2002.10.25
【絵本】
『パパーッ!』(フィリップ・コランタン:作・絵 薫くみこ:訳 ポプラ社 1995/2002)
夜中に目覚めると、隣に怪獣が眠っている!
両親を起こすけど、彼らも他の大人も全然信用してくれない。夜にお菓子を食べ過ぎたせいだって。
でもやっっぱりベッドにいるのは怪獣・・・・。
実はここまでは人間から観たら怪獣である子どものお話。彼には隣で眠っている人間の男の子が怪獣に見えているわけ。
で後半は、隣に怪獣が寝ていると男の子が、両親を起こして、と続きます。
子どもにとっての独り寝の寂しさ怖さ、をまず怪獣の子ども側から描くことで、読んでもらう子どもに安心感を与える仕掛けです。
画は装丁も含めて、とてもよい仕上がりです。人の目を引きつけます。(hico)
『メイヴィスの ふしぎな赤ちゃん』(ブロック・コール:作 ゆあさふみえ:訳 あすなろ書房 2001/2002)
これはとても濃い絵本です。
ひょっとしたら、基本的には子ども無視かな?
いや、そうではなく、作者が描きたいものを、それを届ける子どもに対して、分かってくれるはずだと思って描いている、が正解。
村ではやっかい者のメイヴィスが、ピーナッツの殻の中から見つけた赤ん坊から始まります。赤ん坊ったって、殻の中ですからそいつは青虫。
それが、メイヴィスは入れ物を変えるたび、人々にはネズミだったりコウモリに見えたり。
どうなったってメイヴィスは困った村人。
でも、彼女がピーナッツの殻で見つけたとき青虫に見えても育てていけば、天使だったとしたら?
他人(ヒト)のイメージと個人(ヒト)のそれの違い。
記憶に残ってしまう一冊です。(hico)
『ジンガくん いちばへ いく』(さく・え:ふしはらのじこ 2002 福音館書店)
自分が育てたニワトリが初めて生んだ卵。おばあしゃんがいちばで店を開いている日なので、届けるこちにしたジンガくん。一人で果たしてたどりつけるでしょうか?
かつてコンゴに暮らしていた経験を元に著者は、村やいちばを活き活きと描いています。 見開き一杯に、いちばへ出かける人々が描かれていますから、その中で小さなジンガの期待と不安が巧く伝わってきます。
ほんとうにページを繰るごとに様々な人が活写され、楽しいことこの上なし。
子どもたちに見せながら次のページを繰ると盛り上がるでしょうね。(hico)
『おおきいあかいクリフォード』(ノーマン・ブリッド:作 正木玲子:訳 ソニー・マガジンズ 1963〜85/2002)
英文併記の絵本。
7才の女の子エミリー・エリザベスと、家よりも大きく消防車よりも赤い犬、クリフォード。二人の友情の物語のはじまりが描かれています。アメリカで40年間愛されているそうです。
段取りは単純。そのクリフォードがいかに大きいか、そうしてエミリーがこの犬をどれだけ好きか。
です。
どでかい犬と仲良しって、楽しさは、小さな子どもの欲望としてよくわかるし、これはそいつを堂々と描いている。
今これ書けないですよ、やっぱり。
画はしっかりとしています。これも安心感。(hico)
『きたないよ!』(フランチェスコ・ピトー:文 ベルナデット・シェルベ:絵 栗栖カイ:訳 ブロンズ新社 2001/2002)
これは結構ヤバイ絵本です。
何がといえば、読み聞かせの場合、最後のページのどんでん返しまで巧くもっていけないと、とんでもなくつまんない絵本になってしまうから。
子どもがやったりふれたりするいろんなことが、「大人の常識」で「きたないよ!」と否定される場面がズーット続いて、最後でそこまでを全否定するのだから。
大人が個人的に読む絵本としてなら、そこはOKで、おもしろいのですが、そのニュアンスを伝えられるかどうかが腕の見せ所でしょうか。
大人がおもしろいどんでん返しが子どもにもおもしろいとは限りませんからね。
でもチャレンジ。(hico)
『おはようのプレゼント』(アンドレ・ダーハン:作 田島かの子:訳 小学館 2002/2002)
久々に、パリ発の絵本です(ま、私が知らないだけでしょうが)。
で、これ、極めてフツーに始まります。
女の子が朝目覚めて、ミルクを飲もうと冷蔵庫を開けたらなくて、牛のアデールを呼びます。
ね、フツーでしょ。
でもそこからが変わってくる。
たいくつそうなアデールをつれて彼女は、家に入り、二階にあがり、仲良く寝ている両親を起こして終わる。アデールからの両親へのプレゼントはミルク。
画はフツーですが、話の展開がやっぱり「アムール」になってしまう。
パリやな〜。
田島さん、フランスの絵本の情報握っているなら、どんどん訳してくださいな!(hico)
『どうするティリー』(レオ・レオーニ:作 谷川俊太郎:訳 あすなろ書房 1989/2002)
1990年に佑学社から出ていたのをあすなろ書房が復刊です。
壁があってもだれも気にしない平凡なネズミたちの日々。
でも、ティリーは気になって壁を越えようとするのですが、無理。
で、穴を掘ることを思いつく。
もちろんこれはベルリンの壁を想起させますが、出版年と壁の崩壊(11月)が同じ年なので、どちらが先かは私は知りません。
レオーニらしい、連帯の物語です。(hico)
『風切る翼』(木村裕一:作 黒田征太郎:絵 講談社 2002)
2001年9月11日のテロを背景に、木村と黒田が3日間ライブで作り上げた絵本。
集団のアネハヅルを素材に、命と仲間と憎しみを織り交ぜてできあがっています。
ライブですから、あとで手直しをしなかったからか、木村の文は少したどたどしいが、それがまたライブ感。
黒田の画はとても動きがあり、活き活きを画面が踊っています。
しかし、ライブの記録は記録であって、作品としてのまとまりより、そのライブ感を想像するタイプ。
タイトルはもう少し考えた方がよかったかな。(hico)
『リナとちいさなドラゴン』(ヒルデガルト・ミュラー:作 小森香折:訳 BL出版 2000/2002)
これは、さみしさが独占欲に変わるお話。
そういうことって、たくさんありますよね。
眠れない夜、リナは迷い込んだドラゴンの子どもと出会う。
洞穴代わりの引き出しが、ドラゴンの住まい。
次の日から鬼ごっこしたり、お話をしてあげたり、ドラゴンは火を噴いて見せてくれたり。
でも、だんだん故郷が恋しくなり落ち込むドラゴン。
でも分かれたくないリナはドラゴンを机の中に閉じこめてしまう・・・。
別れたくないばっかりにそんなことしてしまうのですが、その結果リナはまた一人ぼっち。
せつない。
依存から友情は育まれない。なんてややこしいこと言わなくても、この絵本はちゃーんと教えてくれます。
もう一ひねり新しい要素欲しいけど。(hico)
『仙女ときこり』(神谷丹路:文 金正愛:絵 岩崎書店 2002)
朝鮮の昔話の再話絵本です。
日本のそれとの比較をしながら子どもと読むのも楽しいでしょう。
近くの国のお話ですから、親しみも増すというもの。
画は単調ですが、物語の方に比重を置く場合これくらいでいいのかもしれません。画の力で新しい解釈を促すこともできるのですが。(hico)
【創作】
『私立霧舎学園ミステリ白書』シリーズ(霧舎巧:作 西村博之:イラスト 講談社 2002〜)
講談社ノベルス。10月現在、『四月は霧の00密室』(ちなみに、「00」は「ラブラブ」と読みます)、『五月はピンクと水色の恋のアリバイ崩し』の2冊が刊行中です。
羽月琴葉は高2のときに霧舎学園に転校してすぐに遭遇した事件が『四月は…』で、その事件で同級生の小日向棚彦と出会う。学園に「霧立つ春の日、鐘の音と共に、泉の前で口づけを交わした男女は永遠の幸せを約束される」という伝説があり、この2人はアクシデントから伝説通りの状況でキスしてしまう。さらに、この伝説には裏バージョンがある。その2人が同じ星のもとに生まれたものであった場合、「女が謎を紡ぎ、男が謎を解く」ことになり、「真の求道者」が誕生するというものだ。お約束のように、2人の誕生日は同じ。そこに、「探偵になることを約束された男」である高3の頭木保が加わり(保の解釈によれば、「真の求道者」は「探偵」を指す。生年を除いて誕生日は琴葉と同じ)、「ラブコメミステリ」が展開する。要するに、作者がライバル視している『金田一少年の事件簿』をイメージしてもらえばよいでしょう。
趣向が面白い。「このシリーズは羽月琴葉と小日向棚彦、そして彼女たちを取り巻く面々が、一九九八年の四月から翌年の三月にかけて遭遇する事件(何故か月に一度巻き込まれる)を、順次発表していくという構成をとります」。加えて、「各月の事件には、本格ミステリで用いられる謎を一つずつ取り上げ、タイトルに織り込み(四月は密室、五月はアリバイ崩し、というように)、最終的に本棚に並んだ背表紙で「ミステリの一覧表」が出来上がれば楽しいな」とのこと。是非とも、完結してもらいたいですね。(meguro)
『蓬莱洞の研究 私立伝奇学園高等学校民俗学研究会 その1』(田中啓文:作 講談社 2002)
講談社ノベルス。
諸星比夏留は、私立田中喜八学園高等学校の1年生の女の子。ある勘違いから、民俗学研究会に入部した比夏留は、民俗学研究会のメンバと共に、「常世の森」で続出した失踪事件に乗り出す。「常世の森」に蓬莱(桃源郷)に繋がっているとされる竜ヶ洞があるとのメールが失踪者のもとに届いていたからである。「常世の森」は田中喜八の私有地であることから調査隊が入ったことがない未踏の地であるばかりか、未知の生物の生息が噂されている場所であった。古武道「独楽」の継承者である比夏留は、高校生ながら民俗学の専門誌に論文が掲載されるほどの天才・保志野春信と共に事件に挑む。
「本格伝奇小説」+「学園小説」+「駄洒落」。前二者の組み合わせであれば、以前に紹介した牧野修『呪禁官』(祥伝社)に軍配が上がるかも知れないが、「駄洒落」の要素が加わることで田中の本領が発揮されている(ちなみに、両名はプレステ2のソフト『かまいたちの夜2』(チュンソフト)のシナリオでコラボレートしている)。日本神話の伝承を解釈する民俗学を「駄洒落」によって解体し再構築する手腕は見事としか言いようがない。クセがあるので万人向けではないが、個人的にはお薦め。(meguro)
『盗まれた記憶の博物館(上)』(ラルフ・イーザウ:作 酒寄進一:訳 あすなろ書房 1997/2002)
日本でもヒットした『ネシャン・サーガ』がデビュー作のラルフ・イーザウの新訳作品。エンデがイチオシした作家。
今作は、エンデとの別れのために挑戦作です。
記憶を盗まれる話って、時間を盗まれる『モモ』をだれしも思い浮かべます。そこを堂々たる確信犯として、彼はやっているわけです。
ふたごの姉弟ジェシカとオリバーは孤児。おばさんの助けを借りて暮らしています。ある日、突然警察がやってくる。家宅捜査。何の? 博物館の大切な展示品が盗まれ、その嫌疑が、夜警をやっている父親にかけられているのだ!
え? 父親?
かつて父親の部屋だったところも徹底的に調査し、押収していく警察。
訳のわからない二人。でも、父親が昨日まで博物館の夜警であったことは間違いなさそう?
ということは、二人の記憶の中から父親が消えていたのです。
その謎を解くために調べ始める二人。父親の残された日誌などから、ある推測が生まれ、それを確かめるため博物館へ忍び込む二人。オリバーは人々の記憶から失われてしまった人や物だけの世界に入っていく。そこにいるはずの父親を捜しに。と同時に、ジェシカの記憶からオリバーは消えてしまう。
こうして物語は、別世界を旅するオリバーと、残された部屋などから、自分には弟がいたらしいと気づいたジェシカのこちら側での探索を平行して語っていきます。
またもやパラレルファンタジー。
ホントこのごろ多いですね。(hico)
『デルトラ・クエスト』(全8巻内4巻刊行 エミリー・ロッダ:作 岡田好恵:訳 岩崎書店 2000/2002)
『ローワン』とは趣の違う、このシリーズ、『ローワン』ファンはちととまどうかもしれません。
デルドラ王国の王は亡くなる。この国は平和で豊か。というのは王だけが身につけることのできる7つの宝石をはめ込んだベルトの力により「影の王」が近づけないからだ。なぜかしきたりにより王族は城の外の民と交流することはない。
エルドン王子の親友ジャードは、エルドンがそのベルトを巻く場で疑問がわき起こってくる。ベルトは世継ぎのとき儀式的に巻かれるだけで、あとは蔵にしまいこまれる。でも、あのベルトの力は、常に身につけてこそのものではないか?
図書室でジャードは『デルドラの書』を読む。と、やはりそうである。
なぜそれが改変された?
実は「影の大王」によって王国は支配されつつあり、国は貧しく、それを王族は知らないだけだった。
秘密を知り、身を隠すジャード。時は流れ、国は「影の大王」の支配されている。宝石はまた失われてしまっていた。
ことの真相を知ったジャードの息子リーフは、宝石を探す旅に出る。すべてがそろったとき、力を発するベルトを巻き付けて。
一巻ごとに宝石を得、最終巻で「帰還」するシンプルな筋立て。ほどよい謎が仕掛けられ、サービス満点です。中身は少し前のRPGです。ドラクエで言えば一巻ごとが、新しい村や町。次々クエストされていきます。大人にはライトすぎるかもしれませんが、子どもたちには心地よい読後感があるであろう出来。
装丁は好き嫌いの分かれるところでしょうが、このチープさは、案外いいです。ペーパーバックの気軽さと怪しさが出ています。(hico)
『シャングリアをあとにして』(マイケル・モーパーゴ:作 長瀬比奈:訳 徳間書店 1998/2002)
これは、子どもの頃に父親に消えられた男と、その父親の物語。
突然現れた父親。息子の連れ合いやその娘(孫ね)は、半信半疑ながら、おじいちゃんを受け入れます。特に孫娘のセシーはなつく。
でも、子どもの頃捨てられた気持ちのままの息子はなかなか受け入れることができない。
頭では分かっていても。
そうした設定の元、物語はおじいちゃんの過去をたどります。果たせなかった想いに決着をつけるべく、修理した船でフランスへ向かうおじいちゃんとセシーたち。
おじいちゃんからセシーまで3世代の心の揺れがていねいに描かれています。
ドラマはスピーディで、読みやすく一気です。(hico)
『ガールズ・イン・ラブ』(ジャックリーン・ウィルソン:作 尾高薫:訳 理論社 1997/2002)
もうすぐ14歳になるエリーの毎日を描いています。父親とその再婚相手のアンナと義理の弟エッグの四人暮らし。親友はマグダとナディーン。
夏休みはウンザリする恒例のウェールズ古城巡り。そこでさえない男の子ダンと知り合ってしまうワ、彼に好かれてしまうワ、さんざんな夏休みが開けて、9年生。久しぶりにあったマグダとナディーン。おしゃべりは止まらないけど、ナディーンにリアムというカレシができたことが発覚。対抗するようにマグダはグレックってコを強引にカレシに。いないのわワタシだけ、なもんで、つい、旅先ですれ違ったすてきな男の子のイメージのままダンのことを話してしまう。さあ、この嘘をどうするのか。
ダンからは、ラブレターが次々と送られてきてるし・・・。
なんて風に、14歳の女の子たちのそれこそ無駄口までも作者は拾ってきてポップな物語に仕上げています。
軽いといえば軽いのですが、活き活きしているろころが買い。
章ごとに手書きで「わたしのすきなトップ9」などを挿入することで、エリーって女の子のことがリアルにわかるようになってます。
『スター・ガール』『トラベリング・パンツ』に続いて、理論社テーンズシリーズ第3弾。ブックデザインも良し。10冊もそろえば一つのコーナーができます。
がんばれ理論社!(hico)
『宇宙生命図鑑』(小林めぐみ 徳間デュアル文庫 2002)
惑星ジパスは、女の単為生殖をするヒーラーが住む。ヒーラーは幼体にまま成熟するとクバシムになり、変態を経て成体になるとヒリとなる。単為生殖をするのはクバシムの方で、ヒリは有性生殖機能を持っているが男は生まれないため、おそらくそれは有性生殖時代の名残だと思われている。従って、ヒリは必要がないはずなのだが、体躯に秀でたクバシムはヒリを庇護しなければならない。
という設定の元、ジパスに古代遺跡調査に訪れたトキ乃。偶然知り合った神父アレクと地球上の猫にそっくりなガラリア人セイジロと行動を共にする。彼らは「宇宙生命図鑑」の欠落部分を埋めるためにジパスに来たというのだが・・・・。
物語そのものに欠落が多いのは、シリーズになるからでしょうか?「宇宙生命図鑑」の欠落部分の一つヒーラーが今回は解明されるというわけ。
いきなりジェンダーとセクシュアリティに関わる設定の「生命」なので、この先どんな形になるかはお楽しみってところ。
んんん〜でもジパスにはもっと興味があるな〜。『闇の左手』(ル・グウイン)とは違った形の物語として、もっと書いてほしい。ただの設定ではもったいない。(hico)
『LAST KISS』(佐藤ケイ 電撃文庫 2002)
『天国に涙はいらない』シリーズの佐藤ケイ新作。
あのロリコン天使アブデルでアブナイ、「シニカル学園コメディ」を描いている同じ作家の作品とは、にわかには信じがたい、甘く哀しい物語であります。
「俺」の妹由香は重い病気で長期入院していたのだが、夏休みに一時退院することとなる。が、両親は仕事で留守。暑い中チャリンコで俺は由香を迎えに行く。実のところ俺は由香が苦手。こいつ無口で、沈黙を何よりおそれている俺はどうしていいかわからへんようになるから。両親が帰ってくるまで一週間、俺は由香とどうして過ごせばええのんやろう。
で始まるのやけど、不治の病の妹という深刻さは関西弁(兵庫弁)がいなしてくれます。
これは俺の一人称ですから、どんなに深刻なときも俺は「ボケ」と「ツッコミ」を忘れませんから。
帰宅して俺に思い切り甘えまくる由香。これまで邪険にしていた負い目もあって、俺は由香のしてほしいことに何でも従う。買い物に出かけるのだって、さみしいから手をつないで、といわれたら手をつなぐんやね。「そうとうあぶないで、これって」なんて思いつつ。
夜だって、寂しいからと由香は幼いときのように俺の部屋に一緒に布団を敷いて眠る。それも許す俺。
やがて重要な秘密が親から明かされるのですが・・・。これはまあ、それまでに推測はつきます。でも明かされてからの俺がとってもいいんですよ。(hico)
【評論】
『本を読む少女たち』(シャーリー・フォスター&ジュディ・シモンズ:著 川端有子:訳 柏書房 1995/2002)
『ねむり姫がめざめるとき』(ロバータ・シーリンガー・トライツ:著 吉田純子・川端有子:監訳 阿吽社 1997/2002)に続いて、子どもの本をフェミニズムで読み解く書物が出版された。
『眠り〜』が時代の射程を現代までとって、理論の使い方を示しているとしたら、こちらは、19世紀から20世紀初めの比較的よく知られている古典を素材にした解析本。
どっちから読むかは、自由ですが、理論を把握してから、すでに知っている古典の読み替えを体験するなら日本での出版順。とにかくよく知っている作品への目から鱗を体験し、理論に向かうなら逆の旬かな。
とりあえず、2冊揃ったので、大学の文学部の授業などで、ぜひ教科書に使ってください。この辺りの知識がないと、今では小説の解析などできませんから。(hico)