甲木 善久
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今週も『蒲生邸宅事件』(宮部みゆき/毎日新聞社)の話である。先週、この本について「一級のタイムファンタジーであり、時間旅行を経て変化する少年の心の描かれ方がすばらしく良い」と書いたのだが、その内実についてはほとんど触れることができず、僕としてはもう少し書いておきたいわけ。 で、僕がこの作品を高く買うのは、つまり、主人公の少年を現代の時間にキチンと帰していくという、その決着のつけ方にタイムファンタジーの正統を感じるからだ。この「行って、帰る」という形式が、エンディングのひとつのパターンなんかではなく、タイムファンタジーとして必要不可欠な要素であることを、この作品は再認識させてくれたのである。 そのことをお話しするために引き合いに出したいのが、小林信彦の『イエスタディ・ワンス・モア』(新潮社)だ。80年代末の高校生が50年代末にタイムスリップする話しで、装画と装丁が吉田秋生、装丁が平野甲賀と実にオシャレな仕上がりの本である。確か昨年文庫化されたはずだから、手に入れやすいと思う。 この物語の最大の魅力は、小林の筆によってイキイキと描かれる、50年代末の東京の、その街並の美しさやざわめく時代の雰囲気にある。これはもう、絶品といえる。だから、主人公がそこに惚れるという展開はわかる。が、しかし、最後に彼がその時代に残ることを選択するのが、どうにも解せなかったのである。 主人公を少年にした以上、作家はその生き抜く力を信じて「原隊へ帰レ」と命じるべきなのだ。『蒲生邸事件』を読んだいま、僕はそれをいい切れる。
西日本新聞1996,11,03
テキストファイル化 林さかな
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