No.39 2001.03.25日号
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【絵本】 『かしこいカメのおはなし・アフリカのむかしばなし』(フランチェスカ・マーティン:作 福本友美子:訳 ポプラ社 2000/2000) イギリスの作家ですが、子ども時代を過ごしたアフリカはタンザニアの昔話を元に描いた絵本。 暴れん坊というか、やんちゃというか、とにかく困ったゾウとカバ。 小動物たちはこの二人(?)をなんとかしようと考え、カメのアイデアを採用することに。 どこの国(文化ですね、正確には)にもある昔話の知恵(それは決して正義とか、モラルには近付かないものです)物語。読んでほしいのでネタは書きません。 まあ、その絵のイギリスっぽくないこと。暑いというか濃いというか、めまいとまではいきませんが、そのタッチはチェックしてもよいレベルです(ひこ)。 【創作】 『東京タブロイド 新都疾る少年記者』(水城正太郎:作 しのざきあきら:イラスト 富士見書房 2001) 富士見ミステリー文庫の書き下ろし作品。 昭和29年。東京。北海道から15歳の男の子・天瑞遊馬が上京してくる。東京社会新聞社に入社が決まったからだ。しかし、その新聞社はオカルトをネタにしたタブロイド。オカルトは、科学的合理精神の持ち主たる遊馬の最も忌み嫌う思考法であった。折りしも、世間では吸血鬼の仕業だと噂される怪事件が起きており、真相を探るべく取材を開始する。やがて、猟奇王と名乗る得体の知れない人物が現れ、事件は混迷の度合いを深めていく。 昭和29年の東京にオカルトな人たちという組み合せが絶妙。現代を舞台に電波系な人たちを描くとしたら、こうはいかない。それにしても、「昭和29年の東京」なんて知らないのに、なんとなく懐かしく思えてくるから不思議。これも計算のうちなのでしょうね。(目黒) 『詩人の夢』(松村栄子 角川春樹事務所 2001) 以前に紹介した『紫の砂漠』の続編がハルキ文庫から書き下ろしで出ました。 紫の砂漠で世界の起源の一端を解き明かしたシェプシは、知識を管理する書記の町で半ば軟禁されている。詩人として世界を旅することを望んでいるが、書記として生きることを余儀なくされているのだ。しかし、隕石の落下が世界を変えた。「聞く神」・「告げる神」・「見守る神」のパワーバランスが崩れ、権力争いから戦乱が勃発してしまう…。 ファンタジーというよりSFに近い。荻原規子の「西の善き魔女」シリーズ(中央公論新社)の世界観がお好きな人はどうぞ。それにしても、「真実の恋」を諦めているシェプシが痛ましい(この世界では誰もが必ず「真実の恋」に出会い運命の伴侶を得る)。「真実の恋」というイデオロギーがいかに残酷なのかが判りますね。(目黒) 『ブギーポップ・パラドックス ハートレス・レッド』(上遠野浩平:作 緒方剛志:イラスト メディアワークス 2001) 「ブギーポップ」シリーズの最新作。電撃文庫です。 九連内朱巳は小学生のときに、統和機構という組織に拉致される。統和機構は、特殊な能力を開花させつつある進化体のサンプルを集めている世界的規模の組織である。借金で首が回らなくなり、夜逃げした両親から逃げ出した先で、朱巳は組織に目をつけられる。借金取りから身を守るために、ある暗示をかけたところ、それが能力として認定されたのだ。その能力とは、他人の感情に「鍵」をかけるという特殊なものであった。それ以降、朱巳は能力者のフリをして組織のメンバーとして活動することを余儀なくされる…。 とりあえず、作品のプロローグの出来はシリーズ最高かと。事件そのものは大したことがないのだけれど。ブギーポップ(シリーズの主人公。事件の幕引き役)は事件の最期に立ち会うだけだし。朱巳が借金取り相手に「鍵」をかけ、組織からの使者ミセス・ロビンソンの前で虚勢を張るプロローグは、まさしくサスペンス。誰か映像にしてくれないかな。統和機構は、「嘘」を貫き通す彼女の意志の強靭さを「能力」として認めたのかも知れませんね。意外なキャラが再登場するなど、サービス精神旺盛なところもまた良し。(目黒) 『魔性の森』(柿沼瑛子:作 安曇もか:イラスト 徳間書店 2001) 徳間デュアル文庫。 航空機墜落事故で家族を失ったのは、康生が7歳のとき。奇跡的に生還した康生だったが、不可解な記憶に悩まされている。事故直後、康生は幼い男の子を連れ歩いており、それは事故で死んだはずの弟以外ではあり得ないからだ。高三に進級する直前の春休み、康生の前に1人の新入生が現れる。「やっちゃん、ぼくのこと覚えてないの?」と口にする新入生は、死んだはずの弟なのか。やがて、周囲で不可解な怪奇現象が起こり始める。 キャラで楽しむことができる人にお勧め。ちょっと、ストーリは頼りないかな。ボーイズラブが描かれてる訳ではないけど、それに近い雰囲気がある。保健室の先生で人気ボーイズラブ作家(おまけに魔女)という破天荒なキャラも登場してるしね。美少年の三角関係?は見物です。イラストがまたツボにはまってます。(目黒) 『NOVEL21 少女の空間』(デュアル文庫編集部編 徳間書店 2001) 前回紹介した『少年の時間』の姉妹編。執筆者は、小林泰三・青木和・篠田真由美・大塚英志・二階堂黎人・梶尾真治の6人。巻末に、山田正紀と西澤保彦両氏の対談の後編が収録されています。あえてジャンルで区別するなら、小林・二階堂・梶尾作品はSF、その他は幻想小説といったところか。 気になったのは、「少女の空間」というテーマが貫徹されているとは言い難いところ。二階堂作品を除いて、「少女」が過去に見出されているのは偶然ではないでしょう。とりわけ、現在の時空から取り残された寒村の少女(青木)、80年代の一瞬を共に過ごした学生時代のキツネ娘(大塚)、中学生時代にタイムスリップするOL(梶尾)など、まるで「少女」が現在には存在しない幻想であるかのように扱われているからです(篠田氏が「まえがき」で言うところの「非在」としての少女)。このアンソロジーのテーマは「少女の時間」であって、「少女の空間」ではないみたい。個人的には「少女」ひいては「女の子」の「空間」をこそ読みたかった(大塚氏の戦略はリスペクトするが)。蛇足だけど、編集部による説教臭い「はじめに」は要らなかったと思う。それとも、こういうのがウケるのでしょうか。(目黒) 『Wハート』(令丈ヒロ子 講談社 2001) 由宇は名門お嬢さん中学の2年生。 彼女には由芽という双子が一緒に生まれたがすぐに死んでしまった。そのことを父から聞かされたとき由宇は、もし由芽が生きていたら、自分はとてもこんな中学に進学させてもらえなかっただろうとふと思う。 ある時通り魔におそわれた彼女が病室で目を覚ますと、側に自分そっくりな女の子が。 由芽? まさか。でも。 その子は、由宇の中にある、もう一つの心だという。優等生の由宇ができないこともどんどんする彼女。 『君の犬です』(理論社)以降、この作者はエンターテイメントであることと、「今」を描くことは乖離していないとのスタンスをはっきりととるようになっていますが、この作品もまさにそうで、とんでもない設定と、シンプルな濃い物語と、アイデンティティへの問いかけがうまく融合しています。 今後注目の作家でしょう。(ひこ) 『シカゴよりこわい町』(リチャード・ペック:作 斉藤倫子:訳 東京創元社 1998/2001) シカゴに住んでいる兄妹は、毎夏田舎の祖母の元に預けられるんですね。 この祖母がとんでもない人。 人を驚かすためならライフルをぶっ放すことも。 とんでもなさがちゃんとモラルとリンクしている辺りが読みどころ。 読んでしっかり笑える物語は今、なかなか書けませんが、これはオススメ。 ホント、こんな祖母のいる町なら、シカゴ、いやいや、ナンバより怖いです。(ひこ) 『風の王国』(倉橋燿子:作 佐竹美保:絵 ポプラ社 2001) なんだバラバラな沙也果のクラス。そこに転校してきた風子は、そのまっすぐな心でみんなをつなげて行く・・・。 といった風に、作者はここでしごくスタンダードな枠組みを用意する。風子なるネーミングも、ここに新しくユニークな物語を提示するのではなく、あくまでも予めあるそれを使用するという意志だ。 沙也果は4年生の時、クラスでシカトされた過去を持ち、故に女子のリーダー翔子の逆らえない。いや、自分がどう思っているかより、どう思われているかを優先するようになっている。 対して風子は、自分の気持ちを大切にする。理由はいたってシンプル。生きていることを大切にしたいから。 そんな風子に沙也果は惹かれ、勇気をもらっていく。 そうした変化をドラマとして後半、学芸会練習というこれまたシンプルな設定を使って描く。 繰り返すが、作者はこの物語で、新しい枠組みも設定も、そしてキャラも使っているわけではない。そうではなく、既知のものをシンプルに整理することで、この曖昧な時代にくっきりとメッセージを照らし出す。互いを理解し受け入れようとする心の温かさを。 これは、「物語」が手法を後退することでしか、何かを伝えにくい、「物語」の敗北の兆候だろうか? それとも仕切直しだろうか?(ひこ) 『スマートカント』(アーヴィン・ウェルシュ:作 風間賢二:訳 青山出版社 1994.1996/2001) 『トレインスポッティング』のアーヴィン・ウェルシュ、短編2作(っても表題作は日本では十分長編ですが)を収録。『ロズウェル・インシデント』は、異星人が地球をフーリガンによって支配させるといった、アホ気なノリで、この作家の作風の幅の広さ、じゃないな、ケミカルドラッグ作家の中に隠れている、案外古風な、ペーパーバックSF的資質を見せてくれて興味深い。一方の表題作は訳者によれば『トレインスポッティング』と近い時期に書かれたものとのことで、雰囲気は似ている。そして、「荒れた」日々、先行きの見えない日々を送る若者の姿は相変わらずリアル。その「荒れ」は失業やコンプレックスや母親が出ていたことへの喪失感や、背景の輪郭はちゃんとあり、そこが、日本の子どもや若者が抱えている問題との差を感じさせる。ここにはだから、はっきりとしたモラルもあり、ラストのオチも案外スタンダードなものだ。 「やつらがおれに対して抱く期待が、まるでバネ仕掛けの罠のようにおれのまわりを取り囲んでいる。自由でいられるのは、しばらくの間だけで、じきにしがらみでがんじがらめにされちまう。答えは動き続けることだけだ」。 真っ当でしょ。(ひこ) 【評論他】 『「教育の崩壊」という嘘』(村上龍 NHK出版 2001) 中学生1600人アンケートをもとにした、村上龍と教育関係者(藤原幸博・河上亮一・三沢直子・妙木浩之・小川洋・江川紹子・小宮由美)の対談集。 村上氏の問題設定はシンプル。曰く、「教育は崩壊しているのか」。結論から言えば、崩壊しているのは、権威による統治の仕方であって、教育そのものではないらしい。すなわち、「権威による統治」ではない仕方の教育方法が必要なのに、現実の動きが権威の強化による従来型の教育の保証に向かっているとことがアナクロなのだと言う。権威主義は、教育を権利ではなく義務として、個々人のモチベーションを不問にして強制する。対照的に、モチベーションを喚起しさえすれば、教育は義務ではなく権利として機能するはずだ。まず第一に、これだけの教育を受けなければどれだけ損をするのかを具体的に伝えることで、動機付けをする。第二に、そうならないための偏差値ならびに所得水準等のあらゆる格差に対応した教育カリキュラムの具体的なプランを提示する。学歴ならびに階層による格差が歴然としている現状にあっては、精神論ではなく、以上のようなプラグマティックなアナウンスメントが必要であると言うのが骨子。 村上氏の提案そのものに具体性が欠けている、アンケートの質問項目が曖昧など批判はあろうが、この書物自体が一つのアナウンスメントだと考えれば貴重だと思う。なぜなら、村上氏は小説家で、しかも『希望の国のエクソダス』(文藝春秋 2000)で一つの回答を具体的に示しているのだから。(目黒) |
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