コドモの切り札

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プリクラって何?

甲木善久
           
         
         
         
         
         
         
     
 プリントクラブ(通称プリクラ)という機械が街の中に定着して、かれこれ一年くらい経つ。そして、、その間、僕は事あるごとに「あれは一体どういう現象なのだろう」と考え続けていた。
 友達同士で機械の前に立つ。何十種類かのフレームからひとつを選び、ポーズを作って写る。すると、数十秒後には、それがシールとなって機械から出てくる。それから、一緒に写った者同士でシールを分けあい、手帳などに貼る。そして、それをいつでも携帯し、友達と見せあう。というのが、 「プリクラする」ことの一通りの手順だが、「じゃあ、これって何?」ってことが全然分からなかったのだ。現役バリバリの女子高校生達に話を聞いた。コレクションも見せてもらった。けれど、どうしても納得できる答えにたどり着かなかったのである。
 が、最近になって、なんとなく、その意味が見えてきたような気がしてきた。というのは、例の「透明な存在」について考えているとき、ふと思い当たることがあったのだ。それはつまり、プリクラとは「白雪姫のお母さんの魔法の鏡」と同じものかもしれない、ということである。そう、「鏡よ、鏡、鏡さん。世界で一番美しいのは誰?」っていう、アレ。
 自分という存在を確認するとき、方法は二つある。ひとつは純文学お得意の、悩み、傷つき、逡巡してい内面に深く降りていくタイプ。で、もうひとつは、誰かとの関係を通してアイデンティティーを確保するタイプで、いうまでもなく「鏡」はこちらの方である。白雪姫の母は、美しさというアイデンティティーを、鏡を介して毎日確認しなければすまない。同様に、現代の一部の若者は、「プリクラ、プリクラ。私たちって〈友達〉よね?」と、問いかけているのではなかろうか。
 プリクラの目的が、シールを作ることであるのでなく、見せあうことにあるのは示唆的である。
西日本新聞1997.08.03