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【絵本】
『ダンスをする魚の なぜなぜなぜ?』(かこ さとし 小峰書店2000)
前作、『ヒガンバナのひみつ』も傑作でしたが、そのパワーはまだまだ持続しています。イトヨという魚の生態を描いている、
といえば教育絵本みたいですが、そう思ってもいいのですが、「なぜ」から「なぜ」へと地べたをしっかり踏みしめて、「イトヨ」という「生き物」に迫る姿勢からは、イトヨを越えて、全ての生き物へと視線を延ばす力を与えられます。
『みんなあかちゃんだった』(鈴木まもる 小峰書店2000)
母体から出て、へその緒を切ってもらって、それから3才までの、赤子のすること、起こったことをこと細かく描いたもの。本当かどうかはわかりませんが、作者が我が子を観察した記録アルバムのような仕上がり。フツー、同僚やともだちから「我が子」の「カワイイ」アルバムを見せられても、その親ばか振りに、どう反応していいか困ってしまうことが多いですが、そうした雰囲気は全くなし。ただの「生き物」として赤子の生態を見ることができます。それがとてもおもしろい!
にもかかわらず、帯が「これからお母さんになるあなたにおすすめします」なのは残念。なんで、お父さんはなしなの? これの作者はお父さんですよ。
『あの子』(ひぐちともこ 解放出版社)
絵本というメディアを巧く使った作品。
表紙には白地に子どもの顔。「あの子」。扉を開くと、あの子の顔の周りに言葉が浮かんでいます。
「なー。なー。なー。きいてんけどな、」
何人かの子どもの顔があって、
「どしたん。どしたん。どしたん。」
「あの子といっしょに、おらんほうがええで。」
・・・・。
絵本は、「あの子」がクラスで阻害されていくさまを、淡々と描いていきます。その押さえの効いた言葉と絵が、その深刻さを浮かび上がらせていきます。
おすすめです。
『アリストピア』(天沼春樹 大竹茂夫:画 パロル舎 2000)
タイトル通りの絵本。アリスのパロディではなく、その世界を天沼と大竹が、よりいっそうひねっていった作品。
私は、絵本の原画展って興味がありません。というか、そんなもの何で求められるかがよくわからない。絵本は、絵本として印刷された絵でナンボ、だと思うので。
その意味で、この『アリストピア』、とてもおいしい。ひょっとしたら大竹の思っている発色ではないかもしれないけれど、私は、これ、いいと思う。「リアル」な「フシギ」が生々しい。
『おさんぽ さえこちゃん』(伊東美貴 偕成社 2000)
さえこちゃんとおばあちゃんと犬のペロは仲良しで、散歩が大好き。
公園にでかけ、しりとりを始めます。絵の中をよーく探せば、しりとりの答えが隠れている、という、「お探し絵本」の一つ。
ちょっと簡単すぎるのが難点。
それより、この絵本作家、絵は無国籍で、奥行きもありませんが、その軽さがいい味を出してます。描く物さえ見つかれば、おもしろい作品をものにできると思いますよ。
『うちのペットはドラゴン』(マーガレット・マーヒー:文 ヘレン・オクセンバリー:絵 こやまなおこ:訳 徳間書店 1969/2000)
ベルサーキ家のおとうさんは、家族から堅物の「わからんちん」だと、いちも言われています。だもんで、息子の誕生日、その評価を翻そうと張り切って買ってきたプレゼントが、ドラゴン・・・。
息子のオーランドはもちろん大喜びで、籠に入れて育てるのですが、何しろ、ほら、相手はドラゴンだから、籠もだんだん大きくなり、大きいだけではすまなくなり、近所からは苦情がでるし、とうとうドラゴンに乗ってお引っ越しとあいなりますが。
マーヒーとオクセンバリー。がっぷり四つ。
ストーリー絵本の見本です。
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【創作】
『羽ががはえたら』(ウーリー・オルレブ 母袋夏生:訳 下田昌克:絵 小峰書店 2000)
短編集。
表題作は双子の男の子の話。当然のごとく彼らは常にライバル。父親が、手羽先を食べるとやがて羽が生えてくるなんていったもんだから、争って食べる。でも、手羽先にも左右があるし、両方バランスよく食べないと、なんて、こまかいリアリティがおかしい。短編は特にオチは書けないので、あれですが、決まってます。あと、猫好きの父と息子対、猫嫌いで犬好きのおかあさん。子猫を飼った息子は果たしてどうするのか?(「ぼくの猫」) ラツマンさんとその守をしているノアさん。ラツマンさんはいつもかけっこをしていて、それに手をやいたノアさん。暑い夏、一計を思いつく。ノアさんの言うことをなんでも聞くラツマンさんに、冬だと言ったのだ。ラツマンさんは山ほど着込んでかけっこをする。そうしたら、疲れて走るのを止めるだろうとノアさん。ところが・・・・。(「かけっこ」)。
短編は、おちの付け方で、作者が結構露わになるものですが、オルレブのユーモアと、そのユーモアを培った体験と、それをとらえる視線の豊かさを堪能しました。
『空へつづく神話』(富安陽子 偕成社 2000)
神話・伝説を使って、今の時代を描く。
これは、ファンタジーという方法とは何か? と考えれば、しごく当然の行為の一つでしょう。それをハイ・ファンタジーのようにレベルを変えて行うか、もろ今を舞台にするかの違いがあっても。
この物語は、後者です。
理子は、神様なんて好きじゃない。だって、この前だって、ヒマワリがらのワンピースが欲しかったのに、結局またおねえちゃんおおさがりになってしまった。神様なんて不公平だ。
そんなことばっか考えている理子は、付いてない。読書の時間にずっと「宇宙大百科」って本を見つめていたら、先生に叱られてしまった。図鑑を眺めているのは本当の読書じゃないって。
だもんだから、図書室の奥へ潜り込む。さわってもいないのに古い本が棚から床に落ちる。と、窓になにやら白いひげもじゃの太った人があらわれ、「用はなんじゃ?」。
よ、呼んでないのに。だいち誰なんだこの人は。
こうして理子は「神様」と出会う。彼は記憶を失っていて、自分の名前も思い出せない。それになんのためにここに使わされたにかも。とりあえず、理子の部屋に白ヘビになって住まうことに。
理子は、図書室で落ちた古い本を借りるのですが、それはこの町の郷土史。それも、50年ほども前のもの。なんでそんなものが、学校の図書室にあったのかもわからない。しかし手がかりはそれしかなく、調べることに。古い郷土史を調べ始めた理子に、先生はうれしがり、協力もしてくれるのだが・・・。
この物語、「津雲」という町の歴史がしだいに「今」と交錯していき、やがて思いも掛けなかった謎が明らかになってくるのですが、それがちゃんと、「今」の問題につながっている、作者の腕はさすが。
広瀬弦の絵ともピタリと決まっています。
おすすめ。
『宇宙人が来た!』(ゲイル・ゴーティエ:作 ないとうふみこ:訳 土屋富士夫:絵 徳間書店 1997/2000)
ある日、近所に引っ越ししてきた家の兄弟が遊びにくることになっていた。ぼくはそいつらとは会ったこともなにけど、ママ同士が知り合いになって、そういうことになった。で、その日、やってきたのは宇宙人。ぼくはすぐに判ったけど、ママは例の兄弟だと勘違いしている。ぼくは何度も、かれらが宇宙人なのをママに教えるけど、ママは信じない。
さて、本当に宇宙人かというえば、どうやら本当にそうらしく、各章ごとにつぎつぎと宇宙人はぼくの家に来襲、というか、訪問してくる。その誰も、ママはもちろん信じない。ぼくだって、なんでぼくの家にばっか彼らが来るのかわからない。が、判った! あの、ママお得意の、そしてぼくらが大嫌いな、ふすま入りのクッキーがお目当てなんだ。あんなまずいものを好きだなんて、宇宙人ってのは!
はい、ほんとうに、だから宇宙人の話なんですが、その宇宙人たちが、子どもに見えてしまったりするところがみそ。
軽快なコメディ。
『傷つかずになんて生きられない 16歳・繭の物語』(ますいさくら ぽぷら 2000)
「100万部売れないと部署解散 出版業界も『ASAYAN』方式!?」 (略)ここには「100万部まであと何部」が表示され、数字は毎日更新される。かなり高いハードルを設定し、目標に向かい努力する過程を見せるのは人気テレビ番組『ASAYAN』や『電波少年』に通じる方式である。テレビでモーニング娘。を応援するように、本も応援してほしいというわけだ。・・・
という記事(日経BP社『日経エンタテインメント!』9月号)のような出版部(http://www.dai3hensyu.com/)から出た書物。『十七歳 』(井上路望・これはまだ第三編集部でない時期に出された)。『生きてます、15歳。』(井上美由紀)と、年齢が押し出されています。
この書物はまた、著者自身による(たぶん)「繭の部屋」(http://www.mayu-room.com/)と連動し、いわば書物版ブレアウィッチ・プロジェクト。
自伝のようなのですが、「物語」にもなっているよう。そうしたあいまいさも含めて、「癒し」系です。
「高校一年生の「繭」の父親は神奈川の県会議員。そのため両親は、選挙資金の工面や支持者の獲得に奔走し、世間体をなにより重視する。そんな環境のなかで、兄は家庭内暴力に走り、繭は居場所を失っていく。傷つきながらも出口を求めて激しく生き抜く著者の、ピュアで切ない青春実話小説。」「「学校の裏庭に放火した」という一文から始まるこの物語は、著者自身の少女時代をもとに書かれている。くりかえされる暴力の描写や、不安定な心を抱える「繭」のセリフは、痛々しいほどリアルだ。こみあげる憎しみ、羨望、やり場のない愛情。そんな心の揺れ動きを伝えるスピード感に満ちた文章は、体験者のみが語れる強さをもつ。悲惨な場面の連続なのに、読み終わって非常に救われた気持ちになるのは、「繭」が不器用ながらも、自分の力で明日を切りひらいていくことをやめないからだろう。新しい才能の誕生を感じさせる作品だ。」編集部より(編集担当:斉藤) http://www.dai3hensyu.com/wadai/wadai_04.html
フィクションなのか、そうでないかのあいまいさは、この作品の弱さ。もし、フィクション(もちろんそれが自伝的要素によって書かれてもかまわない)として見るなら、冗漫です。編集力でまだまだヴァージョン・アップは可能。それがこの程度でいけているのは、「実話小説」というところに寄りかかっているからでしょう。せっかくの素材がおしい。
『波紋』(リンザー 上田真而子訳 岩波書店 1940/2000)
原作は1940年。60年前。リンザー28歳の時に書いた、自伝的作品。ということで、私たちはそこに、20世紀初頭の子どもの視線を、ここで体験することとなります。
時は第一次世界大戦の真っ最中、父親が戦地にいった私は、大叔父が神父をする、僧院に預けられる。そこでの、私の日々が描かれているのだけれど、その濃密なこと。これはじっくり読んで欲しい物語なので、具体的なことは書きません。ただ、その濃密とは、様々な事件が起こって、といったものではなく、日常の隅々までもがマニュアル化もシステム化もされていない(本当はそうでもないのでしょうが)、感受するに値するものであることです。うーん、言い方がちょと違うな。
この「私」にとって、「世界」が喜び、恐怖、畏敬、憎悪そうした反応を引き起こしてくれるものとして、ある。です。
『ネコのミヌース』(アニー・M・G・シュミット 西村由美:訳 徳間書店 1970/2000)
ティペは新聞記者ですが、気が小さくてスクープなんてちっともとってきません。書くのはいつも、大好きな猫のことばかり。とうとう業を煮やしたデスクは、猫以外の記事を書いてこないとクビ! と宣言。
さあ困った。
ティペは犬に追いかけられて木に登り降りられない女性と出会う。ミヌースと名乗る彼女は、自分は元ネコだといいます。
行き場もなく、ティペの家に住まわせて貰うことになったミヌースは、近所のネコたちから情報を聞き出し・・・。
ネコは人間になったということに一応ティペは驚くけれど、その後はそれを受け入れて、物語も気にせず進んでいきます。この辺りのノリがまずおもしろい。
スオーリーはとても安定していて、こうあって欲しいなと思うように運ばれていきます。これって、案外難しい。ヘタすると、つまらない作品になってしまいますから。でも『ネコの』は、読者の思いをちゃんと理解して運んで行くので、心地いいです。
カール・ホランダーの絵も、挿し絵からはみ出さず、しかし印象深い。
作者も画家も、本物のプロですね。
『神秘の短剣』(フィリップ・プルマン 大久保寛一:訳 新潮社 1997/2000)
『黄金の羅針盤』の続編。今回は、パラレルワールドの、私たちの側の世界と、もう一つ別の世界、子ども以外はモンスターに精気を吸われてしまう、恐ろしい世界が出てきます。これで、3つの世界が描かれたわけです。
私たちの世界の主人公はウィル。彼の母親は不安症気味ですが、あるものを奪おうと怪しげな男たちが家にやってくるようになり、母親を安全な場所に隠したウィルはそのもの(実は北極探検で姿を消した父親からの手紙)を守るために、探りにきた男の一人を殺してしまう。逃走するウィルはあるこことで、別世界への入り口を見つけ、そこに逃げ込むが、人は誰もいない。ようやく見つけた女の子は「ダイモン」という守護を連れている。もちろんウィルの世界にはそんなものはいない。彼女もまた別の世界からやってきたのだという、名前はライラ。そう、『黄金の羅針盤』の主人公。
物語はやがて、ウィルの父親がライラの世界で・・・。
小気味よいテンポは相変わらずで、飽きさせません。謎も少しずつ明らかになってきているし、新たな謎もちゃんとある。
あー、しかし、こーゆーのを読んでいると、ますますドラクエがしたくなる!
『アーサー王物語』(ジェイムス・ノウルズ:作 金原瑞人:訳 佐竹美保:絵 偕成社文庫 2000)
『アーサー王物語』はこの世に山ほどあり、今の子どもは知りませんが、昔の子どもはみんな誰かのヴァージョンで呼んだ記憶があるはず。
今度のは、読み手として目利きの金原が、かっこいい『アーサー王物語』として選んで訳出したもの。最新訳(原作は古いですが)ですから、言葉の活きももちろんいい。
この物語の中に、RPGの元ネタをたくさん探し当てることができるでしょう。
個人的好みとして「トリスタンとイゾルデ」が割愛されたのはチト痛いが、ま、訳者が言うとおり、本編からはずれた話なのでいたしかたなしか。
この金原訳『アーサー王物語』、定番になるか?
佐竹美保の仕事も相変わらずよい。
『クリーニングやさんの ふしぎなカレンダー』(伊藤充子 関口シュン:絵 偕成社 2000)
新人のデビュー作。
「並木クリーニング店」はおじさん一人のお店。乾燥機もないから、物干し場だけが頼り。ある年の始め、おじさんは布製の大きなカレンダーを拾います。きれいに洗って、お店の壁に掛ける。そうしてら、落とした誰かが気付くかもしれません。
そうして、物語は毎月、不思議なお客さんが訪れ、季節が流れていくさまを描いています。
あまんきみこ世界を彷彿とさせる。
巧いです。最後までちゃんと収まっています。
あとは、どんなモチーフを見つけ、伊藤充子世界を創っていけるかでしょう。実はこのデビュー作の弱い部分もそこにあるのです。
『たんてい気分で妖怪と』(斎藤洋 フレーベル館 2000)
あらら、またまた斉藤洋の新シリーズ「ムサシの妖怪パスポート」がスタート。
初回は、登場人物の紹介といった面もち。妖怪世界に連れていかれたムサシは、そこで起こっている事件の解決を頼まれる。もちろん、見事解決。そして、妖怪の王子ドンタク殿下を修行のために連れ帰ることとなります。
ですから次回からは、この二人が様々な事件を解決していくのでしょう。
妖怪世界の住人は、もうポケモンなんかでも出てきそうな(出てきている)キャラにしたててあって、親しみやすいでしょうね。
『おしえて、おじいちゃん』(金森三千雄 渡辺有一:絵 ぶんけい 2000)
ボケが始まったおじいちゃんとぼくとの心の交流。
それはいいけれど、あとがきが余分。物語の中で書きたいこと書けていると作者が思っているなら、これはいらないはず。自分で自作を解説することが悪いとは思いませんが、それって、「あとがき」でやることではないでしょう? |
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