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「大きくなっても、子どもはずっと、ママのもの」というCFコピーは、一見す ると甘やかに見えながら、実は、現代日本に蔓延する親と子をめぐる重大な問題を内包している。母親と子供の濃密で閉鎖的な関係は、おそらく刹那的には快適だろう。が、ここには「子供はいずれ大人になるもの」という視線が欠落しており、強烈なマザコン大人を生み出す土壌となる可能性は高いのだ。 では、子供にはベタベタしないのがいいかというと、またここにも問題は残る。それは、親が親としての役割をうまく果たしきれないということを覆い隠すからである。 こうした問題を中心に据えたのが、梨木香歩のファンタジー『裏庭』(理論社)だ。主人公の少女・照美の、自分探しの物語であるこの作品は、けれど同時に、母 親の物語であり、さらに祖母の物語として成り立っている点が特徴的である。 幾重にも張られた、それはもう抜群にうまい伏線に導かれ、照美は向こう側の世 界へと旅立つ。そうして旅の果てに彼女が手に入れたものは、自分がママとは「まったく別個の人間」であるという認識であった。おばあちゃんからママへ、ママか ら照美へと受け渡されてしまった呪縛を、断ち切ったの照美である。だが、そうするためには、同時にママも、自分自身の呪縛を断ち切らねばならなかった。作品の中で、ママが幼い頃の呼び名「さっちゃん」として語られるのは、そうしたことの 表れである。したがって、彼女は大きくなった子供として、自分の問題と向かい合 うのだ。 自分が子供のころ親から受けた心の傷を克服できないまま親となり、同種の傷を無自覚に子供に転移させてしまうのは、人間の長い歴史の中で連綿とくり返されてきたことだろう。が、これも裏の意味で、子供を「ずっとママのもの」にすること に他ならないのだ。
西日本新聞1997,01,27
テキストファイル化 大林えり子 |
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