がき本の現在・子どもと本の交差点


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甲木善久

           
         
         
         
         
         
         
    
 「がき本の現在」の四回目にあたる今日は、絵本の話をさせていただこうかと思っている。
 絵本は今、実は、たいへん元気がいい。
 で、なんで元気がいいのかというと、それは、作家が職業として食べていけるからである。そうはいっても、「えっ、絵本作家ってそんなにもうかるの」と、考えてもらっては困る。絵本が一冊出版されたところで、そのの印税の額など、たかが知れているのだ。
 では、どうして作家たちが食べていけるのか。それは広告イラス卜レーションのおかげである。広告の仕事で食べていけるからこそ、才能あるイラストレーターたちが、この、絵本というもうからないメディアに参入してくることが可能になる。
 若くて優秀な才能を育てたければ、方法は三つしかない。いうまでもなく、ひとつは資本である。そのメディアが新人を食わせていくことができるのなら、才能は必ずそこで育って行く、たとえば、マンガがそのいい例である。八○年代まで、文章を書けるやつも絵の描けるやつも、ほとんど、マンガに持っていかていた。いま、そうした才能は、おそらくコンピュー夕ー・メディアに流れている。

 さて、もうひとつの方法は、その表現のおもしろみを数えていくことである。才能の質によって、その表現の形式が合うか合わないかということは、もちろんある。が、つぼにハマれば、そうした才能はメディアの中で必ず伸びていく。うまくすれば、そのメディアの可能性だって拓げてくれる。そのためには、商売にならないなら商売にならないなりに、型にはめず、自由に作品を創らせ、形にして世に送り出す手伝いをしていかなければならない。表現の楽しさと、形になる喜び、そうしたものが若い作家を育てていくのだ。そして、できればお客さんのリアクションも欲しい。これはものすごく励みになる。同じ「がき本」でも、純正児童文学と、絵本の、明暗を分けるのは、このへんの違いだ。
 現在、絵本の世界は、長新太、片山健、スズキコージといった、すぐれて魅力的な才能が引っぱってくれている。彼らが楽しげに遊び、一冊一冊の絵本を世に送り出すことで、ひとり、またひとりと、新しい才能を呼び込んでいるのだ。もちろん、彼らのそうした仕事の陰には、頭の固い児童書出版社との、力の抜けていくような途方もないやりとりが重ねられたに違いない。そうした先達の業績が、今ようやく、実を結び始めている。特に長新太さんには、絵本業界全体で生涯年金を差し上げ、あわせて、彼の名を冠した新人賞を創設して、感謝の意を表すことくらいはしないとバチがあたるというものだ。
 ともかく、魅力ある先達の作品によって表現の楽しさが伝えられ、直接的ではないけれど、絵を描くことで食べていける業界が存在する。絵本の新しい波は、ここから生まれているのだ。

 この新しい波の旗手のひとりに、この連載のイラストを描いてくれている荒井良二さんがいる。彼の絵を、ここで初めてご覧になったという方はおそらく非常にすくないのではないか。そう言い切ってしまえるほ売れっ子のイラストレーターである。そんな彼が、絵本という表現の魅力に引き込まれ、世に送り出してきたのが、『ユックリとジョニジョニ』『バスにのって』『はじまりはじまり』 『スースーとネルネル』などの作品だ。これらはみな、「☆歳から」とか「☆年生向き」といった、子どもの本に付きもののグレード表示を無意味化するほど、懐深くどんな読者も包み込んでくれる魅力にあふれている。ここにあるイラストのやわらかな雰囲気が、絵本全体に満ちているといえば、わかりやすいだろうか。

 彼の他にも、藤枝リュージ、たむらしげる、飯野和好、ささめやゆき、伊藤正道などの作家の名を同じ文脈の中で挙げることができるだろう。彼らの作品は、それぞれに作家独自の持ち昧を備えたオリジナリティあふれるものたちだが、しかし、共通の特徽として、イラストレーションの世界ですでに磨き上げられた技、アイキャッチに効果的な色調、おしゃれな雰囲気、といったものを持ちあわせている。最近はおしゃれな本も多少は目につくようになったものの、その大勢としては、相も変わらず古くさいブックデザインで本を作り続ける「がき本」業界にあり、彼らの持ち込んでくれる風は貴重である。
 メディアとしての絵本は、現状、世間の認知として「がき本」の中に括り込まれてるが、しかし、表現のスタイルとしての絵本は、必ずしも子どもとくっついて動く必悪はない、一枚ものの絵でもなく、画集でもない。絵本という一形態は、「本」という造形と、絵という表現が出会ったところにうまれる。独自の表現形式なのである。そこにはまだ、未開拓の領域がふんだんに残されている。お楽しみは、これからだ。絵本はますますおもしろくなってくる。
西日本新聞1996,03,26