甲木善久
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この一週間、折をみては地通にポケモンリーグへ通ったおかげで、僕のハクリューは見事カイリューに進化しました。後は、イーブイが炎の石で進化するブース夕ーを入手しさえすれば、ポケモン図鑑の完成だァ! というわけで、今回も「ポケット・モンスター」(任天堂)の話しである。 さて、このゲームの面白味は同じゲームを持つ友達とのコミュニケーションにあるのだが、それを確保してくれるものは何かといえば、ズバリ、自分の捕まえたポケモンは世界に一匹しかいないという「お約束」である。 各ポケモンには五字以内で愛称をつけることができ、[おや」の名前が記録され、最高八桁までのIDナンバーがつく(初めからゲームをやり直せば番号は変わる)これにより、一匹一匹のポケモンに個性があるよな錯覚も生まれるのだが、まあ、それはいい。 このゲームの真の芸の細かさは、友達とポケモンを交換すると、自分の方のデータが消えてしまうということにある。つまり、ポケモン(データ)は「復写」されるのではなく、本当に「交換」されてしまうのだ。これは、電子ゲームにとって画期的なことである。 十二年前、「ドラゴンクェスト」の復活の呪文は、苦労して書き写し、再びゲームを続けるにはそれを入力しなければならなかった。それから今日まで、いかにして楽にデータを記録・複写できるかという方向でゲームは進歩し、事実とても楽になったのだが、「ポケモン」は、こうした発想をさらに飛躍させ、「消す」という仕掛けを導入したのだ。 こうして、プレーヤーが捕獲し育てた〈時間〉は、かけがえのない(コピー不能の)ものとしての価値を持つ。交換の意味と面白さが、この仕掛けによって増大することは、もとろん、いうまでもない。「ポケモン」の秘密はこの発想の転換にこそあったのである!
西日本新聞1997.04.27
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