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さて、妹尾河童『少年H』(講談社)が優れた児童文学なのだ、という話である。もちろん、ここでいう児童文学とは子供に向かって出版された本という意味ではなく、子供を通して描かれたことで、よりパワフルになった物語のことである。 この物語は、タイトル通り「少年H」というコドモの眼で進められていくわけだが、それが太平洋戦争へと向かう「あの時代」を描き出すのに実に効果を上げている。 こまごまとしたことが気になる。そして、それについて知りたい。というあり方は、先週書いたように、作者・妹尾河童の個性である。けれど同時に、こうした心性は、まぎれもなくコドモ的なものであり、したがって、少年Hの動きはリアルに読者へと向かうことができるのだ。 さらに、よく見ていけば、この両者に違いがあることがわかる。それはつまり、大人になった河童さんには何がどうしてこうなるのかという疑問を社会や時代の遠近法の中で探究できる能力があるのに対し、少年Hの方は全体の構図の中でそれを理解することができないということである。だから、Hは「わからない」「変だ」という思いばかりを貯めていく。 初めは穏やかに、やがて、加速度的な激しさで戦争へと突っ走って行ったのは、実は、何だかわけのわからない変なことの積み重なった結果なのだということが、Hの視線で明らかになる。あの時代の雰囲気を伝えるのに、これほど適切な視点も他になかろう。 しかも、天皇という親を信じ、偏った報道ばかりで全体の状況がつかめず、おおむね受身的に大勢へと与していった大人たちの姿が、少年Hの視線によって、逆に子供に見えてくるのは愉快だ。戦後、誰一人として、己の立場からあの戦争の責任を感じなかったのは、そのせいだったのか! (評論家)
西日本新聞1997,02,24
テキストファイル化 大林えり子
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