コドモの切り札

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−少年の物語の魅力−

甲木善久
           
         
         
         
         
         
         
         
     
 最近、浅田次郎の作品に凝っている。きっかけは、家人に勧められて遅まきながら穹の昴』(講談社)を読んだせいなのだが、いやはや、これが実に面白くて見事にハマッてしまったというわけなのだ。
 この本については、既にあちこちで書評に取り上げられ、ご存知の方、お読みになった方も多いと思う。が、しかし、ここで改めて語ることをどうかお許し願いたい。
 一九世紀末から二〇世紀初頭にかけての激動の中国を舞台としたこの物語は、西太后光緒帝李鴻章など実在の人物を交えつつ、梁家屯の貧農の子・春雲、そして、その家屯の郷紳の次男・梁文秀という二人の魅力的な若者を軸にして、時代の変動を壮大に描き出す。 歴史小説としてこの物語を読むのなら、下巻で描かれるストーリーの方が、おそらく面白い。けれど、僕のような読者にとってみれば、実は上巻の方がはるかに面白いのである。そう、そこに、濃厚な児童文学のテイストを感じるのだ。
 二人の若者がグイグイと権力の中枢へ駆け登っていく過程で描写されるのは、いわばピュアな生命力の勢いである。彼らに同化して読み進むうちに、思わず知らず元気が出る。特に、自らの手で性器を切り落とし、宦官として後宮に上がることを選んだ春雲のストーリーは秀逸である。彼の持つ生命力、その生き延びていく力に、読んでいるこっちまで勇気が分け与えられる気がするのだ。 また、この二人を支えるものが、白太太という謎の老婆の予言であることも、心憎い仕掛けである。これによって、中国古来の文化伝統と近代合理主義の混濁する当時の時代の雰囲気を感じさせてくれると同時に、少年の成長をモチーフとした物語の定石− 予言、出会い、修業、チャンス、そして成功という様式が見事に整えられるのだ。
 こんな物語を書いてしまう浅田次郎はスゴイ!
西日本新聞1997.05.21