甲木善久
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子どもの話は面白い。そして同時に、大変面倒クサくもある。 こうした二面性は、なにも「子どもと話す」ときにだけに起こるのではない。そっ、実は、大人と「子どもの話」をするときの方が、メンドーだったりするのである。 「知ってるかい、おとなはみんな『こども』について語るのが好きだということを。自分がこどもだったときのこと。『うちの子』のこと。それから、今のこどもについて憂えていること。だけど、こどもと呼ばれる季節をとっくに過ぎてしまったヒトの話って、やっぱりちよっとシンドイものがあるじゃない。錯覚、独断、ノスタルジー、そしてつよすぎる思い入れ…」というのは、僕の好きな『コジラの出そうな夕焼けだった』(花形みつる作/河出書房新社)という物語の冒頭なんだけど、いつ読んでも、正にその通りって、心の中で拍手してしまう。 さて、こんなふうに面白くてやっかいな「子ども」なんだけど、それを切り札にして、現代とか、人間とか、まあ、今の世の中について書いていこう。で、ときどき本の紹介もしてしまおう。というのが、このコラムのねらいなのです。 とはいえ、さっきの引用にあるように、大人がどう「子ども」について語ったところで、それはその語り手の独断と偏見の産物であることは否定できない。というわけで、タイ卜ルはあえてコドモという表記にしたのだ。コドモというのは、僕の子ども観の表れという意味です。あっ!花形みつるについては、次回。
西日本新聞1996/10/06
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