じどうぶんがくひょうろん


2000/02/25

           
    
【絵本】

 『ぼくのいぬがまいごです!』(エズラ・ジャック・キーツ&パット・ッシェール=作・絵 さくまゆみこ=訳 徳間書店 1960/2000)
 最近、埋もれている古典絵本を訳出することが多い徳間の一冊。『ゆきのひ』(偕成社)のキーツ、60年の作品。
 二週間前プエリトリコからニューヨークにやってきた少年の悩みはスペイン語しかまだ話せないこと。だから、一緒にきた愛犬が迷子になったのに、どうして探していけばいいものやら。
 という設定から、物語はニューヨークに住む様々な人種の子供たちが主人公の犬捜しに加わって展開していきます。
 絵本なるわずか数十ページしかないメディアの醍醐味の一つに、「ラストシーンの幸せ」ってのがありますす。うーん、どう言えばいいのかな、「ああ、良かった」って感じさせること。そうして、気持ち良く「おしまいおしまい」とページを閉じることが出来る瞬間の幸せ、ですかね。
 これもその一つ。

『しりたがりやのちいさな魚のお話』(エルサ・ベスコフ=作・絵 石井登志子=訳 徳間書店 1933/2000)
 こちらもスエーデンの古典。
 スズキの子どものスイスイは他の大人の魚に食べられることなく、むしろ可愛がられています。ある日、大人の魚たちから聞いた海の外の世界にあこがれているスイスイは釣針に捕まり・・・。
 一方、初めて釣り上げた魚に有頂天のトーマス、家で飼おうと連れて帰るのですが・・・。
 物語はもう、まっすぐ。人間の子ども、魚の子どもを問わず、「子ども」の扱われ方、「子どもの価値」を何の迷いもなく語れた時代の作品。
 絵もまた、けれんなし。

『かようびはシャンプー』(ウーリー・オルレブ=文 ジャッキー・グライヒ=絵 もたいなつう=訳 岩波書店 1986/2000)
 先年来日した国際アンデルセン賞作家が文を担当した絵本。オルレブはゲットーの中の子どもを冷静な目で描いた作家として忘れることのできない人ですが、幼年絵本をどう描くのか?
 三歳のイタマルは火曜日が大嫌い。だって、シャンプーする日だから。何とかそれをのがれようとするのですが、もちろん駄目。その泣き声たるやすざまじく、おとうさんなどイタマルのシャンプー時間には外出してしまうほど。姉がいい案を思いつく。イタマル、丸坊主にしたらシャンプーしなくてすむかもよ。
 はてさてイタマル、どうする?

 もちろんこれは仕付け絵本ではありません。
 イタマルの最後のセリフはなかなか素敵。そして、ジャッキー・グライヒの描く家族の目がいいですね。どの表情も目がちゃんと語っています。

『でんしゃえほん』(井上洋介 ビリケン出版 2000)
 こんな電車があったらいいな、絵本。
 車輪から六本の靴を履いた足がでていて、のんびりお散歩する電車や、電線を線路にする電車。ま、なんだか見ていて楽しいわ。井上の絵をキライな人にはしょうがないけど、そうでないなら、見ながら、自分の欲しい電車を想像してもいい。
 私なんぞは、車内の手すりが生ビールサーバーなら嬉しいな、程度の想像力ですが。
 でも、やってみると、電車は電車でも、市電や路面電車になってしまうのは、やはり、電車へのノスタルジーってのが、そこにあるからかな。

【創作】

『ゴンドワナの子どもたち』(アレクシス・クロース 大倉純一郎=訳 沢田としき=絵 岩崎書店 1997/2000)
 アホウドリのお母さんも兄弟もみんな旅立ってしまったのに、「彼」だけは生まれたこの場所に留まっている。
 何故?
 「彼」は飛べなかったのだ。
 何故?
 「彼」にもわからない謎を追いながら物語は進んでいきます。その種明かしをしたほうがこの物語の意味を伝えやすいのですが、うーん、やっぱり、止めておこう(別のところでは書くかも。おいおい)。
 副題に「自分をさがす旅の話」とあります。あー、またその手の話か。と、うんざりされる方も多いのでは。ただ、この作者、イラン・イラク戦争でハンガリーに逃れ、後にフィンランドに住み着き、フィンランド語でこの話を書いたということですから、この「自分捜し」は結構背景がしっかりある。だからなんでしょうが、落とし所が、「癒し」じゃなく、もっと現実めいています。そこがツボ・キモ。
 『カモメのジョナサン』と『星の王子様』が落っこちてきて、現代のアイデンティティクライシスを体験しているよーな物語。沢田としきの挿絵、過剰でなくうまく収まっている。

『りかさん』(梨木香歩 偕成社 2000)
 主人公ようこはひな祭りのプレゼントにリカちゃん人形を祖母にお願いします。でも祖母が送ってきたのはりかさんという名前の市松人形。
 で始まる物語は、このスタートの時点で「作り」が目立ちますが、それでどう読ませるかが、この作者のいつものスタイルなので、お約束として、あまり気にせずに物語世界に入っていきましょう。
 さて、りかさんには祖母からのメモが添付されています。りかさんにもちゃんと食事をあげるようにと。
 そうして、人間のように扱うりかさんは、ようこと話しはじめます。
 人形を巡るストーリーが、当然人間を巡る物語と重なって展開する物語。
 今「人形」を持ち出してくるのは、いいアンテナの感度がいい証拠。また、確固たる世界が構築されていて、安心してそこに住むことができるのは、さすが。
 ただし、価値観・モラルといったものが前面にせりだしていて、例えばここでは『西の魔女・・・』同様に祖母がそのスピーカーとなるのですが、なにやらお説教を聴かされているよう。
 でも、何かに疲れ「癒し」などを求めている人ははまるんでしょうね。
 
『ヘヴン』(遠藤淑子 白泉社 2000)
 核戦争後の近未来。男の子としかみえないマットは成長しない病気を抱えた姉との暮らしを支えるために、元軍人であるスキルを生かして職業を探す日々。
 ひょんなことから買ってしまった戦前のロボットは今では作れないハイ・クォリティで、とても正直で美少年。マットは自分の弟にするのですが、実は虫も殺せないような姿のロボットは殺人兵器として製造されたものだった。でもマットは彼と一緒に仕事を求めて・・。
 という設定で、様々な物語が展開するシリーズ。
 ここには、女に見えない主人公。彼女の姉には見えない少女のままの姉、元殺人兵器には見えない人型ロボットという、既成の枠をはみ出した「家族」が描かれている。それが奇をてらっているのでなく、普通に読めてしまうのが、もちろん作者の腕であると同時に、マンガなるメディアのいいところ。
 『ワンピース』もそうですが、マンガは今またおもしろくなってきている。

『ごんたさん、ハイお弁当!』(清水道尾 小峰書店 1999)
 お母さんは、老人にお弁当を配るボランティア。ある日、風邪をひいてしまって、兄弟は母親の代わりをかってでる。
 ということで、さまざまな老人と出会っていく物語。
 老人と出会う子ども。そこで何かを学ぶ。これは子どもの本のよくあるパターンの一つ。
 この物語の場合、そこに母親が病気という設定を活かして、男の子が毎日食事を作るシーンを挿入しています。それも活字のポイントを変えて、ちゃんとレシピが載っている。
 この辺りの工夫はおもしろいのですが、老人と子どもの関係、そこからの「学び」といったものが陳腐なのが残念。
 このマガジンで、何度も同じことを書いているのですが、「ええ話」を「ええ話」やと思って書いてもおもしろくなるわけではないのです。編集者がもっと意見言わないのかなー。
 「今」の現場を素材としていること、レシピの工夫などチャレンジしているだけにおしい。

『ビリケン』(いしかわよしき 新風社 2000)
 ビリケンさんといえば大阪人にはおなじみの神様。その来歴は通天閣で、お調べください。アメリカ製であります。映画『ビリケン』ってのもあります。これは、傑作とまではいわないまでも、なかなか見せる作品です。レンタルでどうぞ。
 さて、こちらの「ビリケン」もまた通天閣辺りの小学校が舞台。主人公のトオルの一人称で話はすすみます。彼の家は正月だろうと、クリスマスだろうと、なんであれ、お参りは通天閣のビリケンさんという、コテコテ。トオルって名前も通天閣の通からきている徹底振り。
 ならば、その辺り、コテコテ家族が語られていくのかと思えば、物語は転校生に移ります。それがまあ、髪型といいビリケンさんそっくりの男の子。二人はたちまち仲良くなり、徒競走ではダントツ学校一であったトオルよりまだ早いビリケンくん。運動会が近づき、二人はリレーの選手となり、親が花火職人であるビリケンくんがまた転校していくまでの日々。
 と物語はテンポよく進みますが、そのテンポが速すぎるというか、作者が勝手におもしろがっている感は否めません。それは、「あとがき」で「『ビリケン』は僕がこれまでに書いたお話の中で、一番大好きで一番大切にしているお話です」からもうかがえます。もう1歩引いたところから、じっくり練り上げて欲しい。
 大阪ものとしては最近では『ビートキッズ』(風野潮 講談社)がありますが、同じように語られる文体の、でもどこが違っているのか、を考えてみてもおもしろいでしょう。
 
【評論他】
『子どもデータバンク』(村山士郎 桐書房 2000)
 副題に「激変する日本の子ども」という脅し文句があって、帯には「さびしくムカつきながら恐竜化していく子どもたち」。
 いったい何事か!と買ってしまいました。
 中味は、様々な研究所による子どものデータをまとめたもので、「子ども白書」のデーター判。ちょっと使うのにはなかなか便利な商品です。
 おもしろいのは村山士郎なる大東文化大の教員による解説。「まえがき」から笑えます。
 九歳の子の50メートル走は87年から98年の11年のあいだに0.4秒遅くなっているんだそうです。
 これはふむふむ、やはりな、と納得。が、
「単純化して比較すれば、(中略)98年の九歳児がゴールするときに、(中略)266年後には50メートルまるまる遅れる計算になります」。
 ・・・・・、絶句。
 いくらなんでも、単純化し過ぎてやしませんか?読者ナメてるのか、本気でそう思っておられるのかはしらないが。ま、帯の脅しのノリとは似ています。
 この冊子はデータだけ使うのが吉。そうして疲れたとき、村山氏の解説で笑って頭をほぐす。が、正解。

『数字で読む日本人』(溝口昌吾 自由国民社 2000)
 これもまたデータ本。別に子どもだけのデータではないですが、使えます。こっちの「まえがき」は、「ひとつだけ、ご注意もうしあげたい。数字を妄信しないでいただきたい、ということである。数字にはそれを生み出した背景が必ずある」とあり、安心。
 実はこれ、赤木かん子さんから戴いた本。県別図書館の一人辺りの貸し出し数のランキングで、一位東京、二位滋賀はわかるけど、三位香川、四位栃木はなんでだろう? との問いかけがありました。私もわからない。香川や栃木では何か有効な図書館利用システムがあるのかしら? あるなら知りたい。ご存知の方、教えてください。