コドモの切り札
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おやおや? 親業

甲木善久

           
         
         
         
         
         
         
         
     
 ウーム、困った!
 当初の予定では、今週は五味太郎の『大人問題』(講談社)について触れるはずだったのに、まだまだ『裏庭』(梨木香歩・作/理論社)に対して、言い足りない。しかも、この前読んだ妹尾河童『少年H』(講談社)、吉田秋生『YASHA』(小学館)も面白かったから、それについても早めに触れていきたいのである。
 あッ、字数が…。
 と、まあ、そんなわけで、今週も『裏庭』である。
 ティーン・エイジャー向きホット飲料のCFの話から引き継いで、これまで、親の自立と子供の自立が同調したとき、互いにT仕合わせUだということは書いた。で、自分が子供のころ親から受けた心の傷を克服できないまま親となり、同種の傷を無自覚に子供に転移させてしまうと、不幸の受け継ぎというか、アダルトチルドレンというか、「親の因果が子に報い」現象が起きちゃうということも書いたと思う。
 そうして、その原因を『裏庭』に求めたとき、とっても興味深い、極めて今日的な問題が浮き上がってくるのだな。そう、まず、ここに登場する両親が親に成りきっていない。というのも、子供は生まれたときから子供だから、自らの子供としてのアイデンティティーは否応もなく受け容れていかざるを得ないのに対し、親の方は生まれたときから親であるわけはないのだから、自分で親としてのアイデンティティーを作り、それを保持していく必要があるのだ。
 が、この作品のお父さん、親になった自覚が全くない。また、お母さんはといえば、おなかを痛めて生んだという事実に寄りかかってるだけだから、自分の親から受けた教育を無自覚になぞる。さらに、それに気がつくと、娘との関係を冷まして逃避する。
 と、なんだかどこかで見た風景が再現されて、リアルでしょ? でも、この作品、ちゃんと解決を模索してるから、後味がすごくいいんだよね。
甲木善久
テキストファイル化 大林えり子