生活の物語に民話とか空想性のある話がさしこまれていてなんとも奇妙な雰囲気をつくりあげている。クリュスは、ほかに「ひいおじいさんとぼく」(一九六〇)という評判作を出した。
西ドイツの戦後をたんねんにえがいたのがマルゴット・ベナリ・イスベルトの「ノアの箱舟」(訳名「パセリ通りの古い家」一九四八)や「国境の城」(一九五七)であろう。前者は敗戦直後の住宅難を中心に、後者はアマチュア劇団の若者たちの生活や東ドイツとの問題を中心にあつかっている。きびしい現実をややあまく書いているのが不満だが、この二作あたりでは偏見もなく、ドイツの現実がよくわかって興味深い。
戦後、亡命先のソ連から東ドイツに帰った作家フリートリッヒ・ヴォルフ(一八八八~一九五三)も小ウサギといぬとカナリヤがヨーロッパからメキシコにわたる「とんぼがえりの小ウサギ」(原名「おとなと子どものための童話」一九五二)で、自由と民族間の相互理解などを感動的に語った。はっきりしたテーマがぎらぎらと浮き出してしまわず、しずかに心にしみこんでくる書きぶりには、ヴォルフの力とドイツ童話の伝統が感じられる。
やはり戦争中に亡命生活を送り、戦後東ドイツで活躍しているルードヴィヒ・レンも「くろんぼノビの冒険」(一九五五)を出した。アフリカ伝説の香気とアフリカの神秘を十分に生かしながら、植民地解放をうったえるノビの冒険の数かずは、民話や伝説の単純明快な語り口と詩的想像力と現代的テーマが結合した佳作といえるだろう。
テキストファイル化小野寺 紀子