コドモの切り札

(4)タイムファンタジー

甲木 善久
           
         
         
         
         
         
         
         
     
 宮部みゆきの新刊『生邸事件』(毎日新聞社)が、おもしろかった!
 宮部みゆきといえば、この頃はミステリー好きのみならず、知っているという人はみんな知っているという人気作家だから、すでにこの本をお読みになった方も多いかもしれないが、まあ、遅まきながら書かせてもらう。
 大学入試に失敗して、予備校の受験のため再上京した主人公・孝史は、実にうだうだした冴えない少年である。コイツが、何だかんだで昭和11年の2月、二・二六事件の当日にタイムトリップして、蒲生邸の事件に巻き込まれて、アレコレあって帰ってくる、というのが荒筋だが、何だかんだと、アレコレは、実際読んで確認してほしい。ミステリーだから、これは書かないのが仁義である。
 さて、今、ミステリーと書いたが、実は僕の本音からすれば、ミステリー作品としてこの話は買わない。じゃあ何だといわれれば、一級品のタイムファンタジーだと答える。時間旅行を経て描かれる少年の心のありようが、すばらしく良い。
 前半、孝史がうだうだしているあたりを読み進めるのは確かにツライ。けれど、その先、いかにも現代の多数派を占めるような高校生が、自分が学校で教えられていることを、そういう教育制度によって成り立つ時代を、ちっぽけな自分を、大切な自分を肌で捉えはじめるあたりになると、物語はがぜん輝き出す。
 「今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘ帰レ」という二・二六事件で下士官たちに撒かれたというビラの言葉が、孝史の中で別な意味を帯びるとき、宮部文学の真骨頂であるコドモが姿を現すのだ。
西日本新聞1996,10,27

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