甲木 善久
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最近読んだ本の中で、もっとも大笑いさせてもらったのは、『新解さんの謎』(文芸春秋)である。「新解さん」というのは三省堂の『新明解国語辞典』のことで、この辞書の味わいを、あの赤瀬川源平氏が解明してくれるという本なのだ。 僕も商売柄、辞典は何種類も併用しているのだが、確かに、前々から『新明解』は妙に味のある辞典だとは思っていた。が、しかし、それにしても、これほどまでとは思っていなかった…。 例えば「恋愛」の定義など絶にして妙である。 『恋愛』特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめられる(まれにかなえられて歓喜する)状態。 ね。他の辞典の追随を許さない正確さでしょ? もし、お宅にも「新解さん」があるのなら、さらに「合体」も引いてみてほしい。思わず目が点になることは請け合う。 とはいえ、『新明解』の果敢さもスゴイけど、そこに、ある種の人格を見て遊んでしまう赤瀬川さんはもっとスゴイ。『超芸術トマソン』とか、『じろじろ日記』(共にちくま文庫)とか読んでいると、この人は発想がコドモなのだと思う。もちろん、悪い意味ではなく、型にハマってないというか、疑問を放棄しないといういか、物事を面白がるというか、まあ、そういうことである。 これは精神的に相当タフでなければできない。だって、自分の頭で考えるのはシンドイことだもの。責任を回避するという意味での子ども性は困るけど、こういうコドモ性は大歓迎だよね!。
西日本新聞1996,10,20
テキストファイル化 林さかな
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