じどうぶんがくひょうろん


2000/09/25
           
     
    
【絵本】
『くまって、いいにおい』(ゆもとかずみ:文 ほりかわりまこ:絵 徳間書店 2000)
 他の動物にとってはいいにおいのするくまは皆に慕われ、良き相談相手になっています。
でも、他の人の気持ちを聞かさせるだけで、自分のことは誰もわかってくれない。
 そこでくまはキツネの作ったにおいの消える薬を飲み、やっと誰も来なくなる。静かな日々。あー、幸せ。でも・・・。
 この絵本は、変えることのできないにおいを中心に置くことで、理屈や倫理を越えた「気持」を描きだす。それは「自我」のもっと奥にある彼自身であり、と同時に彼の一番表層にいつも漂うものである。それこそを確かなものだと伝える物語は、あたたかいと同時に、どこかほろ苦くもある。
 大人の方がこの気持ちわかるかな?

『海をかっとばせ』(山下明生:作 杉浦範茂:絵 偕成社 2000)
 このコンビによる、「少年と海のファンタジー」シリーズ二作目。
 今年から野球部に入ったワタルは、まだベンチウォーマー。なんとかレギュラーになりたいと、秘密特訓。海辺で素振り百回することに。
 という前提で、絵本はスタート。ワタルが海に向かって素振りのシーン。
 海に向かってだから、海こそがワタルにとって対戦チームです。絵はページを繰るごとに構成が変わり、荒荒しい海とワタルの緊張感が良く出ています。
 と、海の中から白い帽子の男の子があらわれて練習相手となってくれるという。この辺りの展開は予想の範囲ですが、そのことよりむしろ、海とワタルの、練習とはいえ、闘いぶり、その絵のリズムを楽しみたい。

『がまくん かろくん』(馬場のぼる こぐま社 2000)
 がまがえるのかろくんは、泳げない。そこで、友達はいろいろアイデアをだしあって、なんとかかろくんを泳げるようにしようと・・・。
 何の説明も不要。馬場のぼるの世界が広がっているのみ。

『まーくん だいすき』(木村祐一 偕成社 2000)
 木村のしかけ絵本シリーズ18作。シリーズの絵は黒井健やエム・ナマエなど色んな人が担当していますが、今回は自身で。
 まーくんは部屋でサッカーをしていて、テーブルのおちゃわんを割ってしまった。押入れに隠れるまーくん。そこへ家族がやってきて・・・。
 ページを上下に切り分けて、右の画面で状況の変化を、左に画面でまーくんの顔の変化をたどれる仕掛けになっています。
 もっともシンプルなしかけなんですが、それだけに、ストーリ運びは難しい。木村は、あくまで、「家族」が「居間」で、という小さな枠にこだわることで、暖かい絵本に仕上げました。
 さすがに、うまいなー。

『ピンクのいる山』(村上康成 徳間書店 2000)
 アウトドアな村上の、アウトドアな絵本。
 といって、よくありがちな、自然賛美+癒しではありません。
 ピンクとは、渓流にいるヤマメ。尾びれがピンクなんですね。で、今回は(あ、これシリーズです)、そのピンクと仲間が川面の虫を捕まえているシーンから始まって、川の外、川辺では子どもとおじいちゃんが釣りをしていて、ピンクの仲間が釣り上げられて、場面は人間側に切り替わり、当然そのヤマメは焼かれて、食べられ、骨になって・・・。またピンクたちのシーン。
 ていう風に、自然と人間の風景が切り結んでいくんです。
 私たちは、ヤマメのピンクの側でも、子どもとおじいちゃんの側でもなく、ましてや、自然賛美でもなく、ただただ、その時間に参加するしかない。
 そこが、いい。

『きょうりゅう きょうりゅう』(バイロン・バートン なかがわちひろ:訳 徳間書店 2000)
 バートンの絵本をどう賛美すればいいのだろう?
 アートとしての絵本や、主張の際立った絵本、絵のリリカルな絵本、そうしたものと、この作家を決定的に隔てるものは?
 色使いもタッチも手法もシンプルではある。でも、このシンプルさには、ちょっとマネのできないアンバランスがある。どのページを眺めても、そこには日常感覚からのズレのようなものがある。「子どもが描くような絵」のようでいて、そうではありえない世界。

『つえつきばあさん』(スズキコージ ビリケン出版 2000)
 例外はあるけれど、基本的には絵本にも文章がある。そして、その文字は、言葉を伝えると同時に、絵でもある。この絵本は、絵とその字(フォント)のデザインが巧く調和している。絵本である限り当たり前のことのはずだけど、それを忘れているものも案外多いので、一言書いておきました。
 この絵本、シンメトリーなストーリー構成になっています。牛小屋から出てきたつえつきばあさんが、山道を上り、やぎ小屋に入り、たくさんのつえつきばあさんがそこから出て来、彼女達に今度は楽団が加わり・・・、で物語のクライマックス、つえつきばあさんたちのお祭りから今度は、楽団が去り、一人のつえつきばあさんが牛小屋に戻って終わる。
 その気持ちのよいストーリー構成と、スズキコージによる「つえつきばあさん」の怪しげな姿がぶつかり合い、忘れがたい印象を残します。

『ねずみくんと ホットケーキ』(なかえよしを:作 上野紀子:絵 ポプラ社 2000)
 もう、ファンにはよだれもんの、『ねずみくん』シリーズ最新作。
 なずみちゃんが、ホットケーキをつくるので、みんな食べに来ないとさそったら、ねずみくんは、ねずみちゃんがホットケーキではなくお料理をつくると誤解して、みんなを招待したものだから、こまったねずみちゃんは・・・。
 さすがに、『ねずみくんのチョッキ』のときのようなインパクトはありませんが、小さな「幸せ」をくれる展開は、あいかわらず安定しています。

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【創作】
『夏の終わりに』(サラ・デッセン おびか・ゆうこ:訳 徳間書店 1996/2000)
 両親が離婚し、母親と姉と暮らすヘイヴン、15才。ニュースショーのスポーツ解説者をやっているパパは、隣の席に座っているお天気キャスターの女の人と再婚。物語はその
結婚式に出席することになったヘイヴンたちの姿から始まります。パパの再婚相手は、ママに招待状を出すよーな人。もちろんママは欠席。
 ヘイヴンは、そんなママの心の揺れに気をつかい、パパの気持ちにも配慮し、わがままで美人な姉が自身の結婚式間際のいらいらになっているのにも付き合い、なんだか、「私って何?」状態。
 家族の歴史は姉の振った男の記憶とともにある、とヘイヴンは思っている。それほど、姉はもてた。一方の妹のヘイヴンは、自分の背が高いことを気にしているばかり。というか、気にしているを思って、気にしないでいいよと言ってくれる家族や友達がいるから、自分も気にしている。
 そんな状況の中、姉のかつてのボーイフレンド、サムラーが現れる。彼は山ほどいた姉のボーイフレンドの中で、家族全員を明るくしてくれたたった一人の男の子。姉も一番明るかったし幸せそうだった。ヘイヴンは、いまだに何故姉がサムラーをも振ったか理解できない。
 物語は、ドラマチックな展開を見せるでなく、むしろ、ごく日常的に進んでいきます。そのことで、主人公の心の動きがリアルに展開し、彼女のコンプレックスから怒りまでが割とスムーズに伝わってきます。
 一人の女の子の一夏に寄りそう気分がいい。

『川ねずみポーの花火』(北村けんじ おぼまこと:絵 小峰書店 2000)
 3年前、タケぼうの一家は、村から町へ引っ越した。でもテンコばあちゃんだけは、村がいいと残っている。彼女、金魚掬いの名人で、祭りがやってくるたび、金魚掬い屋を泣かす腕前。
 今年の夏も66匹を見事掬いあげ、いつものように川に流してやることに。と、川ネズミのポーが現れる。彼が言うには、これまでテンコばあちゃんが逃がしてやった金魚たちと一緒に川花火をお見せしたい。赤い金魚の群舞を花火にみたてるのです。
 夏、田舎、老人。「懐かしい」道具仕立て。それと対する側に子どもを配置することで、「童話」を成立させています。
 川花火というイメージが勝負。それにひきつけられれば、印象に残るでしょう。おぼまことの安定感のある画風がどこまでそこに迫れているか。
 全編カラー絵のもうすこし大型の絵本的仕上げの方がよかったのでは。
 ちょっと小さくまとまりすぎ。

『ブタをけっとばした少年』(トム・ベイカー デヴィット・ロバーツ:絵 武藤浩史:訳 新潮社 1999/2000)
 「もしこのお話を気に入ったら、大人たとには頭が変だと思われるかもしれないけれど、」「もしこのお話が気に入らなかったら、君を自分たちと同じだと思って喜ぶ大人たちがいるとおもうよ」。(大人には)「礼儀正しくして、ちょっとニッコリしなさい(略)そうすれば、やつらはコロっとだまされるんだ。」
 といった調子で始まる、悪ガキ物。ロバート・カリガリ13才。彼は人間を憎んでいた。だから人前ではいつも良い子になっていた。かれはいつもその憎しみのはけ口を探していた。そして・・・。
 ファンキー&グロテスクなUKファンタジーですが、「子ども」の気分といった部分では、共鳴するんじゃないかな。
 絵が憎憎し気で、よい。

『クレイジー』(ベンヤミン・レーブルト 平野卿子:訳 文芸春秋社 1999/2000)
 こちらは現役の十六歳が書いた、十六歳の物語。「史上最年少作家」。「ドイツのサリンジャー」。「文学のモーツァルト」。とは、帯の言葉。その帯には「著者近影」がでかでかと。ま、そうしたウリが悪いわけではない。その物語を売りたい(読ませたい)なら、これくらいのインパクトを生じさせるのは、当然。だから、私は好感。
 さて、内容はといえば、左半身に障害がある主人公は、数学が苦手でこれまで四回高校を変わっている。大学試験資格を得るには5(ドイツの成績は、1が最高で6が最低)はとらないといけないということで、今回5度目に移ってきたのは全寮制の学校。そして、物語はこの寮生活を描いているわけ。
 「ドイツのサリンジャー」ではなく、「ドイツのスーザン・ヒントン」の称号がぴたりとくるのだが、それはともかく、『アウトサイダー』にも共通する、10代の「苛立っているモラル」が、ここでは正直に描かれている。おもしろいのは、そのモラルがヒントンの『アウトサイダー』からさほど隔たっていないこと。
 主人公たちは、寮を脱走して、色々悪さもするが、「私の人生とは、はたして本当に生きるに値するのか」といった問い(悩み・腹立たしさ・不安)が繰り返し現れる。脱走からの結末はここには書かないが、彼らのまっとうなマジメさぶりは、子どもが子どもとして生きている(生きるしかない)時の、反抗そのものと間違いなく重なっているし、やはり、そこを描いただけでも、十六歳が十六歳を書いた意味がある。
 物語構成などはベタかもしれない。でも、勢いで読ませるから大丈夫。
 
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【評論他】
『絵本・子どもの本 総解説第四版』(赤木かん子 自由国民社 2000)
 三版から消えてしまった絵本・子どもの本。そうして、それ以降にら出た新しい作品の紹介。常に情報を更新し続ける書物。
 赤木のこの情熱は涸れることなく一体どこから涌き出てくるのか?
 図書館の定番常備本。