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完全に同じDNAを持ち、同一の環境で育ったならば、人は同じ人格を持ち得るか? 答えは、もちろん、NOである。 そのことは、一卵性の双子でも違う人格を持つことから立証される。たまに誤解している人もいるようだから念のためにいっておくと、一卵性双生児というのは、一つの卵に二つの精子がくっついたわけではなくて、一個の受精卵が分かれたものである。だから、当然、二人のDNAは同じ。ほんとに全く同じである。 が、もちろん、人格や性格は同じでない。これは双子に限らず、年の近い兄弟(姉妹)でも同様だが、それぞれの性格が、相補的な役割分担をすることが多いようだ。つまりは、静と動、プラスとマイナス、陰と陽である。 『YASHA』(吉田秋生/小学館)の静と凛が、そうした役割を担わされたキャラクターであることは間違いない。って、字面からして明白だもん。 さて、話は戻るけど、何で、同じDNAを持ちながら違う性格を持つようになるかというと、それはたぶん、生物として必然なのだと思う。なぜなら自然界に存在するものは、環境の変化に適応できるように、ことごとく均質・均一を避けるからである。 ところが、ここらへんが実に不思議なのだが、そうした生物としての自然が働く人間が、理性ってやつを持ち出した途端に、均質・均一を求め始めるのはなぜなんだろう? エアコンだって、まっすぐなキュウリだって、そうした思考の産物である。また。大袈裟にいえば、民主主義も資本主義も、その志向が思想化・システム化したものに他ならない。そして今、この均質・均一を求める志向は、身体のいう自然にまで手を加えるようになってしまった。 これが心に影響を与えないはずがない。だから、現代の「私」の抱える問題は、ここを抜きには語れないのだ。理性という不自然と拮抗し合う、身体という自然ー僕は、『YASHA』のテーマを、ここに見る。
西日本新聞 1997/11/23
テキストファイル化 妹尾良子
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