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【絵本】
『うさぎ、うさぎ、どこいくの?』(ピーター・マッカティ:作・絵 多賀京子:訳 徳間書店 1999/2000)
まず、表紙の地が銀色で、クラクラ。
「ちいさなうさぎは、あるきはじめた。いかなきゃならない ところが あるんだ」
で始まる、うさぎの歩みは、どこへ向かっているのか?
ただただ、うさぎを突き動かしている何かに、このシンプルで幻想的な絵は、私たちをも引きつけてしまう。
魔法です。これは。
『なぞなぞのへや』(なぞなぞ:石津ちひろ 絵:高林麻里 フレーベル館 2000)
見開き左に10個ずつなぞなぞがあり、右の絵に答えが描かれている、という趣向。
それはいいのですが、このなぞなぞ、私がバカだからでしょうが、判らないのが多い。しかも答えが描かれている絵のタッチがメリハリの効いたタイプではないので、これもまたよく判らない。
「しらないうちに、ランプが こっそり かくれてる。さて いったい なあに?」で、答えが、
「トランプ」で、見ると確かに子ども部屋の床にトランプがあるんですけど・・・。
「さんぽの とちゅう この かおりに であったら はるが そこまで きている しょうこ あかむらさきに しろい いろ。さて いったい なあに?」で答えは「じんちょうげ」。
じんちょうげなんか知ってるかなー。知っていたとしても、この絵からは探せないと思うけどなー。
『きつねの ぼんおどり』(山下明生:文 宇野亜喜良:画 解放出版社 2000)
盆踊りの幻惑性に魅せられた山下が、信太のきつね伝説をベースに書き上げた話に、宇野が絵を付けた作品。
夏、おじいちゃんのいなかに遊びにいった「ぼく」は、きつねたちの盆踊りに誘われ・・・。
なんて説明してもしょーがない。番踊りと一緒で、こいつは参加しないと(読まないと)おもしろさは判らない。
宇野の画は、「踊り」という課題を得て、立体的に動き始める。フシギ世界で。そして、そこにより一層のフシギを持ち込んでいる。
子どもの頃の盆踊りのあの、どこか宙に浮いたような感じが、思い出されました。
『オラウーちゃん』(工藤ノリコ ぶんけい 2000)
オウラーちゃんはオランウータンの王子さま。
今日は大事な日だからお城にいなさいと王様とおきさきさまに言われたオラウー。
でも、そう言われると出かけたくなるのが人情(?)。
もぐらの巣を見つけだし、かれらと一緒に地下から町へ。
あわてた見張り番のカエルたち。町へ乗り出すのですが、果たして見つかるかな?
うーん、あんまし素直すぎないか、この展開は? もう一ひねりください!
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【創作】
『おとぎばなしはだいきらい』(ジャクリーヌ・ウィルソン 稲岡和美:訳 偕成社 1991/200)
名前:トレーシー・ビーカー。
年齢:十才と二ヶ月。
誕生日:五月八日。
と、「わたしのお話ノート・自分のこと」から始まる物語は、トレーシー・ビーカーがトレーシー・ビーカーを語る形式で進みます。
家族構成:ママとパパはいない。
ママの新しい夫が、小さな頃のトレーシーを殴ったので、彼女は今施設にいる。「小さい頃の」、そして今は十才。だから、結局ママだって迎えにきてはいないのだけど、トレーシーはママは忙しいからだと、思っている(ようにしている)。もうすぐ迎えに来てくれてここを出ていくから、学校でもあんまり友達をつくらないでいる(ようにしている)。いろんな子どもが、貰われてい
くけど、彼女はそうならない。
ある日、ソーシャルワーカーのエレインにもらったノートに、これを書いている。
彼女は自分が平気で嘘をつくことを認めている。そして、だから、このノートにだって、嘘を書く。「あたし。ときどきうそをつくっていったでしょう?
でも、そのほうがすっとおもしろくなるじゃない。ほんとうのことなんか書いてどうなるの?」というわけ。
でも、ということは、「そのほうがすっとおもしろくなるじゃない。ほんとうのことなんか書いてどうなるの?」だって、嘘かもしれない。
「気持ち」を生き延びさせるために、トレーシーはこんな風に生きている。とても扱いにくい子どもだけど、憎たらしい子どもだけど、愛しい。そこが良く書けていて感心。
そんな施設に、「小説家」のカムが取材にやってくる。カムがママになってくれたら・・・。
さてさて、そんなに巧くいきますかどうか?
『のはらクラブのこどもたち』(たかどのほうこ 理論社 2000)
絵本と物語の間くらいの絵物語。
のはらのすきなおばさん。いいことを思いつく。そうだ子どもたちを集めて、のはらを散歩しよう!
さっそくポスターで子どもを募集。
「のはらを あるきながら 花や草の話をしましょう」。
次の日、待ち合わせ場所、待ち合わせ時間に七人の子どもが。それぞれがみつけた花や草をめぐって、楽しいエピソードが語られます。
でも、この子たちって、どこの誰?
いやいや、懐かしい草花。今の子どもたちも、この本から、興味を持って、野原を探しに行ってくれたらいいんだけど。
『ベルト』(ガリラ・ロンフェデル・アミット:作 母袋夏生:訳 さ・え・ら書房 1995/2000)
『心の国境をこえて』『もちろん返事を待ってます』(いずれも、母袋夏生:訳 さ・え・ら書房)と、社会性のある作品が紹介されているイスラエルの作家アミット最新訳です。
『ベルト』はもっとストレートな原題(英語題?)NOT WITH A BELT.PLEASE で、テーマのおおよその察しがつきます。
エリート官僚の父、デザイナーの母を持つ「ぼく」エレズは13才。良き家庭の子であり、テニスも巧く、クラスでもうらやましがられる存在。人気者でもあります。
ところが、実はエレズの父は、彼に暴力を振るうのでした。彼のためだといって。
見て見ぬフリをする母親、やっかいごとに巻きこまれたくない姉、ようやく告白しても信用してくれない友人。そしてやっかいなことに、父親はその暴力を正当化することに長けているのです。
アミットは今回も「家庭内暴力」というテーマに真っ向から挑んでいます。
『えっちゃんの戦争』(岸川悦子:作 ぶんけい 2000)
これは岸川が1982年に出したデビュー作を、版元を変えて一部加筆に、出版したもの。
パルピンで家族と暮らしているえっちゃんの、満州暮らしから、敗戦、帰国までを描いています。
えっちゃんは、大人になったら20人も子どもを産んで、お国のために尽くしたいと思っている、普通の軍国少女です。お隣のたっちんとは大の仲良し。
彼らは無邪気に遊びますが、中国人の子どもと遊んで、年上の子どもに怒られたり・・・。
そして、敗戦。中国人の暴徒をおそれる両親。ソビエト軍の駐屯。父親の連行。えっちゃんは家計を助けるために、あめ売りの商売もします。
父親がやっと解放され、いよいよ日本に変える船に乗りこむのですが・・・。
主人公の名前がえっちゃんであるとおり、これは岸川の自伝的作品なのですが、描かれている設定の中味に比べて、ヴォリュームがいかにも少な過ぎる。もっと、書くことは沢山あるのでは? その沢山の中から岸川がチョイスしたエピソードがこれらであるということなのでしょうけれど、「こんなに元気な、かわいいえっちゃんたちを、泣かせるようなせんそうを、もう、にどとしてはいけないと、強く強く思いました。」などという使い古されたフレーズを書きつけてしまうようなチョイスでは、常套の物語にしかならないのは必然です。
いいエピソードもあるんですよ。たっちんのお母さんの出産のために、乏しい水を産湯に生かそうと、こっそりと、お隣との壁をブチ開けようとするえっちゃんとかね。加筆作品であるだけに、もったいない。
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【評論他】
『宮沢賢治 イーハトーヴへの切符』(松田司郎 光村推古書院 2000)
賢治への情熱は様々な人が持ち、様々な解釈があり、様々な本が出ていることはご存知のとおりです。
この本もまた、そうしたももの一冊。沢山の本が出ているということは、タイトルもまた膨大であり、ですから『宮沢賢治 イーハトーヴへの切符』なるタイトルから、この本をイメージすることは難しいでしょう。
にもかかわらず、この小さな書物が印象深く、ある種の感動を生んでいるのは、松田司郎の賢治への情熱が、膨大な写真を撮らせ(写真家ではありません)、その15年のコレクションの中から厳選された、松田のイマージュとしてのイーハトーヴの風景が、ここに確かにあるからです。どの写真も風景のキャラが立っており、美しい。賢治の言葉の一節を添えられたそれらの写真たちは、賢治に従しておらず、前面にせり出してきています。
私は賢治を自分の興味の中に入れていない人間ですが、それでも、このささやかにある写真集には、心動かされたのです。
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