『世界児童文学案内』( 神宮輝夫 理論社 1963)

北欧諸国
スエーデン
 世紀はじめの一九〇三年に小説家ストリンドベリ(一八四九〜一九一二)が「童話集」を出し、定型的な童話の語り口をつかいながらも独創性に富むストーリーで深い思想をやさしく子どもたちにうったえかけた。
 しかし、世紀はじめのもっとも偉大な作品はセルマ・ラーゲルレーフ(一八五八〜一九四〇)が、一九〇二年にスエーデン教育会の依頼で小学生のための課外読本としてかいた「ニールスのふしぎな旅」(一九〇六)である。
 親のいいつけを守らず、動物にも不親切な少年ニールスが、小人に変えられ、アヒルの背にのって野ガンの一行に加わり、スエーデン中を飛行するこの物語は、ずるいキツネとのたたかい、古城の灰色ネズミと黒ネズミとのたたかいなど数かずの胸おどる冒険が、スエーデンの山野、動物や鳥、民話や伝説などとわかちがたく結合しあっている。スエーデンの地理・歴史などを教える役目と、人生についての教訓と、空想的な冒険と、スエーデンの民族精神の伝達とが完全に果されているたぐいまれな作品といえるだろう。
 この偉大な作品の後をつぐ作家があらわれたのは、三十数年後であった。アストリド・リンドグレンは、一九四四年にはじめて小説を発表して、子どもの心に対する理解のするどさをみとめられ、翌年子どものための第一作「長靴下のピッピ」を出してから、矢つぎ早やに多くの作品を発表して一躍国際的児童文学作家になった。日本でも「名探偵カッレ君」(一九五三)「名探偵カッレとスパイ団」(原名「カッレ・ブルムヴィストとラスムス」一九五三)「カッレ君の冒険」(一九五七)の連作や、国際アンデルセン賞受賞作「さすらいの孤児ラスムス」(原名「ラスムスと浮浪者」一九五六)、空想物語「白馬の王子ミオ」(第一回国際アンデルセン賞優良賞受賞)などが訳されて好評である。リンドグレンはひじょうに豊かな才能にめぐまれた作家で、宝石どろぼうや殺人犯人をつかまえたり、スパイ団を追跡したりするカッレ君のシリーズにも見られるように、物語のつくり方の名手であり、また「さすらいの孤児ラスムス」に見られるように、子どもの心のたくみな把握者である。だから「ピッピ」のシリーズのように、赤っ毛をおさげにした、馬やサメでも持ち上げる怪力の少女がたった一人でくらし、おかしな言葉をつかい、風がわりな行動をするという、子どもの心のあこがれにマッチしたナンセンスもつくれば、伝説を思わす、きびしくくらい空想の世界をえがく「白馬の王子ミオ」をもつくった。現実にはありえないような事件に対した時の子どもの行動の妥当性は舌をまくほどみごとである。
 リンドグレンの出現後、スエーデンには多くの有能な作家があらわれた。中でも、ハリー・クルマンの作品などはいちはやく英訳などが出てひろく読まれている。ハリー・クルマンの「デビッドの秘密の旅」(一九五三)は、ストックホルムのお坊ちゃん育ちの少年が、父親にないしょで、下層階級の子どもたちのいる区域に出かけ、子どもたちのなわばり争いにまきこまれて、冒険にみちた一日をすごす物語だが、敵区域に侵入した四人の子どもたちが窮地に追いこまれながら、つぎつぎに機知と勇気を発揮して脱出し、最後の勝利をにぎるまでの作り方が、スピーディでスリルとサスペンスに富み、じつにうまい。冒険の中で、子どもの心の成長と社会の断面が描かれている。
 ほかに、「私立探偵スヴェントン」をかいたホルンベルイ、「ゆかいな家族の旅車」のウンナスタッド、などが活躍している。
 
ノルウエー
 十九世紀末から二十世紀の初頭にかけて、ノルウエーの児童文学は黄金時代をむかえた。
 デイッケン・ツウィルクメイエル(一八五三〜一九一三)は「ゆかいなヤンくん」(原名「ヤン・ブルーメくん」一九〇三)で、あたたかい心を持ったヤン少年のはずむような活力にみちた毎日を、さまざまないたずらや失敗でえがき、「わたしたち子ども」(一八九〇)で小さな女の子のありのままの姿をユーモラスにえがいた。
 ハンス・アーンルト(一八六五〜一九五三)は「シーセル」などという作品で、美しい山の上の農場でくらす子どもたちの生活をえがき、ガブリエル・スコット(一八七四〜一九五八)は「オランダ人ヨナス」シリーズで、つりや帆船航海などを通じて子どもたちをえがいた。
 ほかに、大森林地帯の子どもをあつかったスヴェン・モーレン(一八七一〜一九三八)、小さな子どもたち向きの物語をかいたハンス・セーラン(一八六七〜一九四九)、「バイオリンを持つフリク」「カリ」などで、さまざまな問題をのりこえて成長していく少年少女像をえがき、ノルウエー児童文学の進歩をたすけたハルホール・フローデン(一八八五〜一九五六)などがいる。
 そして、つぎの黄金時代は、第二次大戦後になるのだが、その間に、小説家クヌート・ハムズンの夫人であるマリー・ハムズンの「小さな牛追い」「牛追いの冬」(一九三三)が出た。ノルウエーの農場の子どもたちの一年間の生活をあつかったこの物語は、背景となる地域のめずらしさばかりではく、子どもたち一人ひとりがきわだった個性をもって活躍しているので、したしみのもてるゆかいな物語になっている。
 第二次大戦後、世界中に知られた作品は、トルビョルン・エクナーの「カルデモンム町の人びととどろぼうたち」(一九五五)であろう。ラクダやゾウが町の中を歩き、電車にのると運賃がただな上に車掌がビスケットをくばってくれるというゆかいな町カルデモンムの人びとの生活を絵と文章でかいたこの物語は、戯画化したたくみな人物描写、コミカルな事件の展開などで読者をひきつけながら、形のないあかるい笑いをさそう健康さにあふれている。ふんだんに出てくる歌も、その歌の作曲も、みな作者の手になったものというおどろくべき本である。絵本でよいしごとをしているアルフ・プロイセンも、「小さいスプーンおばさん」(一九五七)と「続・小さいスプーンおばさん」(一九五八)という物語を出している。ふつうの家庭婦人が、時どき、こしょう入れくらいに小さくなる話だが、小さくなっても、ちょっとがんこな性質をかえないおくさんや、われわれに親しいカラス、ネズミ、ネコ、イヌといった日常的な動物ばかりが出てくるためか、全体が身近で親しみやすい雰囲気につつまれている。それでいて、日常的なものが別な色合いをおびて感じられる点に、この空想物語の独創性があるのであろう。「カルデモンム」や「スプーンおばさん」を読むと、イギリスやドイツなどとは、たしかに別な空想物語が生まれているという感を深くする。
 プロイセンの物語には民話の香気が感じられるが、ビエルン・ロンゲンの「山にのまれたオーラ」(原題<大男の岩屋に生きうめになる>)(一九五四)も、伝説に材をとって、山の中にとじこめられた少年の苦闘を表現している。
 ほかに、絵にかいた子どもとほんとうの子どもとのふしぎな旅のナンセンス「まほうのチョーク」(一九四七)の作者、シンケン・ホップや、空軍ものの作者、レイフ・ハムレなど、多くの新しい作家と作品が生まれている。

デンマーク、フィンランド、アイスランド
 アイスランドは一人の傑出した作家を生んで世界の子どもに知られている。ヨーン・スウェンソン(一八五七〜一九四四)は、「ノンニ」(一九一三)「ノンニとマンニ」(一九一四)「太陽の日び−アイスランドでのノンニの若き日」(一九一五)「ノンニはどのようにして幸福を見出したか」(一九三四)など数多くの「ノンニ」シリーズを発表して有名になった。アイスランドの自然を舞台にくりひろげられるノンニ少年の生活と数かずの冒険は、環境のめずらしさ、美しさと、すなおでおおしい少年の姿とがたくみにまざりあって、今もなお読者をひきつけてはなさない。
 フィンランドでは、ドーブ・ヤンソンが、あたまがカバで体がブタのようなおかしな生物ムーミンを主人公に「ムーミン国のコメット」(一九四六)「フィンランドのムーミントロル一家」(一九四九)「ムーミンパパのお手柄」(一九五〇)「ムーミン、夏の大騒動」(一九五四)「ムーミンのミムブルと小さなマイ」(一九五二)「真冬のムーミンの国」(一九五七)などを、はじめスエーデン語で発表し、それが英訳されて大評判になり、フィンランドに逆輸入されている。ムーミンをはじめとする奇妙な生物たちのユーモアにあふれたナンセンスな物語の底には、ナンセンス特有の諷刺、人生への洞察などがひそんでいて、ルイス・キャロルやエドワード・リアに匹敵する作品といわれている。
 デンマークには、アンデルセン以後、まだ傑出した児童文学者は見あたらないが、カリン・ミハエリスが「ビビ」シリーズで、たのしい少女小説をかき、スヴェン・フロイロンの動物小説が子どもによろこばれている。またカール・エーワルの動物文学も知られている。

イタリア
 イタリア児童文学の二十世紀は、ヴァンバ(一八六〇〜一九二〇)の活躍からはじまった。ヴァンバは、一少年の学校や家庭におけるいたずらぶりを日記体でかいた「ジャン・ブルラスカの日記」(一九一二)で、活発に動く少年の心を戯画風に描写して、子どもに対する理解力を示し、また「チョンドリーノくんのふしぎなぼうけん」では、子どものアリへの変身という一種の空想物語をつくって、知識の伝達と作者の思想の伝達とおもしろさの結合をねらった。だが、彼の功績はむしろ「リソルジメントの旗印であった共和制への理想をもりこんだ児童新聞『日曜新聞』を創刊した*」ことにあるといわれている。ヴァンバの死後この新聞をひきついで一九二四年の廃刊まで編集をうけもったファンチュルリ(一八八一〜一九五一)も、少女の山村生活を「リザ・ベッタ」(一九三二)にまとめた。ファンチュルリと同じリアリズム系列の作品には、シチリアの農村で育っていく孤児の成長の記録をかいたルイジ・カプアーナ(一八三九〜一九一五)の「シチリアの少年」(原名「スクルピドゥ」一八九八)その他がある。冒険小説では、エミーリオ・サルガーリ(一八六一〜一九一一)が、現在訳書のある「黒い海賊」をはじめ、ひじょうにたくさんの作品を発表した。
 しかし、以上の諸作品は、世界的な財産になるのに、なにか一つ欠けている感じがつよかった。「ジャン・ブルラスカの日記」は、たしかに独特のリズムと方向性を持つ子どもの心理をつかんではいるが、「内容がファルスまたはドタバタ喜劇なのに、方法は『クオレ』をそのまままねているからだろう**」と評されるように、笑劇的特性の発揮もなければトーマの「悪童物語」の強烈な諷刺性ももてずにおわっている。カプアーナの作品もファンチュルリの作品も、どちらかといえば、大人の目、大人の態度が出すぎているし、「黒い海賊」は冒険イコール、アクションの型からもう一段高いところへのぼっていない。
 こうした状態のイタリア児童文学をもう一度世界的にしたのは、ジャンニ・ロダーリやアルベルト・マンツィらの第二次大戦後の作家たちである。ジャンニ・ロダーリはくだものや野菜を擬人化して、独裁政治をたおす人民のたたかいの勝利をテーマにした「チポリーノの冒険」(一九五一)で有名になった。くだものや野菜の性質・形態をたくみに利用した擬人化のうでのさえ、物語性、テーマの今日性は「ピノッキオ」の伝統を正しく受けついだイタリア独自の子どもの文学ということができる。ロダーリにはほかに「うそつき国のジェルソミーノ」(一九五八)などがある。
 アルベルト・マンツィ(一九二四)は、「ビーバーの冒険」(一九五〇)でヨーロッパ最後のビーバーの集団生活をえがいた。人間に追われ、火の襲撃を受け、冬をしのぎ、大きな動物たちにねらわれるビーバーたちのくらしぶりを簡潔な文章でスピーディに語りながら、生物が生きようとする本能のつよさと自由へのあこがれを教えるすぐれた動物物語の一つである。マンツィは「オルツォウエイ」で、一九五六年のアンデルセン賞佳作賞をうけ、国際的に評価された。
 そのほか、バッファロー・ビルの世界にあこがれる男の子たちの姿をとらえたパチフィコ・フィオリの「大草原のむほん人たち」(一九五五)、自然と子どもをあつかったファービオ・トンバーリの「トニーノの本」(一九五六)、ユーモアに富む学校生活の物語であるジョバンニ・モスカの「ぼくの学校」など、新しい作家と作品が続々と生まれている。
*滑川道夫編「読書指導辞典・作品編」安藤美紀夫「南欧における児童図書の歴史と現況」六八ページ、平凡社
**杉浦明平「児童文学について」岩波少年少女文学全集だよりNo 15.

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