コドモの切り札

(2)

子ども時代の体感が

甲木善久
           
         
         
         
         
         
         
         
         
     
 花形みつるというフザけたぺンネームの作家がいる。著者紹介には「夫と始めた『遊びの塾』で7年にわたる子供たちとの野外活動、そこでの奔放なふれあいをべースに小説を書き始める」とあるが、とにかく、この「べース」とやらがとても濃厚らしくて、物凄い子どもを描いた作品を書くのである。
 物凄いといっても、なにも人殺しをするわけではない。まあ要は、このごろあまり見かけなくなったワル坊が、畑のねぎ坊主を棒っきれでかっ飛ばす、青大将を振り回し女の子にぶつける、ロクでもない替え歌をわめく、と、作品中を縦横無尽、傍若無人に暴れ回ってくれるのである。これは、痛快だ。しかも、このワル坊ども、したたかに現代っ子なのだから思わずニヤリとする。
 さて、この作者の新刊が遠の卜ララ』(河出書房新社)である。これはぜひ、先のワル坊シリーズ四作目『一瞬の原っぱ』(同前)と併せてお読みいただきたい。
 少年が語り手となり、ガンコおやじをめぐるひと夏の風景と、そこに現れた少女が描かれる『一瞬の--』に対し、当の少女が同じ季節を語っていく『永遠のトララ』は、だから、ちよっと趣が違う。で、その落差が実にイイのである。
 テビュー作『ゴジラの出そうな夕焼けだった』もそうだが、この作者、同じ風景をふたつの言葉で語ってみせるズラシ込みの技法が絶妙に巧い。手紙と本音。少年と少女。そうした質の違う語りを交差させるとき、表現しようにもうまくできなかった、あのもどかしい子ども時代の体感が浮かび上がってくる。
 この作品、装丁はダサイが面白い!
西日本新聞1996/10/13