|
大河ドラマの秀吉は、このところすいぶん偉くなってしまい、だんだん鼻持ちならなくなってきたけれど、それはさておき、「ア夕ゴオル」のナゾノ・ヒデヨシ氏はいつまでたっても大馬鹿で、実に立派なもんである。 と、ここまで読んで、「なんじゃそりゃ〜!」と思った方のためご説明申し上げると、このヒテヨシというのは猫である。波は、イーハ卜ーブに隣接するヨネザアド・アタゴオルに住み、ブタのように太っており、行動原理のすべては食うことに直結し、かっぱらいと食い逃げに明け暮れ、しかも、絶大なる自信を根拠もなくもっているという、もう、恐ろしいほどの大馬鹿な猫である。 彼を知らないのは、人生の楽しみの六十八分の一を失っているといっても過言ではないが、ともあれ、ますむらひろしの『アタゴオル玉手箱』(偕成社)ないしは『アタゴオル物語』(スコラ)さえ読めば、ヒデヨシに会える。 「心の中に悩みがモチのようにふくらんで来た時」、この物語はすばらしい効果を発揮する。目先の現実に捕まえられていた心の視線がぐっと上を向き、遠くまで見渡せるようになるのである。それは、もちろんヒデヨシのおかげである。と同時に、しばしばお話の最後の場面で描かれる、大きな時間の流れと広々とした空間が一役買っているのは間違いない。 目先の現実に、心のすべてが支配されたとき、年齢に関わらず人はコドモでいられなくなる。先週、夢のヒヨコを飼えば大人もコドモになれると書いたけど、それを具体的にいえば、未来の幸せな自分をイメージし続けるということだろう。そのためには自分を信じるしかない。ヒデヨシではないが、根拠のない自信こそ本物の自信だぜい!
西日本新聞1996,12,01
|
|