じどうぶんがくひょうろん


No.1 1998/01/30


           
         
    
『マタビアは貝のおまもり』(マリオン・ブルーム作 岩波書店 1300円)
#児童文学は大人が書いているものなのですから、子どのも視点、感性をどれだけ感じさせてくれるかがツボ。この物語、近頃読んだ中では、そこが秀でています。と思ったら、やはり自伝的作品。インドネシア系オランダ人の女の子が、両親が披露宴に出かけて不在の夜に(だからとても不安)、弟妹の面倒をみながら、考えること、思い出すこと、行動することが、細かく綴られます。私は男の子の経験しかないのに、この女の子の気持ちの揺れがとても判ります。それだけ、この物語が優れているってことでしょうな。「インドネシア系オランダ人」って位置もチェックして読むと、なお面白いです。

『ヤンネ、ぼくの友だち』(ペーテル・ポール作 徳間書店 1800円)
#スエーデンの物語。あるときぼくたちの前に現れた女の子のような少年ヤンネ。思うままに自転車を扱い、機智にもとんでいる彼は、たちまちぼくたちの友達に。けれど彼は一体どこの誰かもわからない。その秘密はじょじょにあきらかになり、そして…。切なさと悲しみが、息苦しいほどまっすぐに降りてくる。参った。表紙もいいですよ。

『児童文学批評の展開』(ピーター・ハント編・2800円)
#英米における児童文学批評の歴史を、各時代の代表的な批評を収載して示しています。児童文学を学んでいる学生さんには必読書でしょう。大人の文学からシカトされ続けた児童文学状況もよく判りますから、図書館関係の方もぜひ!ただし、書店売りではありませんので、白百合女子大学児童文化研究センターに直接、お尋ねください。連絡先は、03−3326−7994(TEL&FAX)です。

『はるになたらいく』(岸本進一・くもん出版・1300円)
#運動も勉強もだめな障害児勇太を迎えた、クラスの子どもたちと担任の先生の物語。「ふつう」には「めいわく」である勇太とどうやっていくのか?といったモチーフが、「勇太のために皆がなにかをする」から、「勇太によって皆が変わる」という、お決まりのパターンで展開していく。その発想がヘンだとは思わないですが、こうしたクラス運営が現在成り立つのかが、「?」。灰谷健次郎の25年も前の「兎の眼」から一歩も出ていない。と思ったら、解説が灰谷さんでした。やれやれ。

『母性賛歌』(遠藤玲子・ぶんけい・1800円)
#縄文土偶を愛する著者が、そのレプリカ(女体と思われる土偶のみ)を作り、野に置いて写真撮影した作品集。写真絵本ですね。著者の土偶への思い入れは判るし、楽しいのだけれど、そうした土偶を「母性賛歌」としてしまうのは困りもの。「母性賛歌」は近年の発想であります。縄文の土偶はそれに当てはまらないでしょう。縄文人にきいたことないから、断言できませんが、せいぜい呪術的「母体(女体)畏怖」でしょうね。

『やっぱりしろくま』(斎藤洋作 高畠純絵 小峰書店 1200円)
#「しろくまだって」に続くシリーズ第2作。カナダのとある街のしろくま宅急便の人気者、カールとマルク。だって二人は本物そっくりなしろくまのぬいぐるみを着て、配達してくれるから。町の皆は、そう思っているけれど、実は二人は本物のしろくま。という設定。さて今回は、オーストラリアに支店ができることになり、宣伝要員として、二人が指名される。けれど、本物のしろくまであるので、パスポートを持っていない・・・・。斎藤ワールドは、今回も好調。軽くて面白い物語を描かせたら、この人が一番やね。軽くても決して「御手軽」ではないのがいい。私のような素人と違って、彼はプロです。

『チョコボの不思議なダンジョン』(スクゥエア)
#ゲームデザイナー中村光一の「不思議なダンジョン」シリーズ最新作かと期待すると、ハズレ。確かに監修を中村光一がしていますが、別物と思ったほうがいいでしょう。「不思議なダンジョン」の魅力である、「1000回遊べる」という常習性はありません。いかにもスクゥエアらしい一過性のゲーム。例えば、RPGで、「ドラクエ」は再プレイできるけど、「FF」は、やってるときははまっても、再プレイする気にはなれないのと同じですね。結局それが、スクゥエアテイストってことでしょう。植木鉢にはディスペル、ブリンクカードはつかわずに売れ!と、謎の言葉を御伝えしましょう。

『アルミちゃん』(北村想文 とり・みき絵 小峰書店 1100円)
#帯に「これはキケンな本ですか?」「はい」「これはテツガクのホンです」。とある。アルミちゃんは、ショートケーキを買いに行く途中に謎の人物ナイショさんに出会い、テツガク的質問をされるという趣向。ゼロについて、自己存在について、無限について。「ソフィの世界」のヒット以来、易しいテツガク本がブーム(といっても、やっぱりテツガク。ミニブームですが)。これはその子どもの本版ってことでしょうか?でも、言葉が先に行き過ぎ、理屈が目立ちます。つまり、世界のナゾが読者のなかではじけてこないのです。テツガクするってのは、そーゆーことではないかしらん?