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というわけで、五味太郎の『大人問題』(講談社)である。 この本、まず表紙デザインで、そのコンセプトが明解にわかる。でかでかと漢字で「大人問題」と書かれた真ん中に、ひらがなで「おとな」「もんだい」と書かれ、その接点に「は・が・の」という助詞が縦に並び、その上に英語で「好きなの選んでね」なァんて意味のことが書いてる。 つまり、実は「大人は問題」であったり、「大人が問題」であったり、「大人の問題」だったりするのだが、では、それは何に対してなの? というと、本をひっくり返して裏表紙を見ればすぐわかる。字が裏返された状態でそこには「子供問題」とあるのだから。 そう、この本は「大人☆問題は、子供☆問題に波及する」というようなよく見かける物言いではなく、「子供☆問題というものは、実は大人☆問題なのよね」ということをいいたいのである。 たとえば、「うちの子は○○なのですが、それでいいんでしょうか…」なんて質問をすぐしたがる親や、社会科見学、遠足、修学旅行、長期休暇なんていうのがある度に作文を書かせようとする教師、学校へ行きたくないというとすぐに悪い子だと決めつけたがることなど、ぜーんぶ、大人が自分たちで勝手に作った<子供>という鋳型に、それぞれの子供の事情を無視して、はめ込もうとしているだけなのだ、ということがこれを読むと腑に落ちる。 五味太郎という人はエライ人で、これまでも、こうした問題を『じょうぶな頭とかしこい体になるために』(ブロンズ新社)とか、『正しい暮し方読本』(福音館書店)とか、『それぞれの情況』(集英社)とかで、くり返し考え続けている。大人とか子供とかいう前に、みんなそれぞれ、いろいろに生きている人間なんだよ!という認識は文学者の必須条件だと思うけど、なぜか子供の本の作家では稀少なのね。
西日本新聞1997,02,10
テキストファイル化 大林えり子
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