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◆「グリーン・アイズ」(森忠明作 小峰書店 1200円 1997,07) ★森忠明は、デビュー以来、四半世紀以上、一貫して主人公の少年の名前を「森忠明」にしている作家。時代設定も本人の子供時代とほぼ一致する。なら自伝的なのかといえば、そうでもあるようだし、そうでもないようでもある。そこがこの書き手の魅力のひとつになっている。 つまり、特定の子ども(子ども時代の作者自身)に起こった出来事と、フィクションの境目があいまいなため(もちろん、それを仕掛けているのは作者ですが)、日常のリアリティでも、フィクションのそれでもない、奇妙な位置で、私たちは「森忠明」少年にまつわる話を読むこととなります。そのあいまいさが嫌いな読者にとって、森忠明はつまらないでしょうし、好きな人には、おいしい果実。 おそらく、この作家は、「子ども時代」(少年時代?)を信じていて、今も所持していて、もちろん経験レベルでいえばそれはあくまで森忠明個人のものに過ぎないのですが、それはすべての子どもたちに通じるなにかを持っていると考えていると思います。だから、わざわざ別の名前を少年に付ける必要はない、と。 「グリーン・アイズ」は、「森忠明」くんが、彼を可愛がってくれている、お隣りの川島のおばちゃんから貰った革性の日記を、字がきたないぼくが書いたらもったいないと思っていたけど、書かないのは申し訳ないと思い直して、暮れも押しつまった12月21日から付け始める、その日記の中身が、この本、という設定。 すでにもう、設定からいきなり、森ワールドです。 ◆「ねこかぶりデイズ」(錦織友子作 小峰書店 1300円 1997,12) ★小林奈々は小学5年。転校先、初めての教室での自己紹介。 ブラッシングの行き届いた髪、ピンクのブラウスに、プリーツたっぷりのスカート。消え入るような声で、「よろしくお願いします・・・」。 担任はいう。「小林氏は恥ずかしがりやだな」と。男の子達のささやき声も、「おとなしそう」「かわいい子だな」。 タイトルにあるようにそれはねこかぶり。ホントの彼女はトムボーイ。とても元気な女の子。いじめられている友達を助ける正義感も一杯。ところが、前の学校で、そんな彼女は、実は友達からも疎まれていたことを、知らされる。そんなショックの折り、父親の転勤で引越しすることに。これ幸いと彼女は、新しい学校で「女らしい」キャラクター、これまでの自分と全く違う自分を演じる決心をしたのですね。 ウソの自分は思った以上に受け、男の子にはモテ、女友達もできるのですが・・・。 そのあと物語がどう展開していくかは、たぶんあなたのご想像のとおりなのですが、子供たちがこの国の日常をサバイバルするためにどう自らをロールプレイしているかの一端はよく捕らえています。 「ねこっかぶりデイズ」ってタイトルはいい。 ●「アルマジロのしっぽ」(岩瀬成子 あかね書房 1300円 1997/10) ★帯には「ピュアな少女小説」。いいコピーですね。けれど、そのタイトルが、「アルマジロのしっぽ」ってのが、まずおもしろい。 米軍基地岩国に生きる少女の描いて、鮮烈な(凡庸な表現ですが、じっさい鮮烈でした)デビューを飾った岩瀬は、その後も主に少女を主人公に、その内面の微細な揺れ、外部(他者・含む親)との関係の相克、を次々と描いてきました。 ドラマチックであるよりむしろ、生々しい日常感覚を伝える書き手です。 今回の物語もそうで、ストーリーを御伝えするのは、とても難しい。 主人公夏は、両親と妹の4人家族。ごく普通の家庭。近所に父方のおばあちゃんが一人暮らしをしています。というか、おばあちゃんの近くに家を建てたのですね。 老後のこともあるから。ただいまは週2回、母親が作った夕食を、夏がおばあちゃんに届けています。そのたびにおばあちゃんは百円くれるけれど、これは二人の秘密。 物語は、死んだ犬のこと、友人との会話、おばあちゃんとの交流、母親とおばあちゃんの微妙な関係ナドナド、いかにもありそうな日常場面がリアルに、描かれていきます。 妹の名前は雪。彼女と夏は10ヶ月しか年が違わず、同じ学年です。これは絶対にないわけではありませんが(事実、11ヶ月違いですが、生まれ月の関係でかろうじて、学年の違う姉妹を私は知ってます)、珍しい設定ですから、ここに物語のツボがあるでしょう。ほとんど歳の差がない二人はよく双子に間違えられるし、しかも雪のほうが身体が大きい。夏は自分が雪のミニチュアのようにも感じています。この辺りの姉夏の気持ちの描きかたは、さすが岩瀬、うまい。 「私」をめぐる物語です。こうした兄弟の設定、実は私も考えてたのやけど、破棄。 ■「本に願いを・アメリカ児童図書週間ポスターに見る75年史」(レナード・S・マーカス著遠藤育枝訳BL出版 3500円 1994/1998) ★ポスター、もう少し広く言えば広告は、時代を映します。この書物はタイトル通り、児童図書週間の広告に使われたポスターの変遷をたどることができます。 この週間が出来たきっかけは、「子どもに良書を」という大人の思い入れなのですが、それはまた、当時の子ども観をもうかがわせます。児童書は教材なのです。 ことの性質上、ポスターに描かれる素材は、「読書している子ども」であることが多いのですが、その子どもの第二次世界大戦までの顔がどれも固い、真剣。はっきり言って、楽しそうじゃない。戦中は団結のノリで、読書ポスターなのに、労働組合みたい。 そして戦後、楽しみの読書の時代。笑顔で本を読む子供たち。 時代の変遷をたどるだけでも、おもしろいです。 しかも描き手のメンバーの豪華なこと。キーツあり、センダックあり、アンゲラーありと、時代時代のトップクラスの絵本作家が手がけています。絵本以外の仕事ってあまり見る機会は少ないですので、彼らがどんなポスターを描いているか?ファンの方必見です。 3500円は高いようやけど、これだけのグラフィック入っての値段としては、ずいぶん御買い得だと思います。 |
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