甲木善久
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精神病理学者・大平健の著作は、どれを読んでも考えさせられるものが多い。中でも、すでにべストセラーである『豊かさの精神病理』『やさしさの精神病理』 (岩波新書)など、一九八○年代から九○年代にかけての日本の精神風景が実にリアルに写し出されていて何度読んでも興味深い。 さて、先週からの続き、『顔をなくした女』(岩波書店)の「〈子供〉の死」についてである。 〈成功者の惑い〉と呼べるような徴候を示す患者を通して、現代という時代について考えているこの文章だが、おもしろいのは、こうした症例が大人、子供に関係なく表れるという点だ。しかも、「同じ〈成功者の惑い〉という悩みで来院していながら、少年たちが妙に大人びているのに対し、中年たちは皆、天真爛漫で、ともすればあどけない感じさえする」という。そうして、そのことから著者が導き出す仮説は「狭い世間に閉じこもり、至上の評価基準たる勉強で成功することで少々の難点は許されてしまう少年たちは、同様に狭い世間で、至上の評価基準である仕事で成功することで『あいつは仕事だけはできるから』と少々の難点は勘弁してもらえる大人の雛形、つまり『小さな大人』なのではないだろうかということである。ここに、先週引用した、現代は「〈子供〉の消滅しつつある時代」ではないか、という指摘が付随してくる。 〈子供〉らしくない子供と、〈大人〉らしくない大人をしばしば目にする昨今、この説は確かな実感をともなって迫ってくるだろう。教育の名の下に大人が子供に与えた二元的価値基準が、彼らの成長にともない、反転して太人の世界に持ち込まれる。その結果、〈大人〉が消滅し、つまり、〈子供〉も消滅する。 おそらく、これが、現代日本の風景を形づくる原因なのである。
西日本新聞1997,03,16
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