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久しぶりに、絵本の話をしようかと思う。というのも、年末年始と立て続けに2冊、内田麟太郎さんの絵本が刊行されたからである。 内田さんは、今や絵本の文章を書かせたら日本一といっても過言ではない。彼の出身地の大牟田の人は、郷土の誇りと自慢して歩いてもいいくらいである。 長新太さんと組んで絵本にっぽん賞を受賞した『さかさまライオン』(童心社)もイイ感じだが、個人的な趣味でいえば、荒井良二さんと組んだ『うそつきのつき』(文溪堂)が絶妙だと思う。まじめくさった語り口で実にナンセンスな話をする独特の持ち味が効いていて、喩えていうならバスター・キートンの喜劇映画のようなおかしさなんである。 「絵本の文章」と一口にいっても、実はこれがなかなかムズカシイ! やたらに長くて説明過剰なものは論外だし、かといって短くし過ぎてただのあらすじになってしまったもねぇ〜、という世界だが、その点、内田さんは詩人として言葉を研いでいるから、まず無駄がない。リズムがある。そしてなにより、絵本の最大の魅力といっていい場面取り、ぺージをめくるときの「間」の創り方が絶妙に上手い。 今回の新作、高部晴市さんと組んだ『へんてこ島うた』(バロル舎)でも、扉ページの前でまず「河口というのは河の口/口があるなら/りょうしにゃつれる/たとえ海でも/あくびをすれば/ハァーゆったりゆったり」という唄でジャプをかませ、次に扉をめくるとドカンと左右のページから「川」「河」の巨大な文字がストレートを打ってくる。で、その絵の中にさりげなく「かわには/川という字と」「河という字がある」という文章が左右に配されているのだな。このへんの間合いが妙である。それが変におかしいのである。 絵本とは、ただの絵付きの本ではなく、絵と言葉が一体となり本というカタチで溶け合った独自の表現形態だ。内田さんはそのことを、間違いなく熟知している。
西日本新聞98/02/08
テキストファイル化妹尾良子
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