甲木善久
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コドモという切り札を使って、世の中やら文学やらマンガやらを見て、あーだ、こーだ、好き勝手に語らせてもらった当コラムも、実は、今回で最終回である。振り返ってみると、結果として、『少年H』は、ロングセラーを続けてるし、浅田次郎は直木賞をとったし、ポケモンは大ブレイクしたしで、けっこう世相とシンクロすることができたような気がしている。 コドモということに絡めて、こんなにも世の中について語れるというのは、良いことなんだか悪いことなんだかわからないけど、しかしまあ、現代がそうした時代であるということは、どうやら間違いなさそうだ。 「ガキの時代」といえばそれまでだが、それはつまり、「大人不在の時代」ということで、ノーパンしゃぶしゃぶに入れ上げる情けない元優等生が税金の管理をしているわ、追いつめられたら自殺という最も無責任な逃げに出る国会議員はいるわ、と、もはやそうした現象は枚挙にいとまがない。大人不在の世の中とあっては、伸びやかにコドモなんてできるわけないじゃないかー。 だから、これからはモラルの時代だ、と最近思う。モラルといっても、どこぞの学校の朝礼で話の下手な校長が並べ立てるおためごかしの「道徳」なんかじゃあない。カッコいい生き方、腹の据わった生き方、美意識を持った生き方をするということだ。そうした大人が増えていけば、憧れるにせよ、反発するにせよ、曲がりなりにも子供への指針が与えられるというものである。 まともな人間なんて一人もいるわけはなかろうが、せめて、公の場と、子供の前でだけは、モラルを貫き通すのが大人としての責任なのだ。 子供は、ダメな大人が嫌いである。ダメな大人を見ていると、ムカムカしてくるのである。だから、ダメな大人が多過ぎると、子供は感じることを止め、考えることを投げ出してしまう。そして、最悪の場合・・・たぶん、「キレる」のではなかろうか。
西日本新聞1998,03,29
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